香港情勢の行方…中国は「譲歩も介入もしない」可能性が高い

2019年9月4日、林鄭香港特区行政長官は棚上げ状態にあった逃亡犯条例修正案を正式に撤回する旨を表明したが、6月以降続いている香港の混乱が収束するか予断を許さない。現地情報や中国内外の中国語媒体を通して、香港情勢のその後を探る。なお、本稿は筆者自身の個人的見解、分析である。

北京内部に見える、分裂・抗争の気配

当初から、国家主席の任期制限を撤廃(参照:『習近平主席の任期制限撤廃・・・中国内外の反応は?』)するなど権力集中を強める習近平氏に対立する勢力が、習氏を窮地に追い込むため混乱をけしかけているとの噂があるが、林鄭長官が撤回を表明した前後の以下のような動きからも、党・政府内部の意見の分裂や抗争が窺え、撤回は反習勢力の影響が強い国務院香港マカオ弁公室(港澳弁)や中央政府香港連絡弁公室(中联弁)の承認を経たものではなく、林鄭長官の独断、あるいは同長官が習氏から直接授権(権限委譲)された(あるいは授意、つまりその意を受けた)可能性が強い。

 

①林鄭長官が撤回を表明した前日に港澳弁は記者会見を開き、「抗議運動の性質が当初の単なる修正案反対から変質している」「抗議運動は5大訴求(要求)の旗を掲げた政治的強迫」「香港での暴力と混乱を止めるという点で一切の妥協はない」など、北京が抗議運動に強い態度で臨むことを主張しており、直後の長官撤回表明と大きな齟齬がある。

 

②新華社は上記港澳弁記者会見の模様を同日夕刻に報道したが、港澳弁の強硬な発言部分にはほとんど触れなかった。

 

③林鄭長官の撤回発言直後、外交部や港澳弁はメディアの質問に答えず、関連先に情報収集していたもよう。また、メインランドのメディアのうち、新京報や北京日報はいち早く撤回の情報を伝えたが、中央政府に近いメディアは何れも関連報道をせず、同日夜にようやく新華社が「林鄭長官が事態打開のため4項目の行動を提起」とのタイトルで、目立たない報道をしただけだった。

 

④メディアの他、メインランドの多くの専門家や政界関係者も当初撤回報道に懐疑的で、状況が明らかになるにつれ、「これは中央の意思によるものか」との疑問を呈した。

 

⑤林鄭長官には撤回の決定権限はなく、8月末、港澳弁や中联弁を所管する韓正党常務委員・副首相に撤回承認を求めていたが、却下されたとの情報がある。その直後、長官の内部発言(自分ができることは限られている、中央政府は事態収束に期限は設けておらず、軍事介入も考えていないなど)が外国メディアにリークされ、同長官はその発言内容自体は否定せず、直後に撤回表明に至った。リークが同長官の故意によるものか定かでないが、これが同長官の独断、あるいは習氏の同長官への授権(または授意)の引き金になった可能性がある。

想定される4つの基本シナリオ

関連拙稿(参照:『事情通の財務省OBが解説!緊張続く香港…中国政府の対応は?』)で触れたように、習氏が2017年香港返還20周年記念式典で行った演説は、「一国両制(2制度)」について、「一国」は主権に関わる譲れない一線である一方、「両制」は多様な価値観を持つ多元社会香港の安定と発展を確保するための手段と位置付けている。この考え方自体には、多くの香港居民はさほど違和感はないのではないか。

 

上記の通り、林鄭長官が修正案の正式撤廃を表明するに至った経緯は不明瞭だが、同長官は記者会見での質問に対し、「撤回は香港特区政府が決定したもの。中央政府はこれを承知しており、修正案の棚上げ決定時同様、撤回を支持し、理解、尊重している」と述べている。

 

おそらく上記のような状況から、棚上げ決定時のように、中央政府は即座には「支持、理解、尊重する」と発言しなかったが、少なくとも結果的に習氏は撤回を容認または黙認した格好になっている。撤回は主権に関わる譲れない一線ではないと判断したということだろう。

 

修正案の正式撤回は抗議運動の中の「和理非(和平、理性、非暴力)」と呼ばれる勢力に差し出した「橄欖枝(オリーブの枝、つまり和平申し出)」と見られている。「和理非」勢力の抗議運動が沈静化し、一部過激グループの行動が弱体化ないし孤立する状況になれば、特区政府は抗議運動を全体として容易に制御できるようになる。しかし、思惑通りにならない場合、今後の北京の対応は単純化すると以下の4つが考えられる。

 

①抗議運動が掲げている撤回以外の4つの要求も受け入れる。

②軍事介入も含む何らかの直接介入。

③特区政府による緊急法発動で当面の混乱を抑え込む。

④譲歩も介入もせず、事態が自然に鎮静化するのを待つ。
 

①について、抗議運動参加者の間に「五大訴求、缺一不可(5大要求は1つとして譲ることはできない)」との声が挙がっている。他地区への影響を懸念する北京は原則に関わる問題で譲歩したという事実自体を嫌うため、長官普通選挙の実施を含む要求に全面譲歩する可能性は小さい。

 

独立調査委の設置などその他の要求について主権に関わる話でないと判断して譲歩できる余地はあるかもしれないが、そもそもそうした譲歩が事態を収束させる効果を持つのかという判断になる。

 

②、③、特に②は果たして党内コンセンサスが得られるかという問題、香港を安定させる当面の必要性と、国際金融センターとしての地位が損なわれ、海外から「一国両制」は失敗したと言われるリスクを天秤にかけ、米中貿易戦争への影響も考える難しい政策判断となる。

 

抗議デモが過激化し香港の一般居民や経済界の支持を失うと、②、③でも内外の理解は得られると北京が判断する恐れは残る。仮に緊急法発動となると、法的には全人代常務委が発動しメインランドの法律を一部香港に適用することが可能だが、「港人治港(香港人が香港を統治する)」原則を尊重しているとの姿勢を対外的に示すため、まずは特区政府の発動ということになろう。

 

④は混乱が長引き経済に一定の影響が及ぶことを甘受する必要があるが、政治的代償は比較的小さい。大胆に予測すれば、少なくとも抗議運動が現在よりもさらに過激化し制御不能にならない限り、④の可能性が高いのではないか。

香港の経済的役割とメインランド経済の市場化

中国国務院は8月18日、GDPで2018年に初めて香港を上回った隣接する深圳を、2期目習政権が17年党大会以来掲げている看板「中国特色社会主義」の先行モデル都市にする「意見」を発表、これを深圳で香港を代替するという香港への警告と受け止める向きもある。

 

しかし、なおメインランドで国境を越える資本取引が完全には自由化されていない中、中国の対内・対外直接投資何れも、その6〜7割は資本取引規制がない香港経由だ(なおこの背後には、香港を経由して資金を本土に還流させることで、各種外資優遇措置の適用を受けようとする中国企業の存在もあることが以前から指摘されている)。

 

[図表1]香港からの対中直接投資 (出所)中国商務部外資統計、内地与香港経貿交流状況他
[図表1]香港からの対中直接投資
(出所)中国商務部外資統計、内地与香港経貿交流状況他

 

[図表2]中国からの対香港投資 (注)2018年は金融部門を除いた数値 (出所)中国商務部対外直接投資公報、内地与香港経貿交流状況
[図表2]中国からの対香港投資
(注)2018年は金融部門を除いた数値
(出所)中国商務部対外直接投資公報、内地与香港経貿交流状況

 

中国企業が08〜19年7月に株式新規上場(IPO)で資金調達した金額はメインランド市場3148億ドル、香港市場1538億ドル、米国市場458億ドル、また香港市場での銀行融資も米国市場の3倍で、中国企業にとって香港資本市場は米国資本市場よりはるかに重要だ(9月16日付Financial Times 中国語版)。インフラや法制度でも国際標準として広く認知されている香港はなお中国経済にとって不可欠の存在で、すぐに深圳で代替できる話ではない。

 

メインランドの資本取引規制については、9月10日、中国国家外貨管理局が外国からの中国株・債券に対する投資規制である適格海外機関投資家(QFII)と人民元適格海外機関投資家(RQFII)制度について、投資上限額規制を撤廃することを発表した。

 

今年に入り減速傾向が見られる国内経済状況や米中貿易戦争などを勘案して、資本流入促進と規制緩和をアピールすることをねらった措置と思われるが、QFIIが2002年、RQFIIが11年に導入されて以来のマイルストーン的な資本取引自由化に向けた措置には違いない。

 

ただ、これまでも実際の利用は上限を大きく下回っており、実質的な意味は乏しいとの見方が多い。為替手数料、税制面や中国内からの海外送金の煩雑さの問題などから、香港を活用した滬港通(上海・香港ストックコネクト)や深港通(深圳・香港ストックコネクト)が好まれる構図に変わりはないだろう。そもそも2019年8月までにQFII、RQFIIで承認された投資資金の各々20%以上、約50%は香港経由だ。

 

また、中国から海外への投資に関する適格国内機関投資家(QDII)、人民元国内機関投資家(RQDII)の規制は続いており、これは資本流出を抑える観点から、時にむしろ規制が強まる場合も見られる(例えば、RQDIIは15年後半から18年央にかけ停止された)。メインランドの資本取引規制は基本的には自由化の方向だが、他国に比べ政治要因に左右される面もあるなど、政策のボラティリティが大きい。

 

中国政府は「一国両制」下にある香港をどうしていくのか? 経済面で香港が中国全体の中でいかなる優位性を持ち、いかなる役割を果たしていくかに依るところ大だが、それは、メインランド経済の方で市場インフラや法制度の整備、資本取引を含む各種市場化がどう進むかにも影響を受けることになる。

 

 

金森 俊樹

Nippon Wealth Limited, a Restricted Licence Bank(NWB/日本ウェルス) 独立取締役

 

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Nippon Wealth Limited, a Restricted Licence Bank(NWB/日本ウェルス) 独立取締役

1976年、大蔵省入省。1990年、アジア開発銀行理事代理、2000年、香港理工大学中国商業センター客員研究員。2003年、アジア開発銀行研究所総務部長、2006年以降、財務省神戸税関長、財務省財務総合政策研究所次長、財務省大臣官房政策評価審議官、2010年から大和総研常務理事等の要職を歴任。 2015年、NWB(日本ウェルス)の独立取締役に就任。一橋大学卒。香港中文大学普通話課程修了。
WEBサイト https://jp.www.nipponwealth.com/

著者紹介

連載逃亡犯条例は撤回へ…現地情報から探る香港情勢の「その後」

  • 香港情勢の行方…中国は「譲歩も介入もしない」可能性が高い

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