いわゆる中流家庭においては、親が住んでいた実家が相続財産になることが多い。家や土地は分けづらいため、兄弟間でもめごとになることもある。デフレさん(仮名)は母親が生きているときから同居していたため、死後に実家を相続した。2人の姉もそのことに異論はなかったのだが、ある日突然、実家を売って現金を分けようと言い出す。弟の生活を無視した理不尽な主張に、デフレさんは頭を抱え、相談にやってきた。※本記事では、税理士の髙野眞弓氏が、自身の経験もとにした「争族エピソード」を紹介する。

「2人に強く言われると売らないといけないのかなと」

2人の姉の希望はわかった。問題は、デフレさんの考えだ。

 

「それで、デフレさんはどう答えたのですか?」「どちらに言われても事情は一緒です。売るつもりはないのです」「そうですか」「先生、こういう場合、私は家を売らなければならないのでしょうか」デフレさんは困り果てたように言った。

 

お金に困った姉が「相続した家」の売却を要求…
お金に困った姉が「相続した家」の売却を要求…

 

「いいえ。ここまでの話を踏まえると、お姉さんたちはすでに家の相続を放棄しています。売るかどうか決めるのは家の持ち主であるデフレさんです」「そうですか。よかった」デフレさんはホッと胸をなでおろした。

 

「そもそも、デフレさんが住んでいるにもかかわらず、その家を売れと言うほうが無茶だと私は思いますよ」「そうですよね。私もそう思うんです。しかし、姉たちは、あんな大きな家は必要ない、もっと小さな賃貸でいい、独り者なのだからどこでも暮らせるだろうと言うのです。2人に強く言われると売らないといけないのかなと思ってしまって」

 

デフレさんは本気で悩んでいた。もし相談を受けていなければ、姉たちの勢いに押されて売っていたかもしれない。「もちろん、デフレさんが売りたいのであれば売ることもできます」私がそう言うと、デフレさんは少し間をおいて、こう言った。

 

「実は、姉たちがあまりにもしつこいので、いっそ売ろうかとも考えたんです。姉に強制されるのは嫌ですが、そうは言っても学費が必要なのは私の甥っ子、姪っ子です。私には子どもがいませんし、彼らのことは可愛いですからね。彼らのためなら売ってもいいかなと思ったのです」

 

「その点で1つ付け加えておくと、仮に家を売ったとして、その際に手にするお金も基本的には相続人であるデフレさんのお金です」「つまり姉たちに渡す必要がないということですね」「はい。法的には」「そうですか。そう聞いて安心しました」デフレさんが言う。法律の仕組みを知ったことが、姉たちと対等の立場で話すための自信になったようだった。

「不動産の相続」はもっともトラブルが多い

「相談ついでに、もう1つ聞いてもいいですか?」デフレさんが言う。「なんでもどうぞ」「こういうトラブルは多いのでしょうか。つまり、金額的にはたいしたことのない相続で、兄弟がもめるようなことはあるのですか」「しょっちゅうありますよ」私はそう言って笑った。事実、実家や親が持つ土地などをめぐり、兄弟がもめるケースは少なくないのだ。

 

「兄弟といえども、ある年齢を超えればそれぞれが自立した大人です。就職先、結婚相手、家族構成などによって経済的な差もつきます」「そうですね」「その差が大きくなるほど、遺産に対する見方も変わっていきます。例えば、1000万円で売れる実家があった場合、裕福な兄はそのままにしておけばいいと考えるかもしれません。しかし、弟がお金に困っていたら、すぐにでも売って現金にしたいと考えます。兄弟の相続トラブルは、兄弟間の経済格差が原因になっていることが意外とあるものなのです」「なるほど」デフレさんはそう言い、大きく頷いた。

 

「それと、問題はお金だけではないんです」私はそう付け加えた。「お金ではない?」

 

「ええ。もめる原因は、相続する遺産が不動産であるという点です。不動産は現金化しにくく、処分しにくい遺産です。そのため、誰がもらうかでもめやすいのです」「たしかに、遺産が現金だったとしたらこういうトラブルは起きないですね」

 

「ええ。物件がいくつもあれば、兄弟が1つずつもらうなどして分けることができるでしょう。1つだったとしても、大きな物件であれば一緒に住むこともできます。しかし、デフレさんの実家のように普通の家の場合、分けることはできず、一緒に住むのも難しいでしょう」「そうですね」そう言ってデフレさんは笑った。「そういう場合はどうするのですか」

 

「よくある方法としては、いったん家を相続人の共同名義にして、相続する人が兄弟から権利を買うことができます」「私が姉たちから家の権利を買うということですね」「そうです。または、家を売って現金化し、それを相続人で等分する方法もあります」「姉たちが考えたのはそちらの方法ですね」

 

「はい。売ってこいというのは、要するに現金化してこいということです。現金なら分けやすいですし、学費にでも何にでも使えますからね。もちろん、この方法は誰も家を必要としていない場合に限ります。デフレさんのように実際に住んでいる人がいる場合、売って現金にするという選択肢は基本的にはありえないのです」

 

「なるほど。いろいろ勉強になりました」そう言うと、デフレさんは深く頭を下げ、帰っていった。血は水よりも濃いと言う言葉があるように、家族のつながりは案外強い。ずっと虐(しいた)げられてきたとはいえ、デフレさんにとって姉は大事な家族である。自分の生活も大事だが、家族のことも助けてあげたい。その狭間(はざま)で、デフレさんはまだ揺れているように見えた。

「姉2人に200万円ずつ渡すことにしました」

デフレさんから連絡があったのは、それから1カ月後のことだった。事務所に現れたデフレさんの顔は、以前会った時よりも血色がいいように見えた。

 

「ちょうどまた東京に来る機会ができたので」デフレさんが言う。「そうでしたか。出張が多いのですね」「ええ。私が住む町は、一応地方都市として栄えていますが、そうは言っても仕事の中心は東京です。とくに最近は都市部と地方の格差が広がっていますからね。月に1回でもこっちにきて、得意先を探しているというのが現状なのです」デフレさんはそう説明し、私は冷たいお茶をすすめた。

 

「それで、お姉さんたちの件は解決しましたか」私は早速本題に入った。「おかげさまで解決しました」「結局、どうしたのですか」「家はそのままで、今も私が住んでいます。ただ、知り合いの不動産屋に調べてもらったところ、土地代込みで600万円くらいで売れるとわかったので、姉2人に200万円ずつ渡すことにしました」「デフレさんのお金をあげたということですか?」「はい。幸い、少し貯金があったので」そう言い、デフレさんはお茶を飲み干した。

 

デフレさんの話を聞き、私はあまり驚かなかった。どういう方法をとるにせよ、姉たちの主張を突っぱねることはないだろうと思っていたからだ。

 

「そもそもの原因は、私だけが相続したことにあります。最初から家の価値を調べて、姉たちと等分しておけばよかったんです」デフレさんが言う。「まあ、そうですね」私はそう返した。そこまでする必要があるのだろうかと思ったが、口にはしなかった。デフレさんがそれで満足なら、それが最善の解決策なのだ。

 

「2人に200万円ずつで計400万円ですか。大金ですね」「そうですね。姉たちではなく、甥っ子、姪っ子にあげるお金だと思えばまったく惜しくありません。姉が言っていたことにも一理あって、私は独身ですからどうにでも暮らせます。子育ての経験がないのでわかりませんが、姉には姉の事情もあるのだろうと思えるようになったんです」「そうですか。なんにせよ、丸く収まったのならよかった」私はそう言って笑った。

 

意外な展開は、その先に待っていた。

事のてんまつを聞いた義兄が大激怒

「いや、先生、違うんです。ここからが面白いところなんです」デフレさんが身を乗り出してそう言った。「え?」「姉たちに話し、200万円ずつ渡すことになりました。2人は現金、私は家をもらい、それで等分です」「ええ」私は頷いた。その通りである。家の価値を600万円として、きれいに三等分になった。

 

「その後で、すぐに2人の口座にお金を振り込んだんです」「はい」「そうしたら、その1週間後に上の姉がお金を返すと電話してきたのです」デフレさんが愉快そうに言う。私はわけがわからなかったが、その表情を見て少しワクワクした。「どうしてですか?」

 

「姉は、今回のいきさつを夫に伝えました。弟が住んでいる家の相続をやり直し、200万円もらったからそれを学費の足しにしようという話を私の義理の兄にしたわけです」「ええ」「そうしたら、義理の兄が怒ったんです。みっともないことするな。実の弟から金をとるとはどういうことだって。それで一悶着あり、結局私にお金を返そうということになったんです」

 

まったくもって意外な展開であった。義理の兄が怒った理由はよくわからない。自分の稼ぎを軽く見られたことに腹を立てたのかもしれないし、自分の知らないところで弟にたかった長女に腹を立てたのかもしれない。いずれにしても、立派な判断である。長女を叱りつける義兄の姿を思い浮かべながら「一家の主人」や「大黒柱」を名乗るにふさわしい男だと思った。

 

「そうですか。それはよかったですね」私はそう言った。本心からそう思った。これで長女とデフレさんの関係も少し対等に近くなるかもしれない。「それだけではないんですよ、先生」デフレさんはさらに嬉しそうな顔を見せた。

 

「まさか?」「ええ、そのまさかです。2番目の姉もお金を返してよこしたんです」デフレさんの話によると、長女がお金を返したという話は、すぐに次女にも伝わった。次女はその時点ではまだ200万円もらったことを夫に伝えていなかったが、後でバレては困ると考え、夫に話した。結果、次女夫婦も返したほうがいいだろうということになったという。

 

「姉が返して、自分だけがもらうわけにはいかない。そう考えたのだと思います」デフレさんは言う。つまりデフレさんは、自分が住む家を守れただけでなく、自分だけが相続したという負い目を消すことができた。

 

この件を境に、2人の姉から理不尽に虐げられることもなくなるだろう。もしかしたら家を売ってしまっていたかもしれない可能性があったことを考えると手放しでは喜べないが、デフレさんにとっては最高の、私にとっては痛快な結末になった。

 

どんでん返しのきっかけとなったのは長女の夫だ。「上のお姉さんの旦那さんとは仲がよかったのですか?」「結婚式の時と、その後で何度か、法事などで会った程度です。その時の振る舞い方などから男気ある義兄だとは思っていましたが、もはや足を向けて眠れません」「そういう人もいるのですね」私はしみじみと言った。男であることの価値がだだ下がりする中で、貴重な男だと思った。

 

それから少し雑談をし、最近の女性は少し強すぎるのではないかという話に花を咲かせ、デフレさんは自分の家へと戻っていった。その姿を見送りながら、ふと姉に電話してみようかと思った。しかし、やめた。デフレさんほどではないにせよ、私と姉の間にも歴然とした力関係がある。わざわざ小言を言われるために電話する必要もあるまい。

炎上する相続

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髙野 眞弓

幻冬舎メディアコンサルティング

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