香港では6月以降、「逃亡犯条例」修正の動きに端を発して、〝反送中〟と呼ばれる抗議運動が多発し緊張状態が続いている。デモ参加者を狙ったと見られる暴力事件も勃発し、警察との対立が激化するなど、状況は今なお予断を許さない。一方、中国政府はこの事態をどう捉え、動いているのか。本記事では、海外中国語媒体や現地情報から、中国共産党・中央政府の動きを中心に〝反送中〟を巡る情勢を探っていく(文中人名は現在または過去の肩書を付記、または敬称略で記載)。なお、本稿は筆者自身の個人的見解、分析である。

中央政府が林鄭長官を替える選択肢はない?

林鄭月娥香港特別行政区長官は6月15日、修正案審議の〝暫緩(当面猶予、棚上げ)〟を発表したが、その後も修正案の全面撤回などを求めるデモが続き、また〝反送中〟に触発される形で、広東省に隣接する新界地区で特区政府を批判する〝光復(回復)〟と呼ばれる抗議デモが再燃(注1)した。

 

(注1)以前より、個人旅行目的の往来港澳(香港・マカオ)通行証を利用して本土から新界地区に頻繁に来る多数の〝水貨客〟が関税を免れて日用品を買い占め、本土に持ち帰り高額で売りさばく行為が新界地区で品不足や価格高騰を招き、また大量のごみを捨てていく行為が環境汚染を引き起こしているが、特区政府はこれを取り締まっていないとの不満が新界住民の間で強い。〝水貨〟は海中に沈めた貨物→密輸品・非合法品。「反送中」以降、「光復」デモと呼ばれているものは、必ずしもこれに止まらず、「反送中」を含め、特区政府を批判するデモ全般を指すようになっているもよう。

 

また〝反送中〟デモ参加者を狙ったと見られる暴力事件が勃発し、それが引き金となって、特に警察と対立するデモが頻発するなど、8月現在、事態はなお流動的だ。

 

条例修正はそもそも誰が主導したものか判然としないが、少なくとも、親中派と見られる林鄭長官が自らのメインランド人脈とすり合わせ、またその支持を梃(てこ)にしたことは疑いない。

 

港澳(香港・マカオ)担当の韓正党政治局常務委員は6月隣接する深圳に常駐し、特にデモの中心である若者層の動向を注視して戦略を練り直し、暫緩発表直前、深圳で林鄭長官と会談し北京の指示を伝えたようだ。

 

憶測の域を出ないが、林鄭長官は「江沢民・曾慶紅陣営の代理人」で、かつて香港は「越乱越好(混乱すればするほど結構な事)」と発言したとされる曾元国家副主席・常務委員が習主席を窮地に陥れるため条例修正を仕掛けたのではないかとの噂がある。また、韓常務委員の序列は7名の中で一番下だが、その所掌範囲が拡大している(注2)

 

(注2)表向きの7名の常務委員序列は、習近平、李克強、栗戦書、汪洋、王沪寧、趙楽際、韓正だが、実質的には、習近平、王沪寧、李克強、栗戦書、汪洋、韓正、趙楽際ではないかとの見方がある。

 

江沢民元国家主席が地盤とする上海の党委書記を務めた後、2017年10月の第19回党大会時、習陣営と江・曾陣営のせめぎ合いの中で常務委員に滑り込んだと言われているが、張高麗前常務委員の職務を引き継いだことに加え、かつては国家副主席や全国人代委員長が担当していた中央港澳工作協調小組組長(小チーム主任)を兼任。これも香港に利権を持つ江・曾勢力が背景にあるとの説がある。

 

林鄭長官は記者会見で韓常務委員との会談について問われ、「いかなる会談であれ、非公式なものはその内容を明らかにしない」と応答したが、会談をしたこと自体は否定せず、暫緩決定で北京と綿密に調整したことを窺わせた。

 

同時に当初、指導部に楽観的見通しを報告していた中央政府香港連絡弁公室(香港所在、中联弁)と国務院港澳弁公室(北京所在、港澳弁)も再検討を余儀なくされたようだ。特区行政府、中国指導部、中央政府内の香港関連部局がみな情勢判断を誤った可能性が高い。特に、以下の点を甘く見ていたということではないか。

 

①政治的に敏感な問題に対する香港居民の懸念

 

②雨傘運動以降、勢いが弱まっていた非建制派(親体制派以外、野党)の議会操作能力と政治的影響力

 

③台湾(来年1月総統選で再選を目指す蔡英文総統は自らに有利に働く要因として材料視)や諸外国の反応

 

④林鄭長官と特区行政府に対する香港居民の不満。例えば、〝自大(傲慢)〟〝躲避(都合が悪くなると逃げる)〟〝拖拉(てきぱき仕事をしない)〟、経済界を〝偏袒(えこひいき)〟などの声がある

 

⑤十分な民主的手続きを経ず事を進めることへの香港居民の反発

 

林鄭長官が修正案審議の暫緩を発表した際、中央政府はその決定を「支持、尊重、理解する」とし、長官はそれを「本件が完全に香港の内部事務の問題であることを示すもの」とした。

 

その後も条例修正の全面撤回や独立調査委員会の設置、林鄭長官の辞任を求めるデモが収束しない事態を受け、7月9日、長官は広東語と英語で修正案は 〝完全失敗〟〝寿終正寝(is dead)〟と述べ、中国外交部は定例記者会見で「事前に協議をしたのか、長官発言を支持するか」との質問に対し、「新たに補足することはない」とだけ答えた。中央政府が香港に直接干渉し、特区行政府はその言いなりになっているとの印象を避けたい両者の思惑が見える。

 

その後7月末、港澳弁は本件に関し初めて記者会見を開き、「林鄭長官率いる特区行政府の法に基づく施政を断固支持」と表明。他方で中联弁は別途、この決まり文句に〝有効(効果的)〟という文言を追加している。

 

 

 

中央政府として当面林鄭長官を替える選択肢はないが(長官は北京に何度か辞任を申し出たが、一層の混乱と他地区への波及を懸念する北京は「自ら招いた〝烂摊子(商品が散らばった店→混乱)〟を収拾せよ」として、辞任を認めなかったとの未確認情報あり)、長官への要求を引き上げたとの見方がある。

囁かれる指導部・長老内の意見対立

さらに、通常夏に開催される指導部と長老による河北省の避暑地、秦皇島市での北戴河会議で(8月上旬に開催されたもよう)、景気減速、対米貿易問題と並び、本件が現下の「3大〝麻煩〟(煩わしい事)」の1つとして取り上げられたようだ(同会議は日程、参加者等全て非公表)。

 

同会議では、中央政府の対応として、①香港への直接介入に反対、②直ちに直接介入し暴動を鎮圧、③直ちには直接介入せず、制御不能になった場合にのみ鎮圧に動く、という3つの意見に分かれ、①、③が優勢だったこと、また、胡錦濤前国家主席が長老を代表する形で、「千万不要成為香港的狠角色(決して香港に狠角色→厳しい役回り→強硬な態度をとってはならない)」との表現で、現執行部に対し強い警告を発したといった情報がある(注3)

 

(注3)あくまで憶測にすぎないが、①は李克強、胡錦濤、温家宝、朱鎔基、②は習近平、王沪寧、栗戦書、趙楽際、呉邦国、賈慶林、③は韓正、汪洋、曾慶紅、王岐山らではないかとの見方がある。仮にそうとすると、7名の現役常務委員のうち4名が(習氏に呼応してか)強硬、3名が慎重、また長老の多くは慎重という構図になる。江沢民は健康上の理由で欠席したもよう。

 

ちょうど同時期の8月上旬、深圳で港澳弁と中联弁が共同で開催した座談会において、港澳弁主任は「香港は返還後、最も重大な局面にある。事態がさらに悪化し、特区政府が制御できなくなった場合、中央政府には動乱を抑える十分かつ強い力がある」と抗議デモをけん制した。

 

しかし、記者会見の裏では、現在の抗議デモを香港の独立を意図しているようなものとみなす発言はなく、また抗議運動が要求している「独立調査委員会」の設置について、現在、設置するような状況にないが、事態が平静になってからどうするか考えるべきものと発言したと伝えられている。

 

北戴河会議直前に、〝六四鎮圧(1989年6月4日の天安門事件)〟への関与で知られる李鵬元首相の葬儀が行われたが、現役指導部と江沢民が参列する一方、胡錦濤、温家宝、朱鎔基ら何人かの長老が姿を見せなかったことと合わせ、指導部・長老内部での意見対立が囁かれている。

習演説が強調した「一国両制」のねらい

習政権は現在、そもそも香港をどう捉えているのか。1つの手掛かりは、2017年7月、香港で開かれた返還20周年記念式典で、習演説が〝一国両制(2制度)〟の趣旨、ねらいとして強調した以下の4点だ。

 

① 〝一国〟と〝両制〟の関係を正確に把握すること。〝一国〟は根、〝両制〟 は枝であり、根が強固であって初めて枝は栄える。〝一国両制〟を提起した第一の目的は国家の統一を実現しそれを維持するため。国家主権に危害を及ぼし、中央の権力と香港特区基本法の権威に挑戦し、また香港を利用しての本土に対する破壊行為といった活動はいずれも〝紅線(レッドライン)〟に抵触するもので、断じて許すことはできない

 

②物事はすべて中国憲法と、憲法を根拠にして制定された基本法律である香港基本法に従って処理すること

 

③香港の発展に照準を合わせることが第1かつ永遠の課題で、〝一国両制〟の目的は、返還を円滑に進めることに加え、香港の発展促進と、その国際金融、海運、貿易面での地位を保持すること

 

④調和のとれた安定的な社会環境の維持すること。香港はひとつの多元化社会で、いくつかの具体的な問題について様々な意見があり、時に重大な意見の相違があることは不思議でない。ただ、それを〝泛政治化旋渦(非政治的なものを政治化する大きな渦巻き)〝にすることは有害無益で、社会経済発展を阻害する

 

 

 

「一国両制」について描いたイラスト (注)左下「慶祝香港、回帰祖国20周年」、背景は香港島のビル群。舟に掲げられているのは中国国旗と香港旗。 (出所)2017年7月、中国地元各紙が香港返還20周年記念式典での習演説を報道した際に掲載。
[図表1]「一国両制」について描かれたポスター
(注)左下「慶祝香港、回帰祖国20周年」、背景は香港島のビル群。舟に掲げられているのは中国国旗と香港旗。
(出所)2017年7月、中国地元各紙が香港返還20周年記念式典での習演説を報道した際に掲載。

 

ここから読み取れることは何か。①、②から、中国政府の優先順位は〝一国〟次いで〝両制〟であり、基本法はあくまで憲法の下にあるとしたことで、中国政府は〝両制〟を希薄化しようとしているとの認識が内外で広まった。ただ同時に、③、④で香港の安定と発展を強調し、〝両制〟はそれを確保するための手段と位置付けている。

 

つまり、〝一国〟は主権に関わる、譲れない〝紅線〟だが、その中で香港の安定と発展を確保することを最重要課題としている。条例修正を断念しないと香港の安定と発展を脅かされる恐れがあるが、断念自体は〝紅線〟に抵触する話ではないと判断した時点で、審議の暫緩を選択するのは自然なことだったと見るべきだ。

 

米中貿易戦争のさなかであること、また6月末大阪でのG20サミットが目前に予定されていたために、香港が政治的に一層混乱することを避けたい中国政府は暫緩に追い込まれたとの見方が海外を中心に多かったように思われるが、こうした中国政府の香港に対する基本的考え方を前提にする限り、これら要因がなくても、中国政府が結局は同様の対応を採ったであろうことは容易に推測できる。

修正断念の直接的引き金は経済への影響

暫緩決定2日前の6月13日、米国議会で超党派議員が「香港人権・民主主義法案」を提出し、米国政府に対し、香港の自治の程度を再審査し、現在香港に付与している経済貿易面での優遇措置を再評価することを求めた。タイミング的にも、米国でのこの動きが、香港の安定と発展を脅かすおそれがあると中国政府が判断するに至った直接的な契機になった可能性が高い。

 

米国は1992年に制定された「米国・香港政策法」に基づき、香港を中国に返還された後も完全な自治を有する経済貿易地区と見なし、例えば、米中貿易戦争で生じている追加関税措置も香港は適用外とするなどの優遇を付与しているが、これらが見直される恐れが出たためだ。なお、人権法案はこの他、米政府に対し、中国当局に拘束されている香港民主派の調査、民主勢力を抑圧する中国政府関係者の米国入国拒否や米国内資産凍結、イランや北朝鮮に対する制裁を香港特区行政府が履行しているかの調査などを求めている。

 

ただその後、貿易戦争での取引の一環か、米政府の香港問題への言及は控えめになった感がある。米連邦議会議員からは引き続き香港のデモを支持する発言があるが、8月初、トランプ大統領は人民解放軍が何らかの行動を起こす可能性について記者から問われた際、「香港では長期間暴動(riots)が起こっている。中国政府の対応について自分は知らない。いずれにせよ、これは香港と中国の間の問題だ。なぜなら香港は中国の一部だから」と述べ、中国外交部は「この件については、トランプ大統領は2つ正しいことを言った。つまり、これは暴動であること、そして香港は中国の一部であることだ」と〝評価〟している。

 

また暫緩決定をしたタイミングは、(実は水面下では反送中を支持していたようだが)、中国政府との良好な関係維持を重視する立場、さらには修正案が提出された経緯や、形勢がどう転ぶか読めないことから沈黙していた香港経済界の一部が混乱を憂慮する旨発言し始め、金融市場への影響も懸念され始めた時期にも一致している。

 

こうしたことから、一部海外中国語媒体は「中国共産党にとって、香港への政治的影響力を強めたいという欲求より、香港の国際金融面での地位を維持することの方がはるかに重要。香港居民の怒りは〝置若罔聞〟、どうでもよいが、〝銭〟の声は無視できなかった」と皮肉っている。

 

香港経済が中国経済全体に占めるシェアは90年代から大きく低下しているが(97年返還時18%→近年2〜3%)、対外貿易や直接投資の面でなお香港が中国経済にとって不可欠の存在であることは疑いない。中国に流入する外国投資の7割強は香港経由で、中国総輸出に占める対香港輸出(香港を経由して第3国に輸出される分を含む)は近年低下傾向にはあるが、なお10%を超える。

 

[図表2]香港からの直接投資 (注)2018年、19年上期は速報で、金融部門を除いた数値 (出所)中国商務部外資統計、吸収外商直接投資快訊
[図表2]香港からの直接投資
(注)2018年、19年上期は速報で、金融部門を除いた数値
(出所)中国商務部外資統計、吸収外商直接投資快訊

 

 

[図表3]中国総輸出に占める対香港輸出 (注)2018年、19年上期は速報で、金融部門を除いた数値 (出所)中国商務部外資統計、吸収外商直接投資快訊
[図表3]中国総輸出に占める対香港輸出
(注)2018年、19年1~7月は速報
(出所)中国海関統計、国家統計局

直接介入の高いハードル

中国共産党・政府にとって、香港が収拾のつかない「社会動乱」に至っていると判断して、人民解放軍の進攻を含め何らかの直接介入をするために、乗り越えなければならないハードルは、以下のような点から極めて高い。現在、海外でもそうした見方が支配的と見られる。

 

①国際的に〝一国両制〟を失敗だったと認めることになり、中国政府が重んじる〝体面〟を対外的に失うことになる

 

②香港には英、米、カナダを中心に数十万人以上の駐在員・居住者がおり、直接介入のやり方によっては、通常の外交手続きとして、事前に各国に通知して、彼らの香港からの撤退を促す必要がある。それはそもそも手続き面での困難さに加え、経済に大きな打撃を与える

 

③特に軍事介入となると、内外に〝六四鎮圧〟を連想させることになるが、当時、党が北京の隅々を支配していたことと比べると、現状、香港に対する党の支配ははるかに弱く、また多くの人々が容易に当局の検閲を受けない情報に接することができるなど、諸条件、環境が全く異なることを考えると、介入によって中国が支払うことになる対価は、〝六四鎮圧〟に比べてもはるかに大きくなるおそれがある。

想定される3つのシナリオ

単純化すると、以下が考えられる。

①特区政府と北京が抗議活動の要求を呑んで譲歩する

②北京が軍事介入をして事態を収束させる

③譲歩も介入もせず、事態が自然に落ち着くのを待つ

 

上述の通り、②のハードルは極めて高く、当面、その可能性は小さいと思われるが、さらに、②に至る前に、なお3つの〝殺手锏(切り札)〟があると言われている。第1は香港公安条例17条の規定に基づき、特区行政長官が戒厳令を発出すること、第2は香港基本法18条に規定に基づき、全人代常務委が、香港が緊急事態に入ったことを宣言する。この場合、一部メインランドの法が適用されることになる。第3は基本法48条に基づき、特区行政長官が議会の承認を経ずに、香港が特殊な状況になったとして、何らかの新法を発出することである。

 

中国共産党・政府は常に社会の安定確保を最優先課題とし、それを担保するのは経済の安定・発展と考えてきた。まずは香港の社会・経済の混乱を当面回避するために直接介入することがやむを得ないのか否かの判断と、介入がもたらす経済への影響、とりわけその国際金融センターとしてのステータスが大きく損なわれるリスクを天秤にかけることになろう。その上でさらに、上記のような政治面での困難な問題をどうクリアするのか、慎重に考慮する必要が生じてくるということではないか。

 

周知のように、一国両制は返還後50年保障されている。遠い先の話のようだが、あと28年しかない。現下の様々な動きは、それに向けて、中国の香港への関与がどうなっていくかを占う鍵にもなる。

 

 

 

 

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