2019年2月18日、中国共産党・政府が発表した「粤港澳大湾区発展規画綱要」。広東省、香港、マカオをビッグベイエリア(大湾区)として一体的に発展させようとする計画である。ただ、そこには懸念事項もある。特に、6月以降続いている香港の緊張した情勢だ。香港のメインランドに対する警戒感、不信感という計画が克服すべき困難な問題をどうすべきか。壮大な計画の概要とともに、中国政府が抱える課題を考察する。なお、本稿は筆者自身の個人的見解、分析である。

中国共産党・政府発表の「粤港澳大湾区発展規画綱要」

2019年2月18日、中国共産党・政府は「粤港澳大湾区発展規画綱要」を発表した。「粤(ユエ)」は広東省、「港」は香港、「澳(アオ)」は澳門、即ちマカオで、これらをビッグベイエリア(大湾区)として一体的に発展させようとする計画だ(注)

 

(注)中国語では、一般に「規画」は称賛のニュアンスを含み、内容が概括的、全方位的、想定されている時間は比較的長く、事態の発展を大局的観点から観察する場合に用いられるのに対し、「計画」は中性的概念で内容が比較的詳細かつ具体的で、「○○する」という動詞が多用されるという違いがある(華語網)。中国では現在、「5ヶ年規画」も含め、こうした文書は「規画」と称される場合が多い。ただ、日本語では「規画」は通常使用されないため、一般に「規画」も「計画」と訳されており、本稿でも以下、「計画」と記載している。

 

香港返還前の1994年、類似のアイデアが香港科技大学学長によって提起されていたが、中国政府は現行第13次5ヶ年計画(2016~20年)に大湾区建設推進を盛り込んだ。さらに17年10月、習近平国家主席が第19回党大会での演説でこれに言及し、18年3月全人代で李克強首相が綱要をまもなく発表するとしていた。

 

その後、米国との貿易戦争が深刻化し、特に中国がハイテク分野で覇権を握ろうとしているとして米国の警戒感が高まり、本計画も米国を刺激するのではないかとの懸念から発表がずれ込んでいるとの憶測が流れていた。計画は大きな潜在成長性を秘めているが、課題も多い。

 

特に、6月以降続いている香港の緊張した情勢は、香港のメインランドに対する警戒感、不信感という計画が克服すべき困難な問題を示している。

世界12位経済規模の複数都市群発展計画

綱要は香港、マカオと広州や深圳など広東省の9市を含む大湾区を対象とした複数都市群発展計画で(図1)、総面積5.6万㎢(全国シェア0.6%)、2018年時点で総人口7.1千万人(同5%)、総GDP1.6兆ドル(同13%、世界12位の韓国経済規模に相当)、1人当たりGDP2.3万ドル、また広東省9市の経済規模は同省の80%以上を占める。2022年までに大湾区の「総合的な実力を顕著に強化」し、35年までに「イノベーション(創新)を支柱とした経済システムと発展モデルを示す国際科技創新センターを建設」することを目標に掲げ、計画の戦略ポジション(定位)として、香港やマカオの国際面での機能を生かし「一帯一路」建設の柱にすること、メインランドと香港、マカオとの協力深化の範を示すことなどがうたわれている。

 

[図表1]粤港澳大湾区 (出所)香港貿易発展局2018年6月22日付経貿研究掲載地図を基に筆者作成
[図表1]粤港澳大湾区
(出所)香港貿易発展局2018年6月22日付経貿研究掲載地図を基に筆者作成

 

香港、マカオ、広州、深圳を中心的役割を果たす都市と位置付け、各々がその特性・優位性に基づき、以下の分野の中枢になるとしている。

 

●香港-国際金融、貿易、物流、オフショア人民元取引

●マカオ-国際観光・レジャー産業

●広州-国際商業貿易・科技教育文化の中心、総合的交通の要所、国際的大都市

●深圳-経済特区としての機能発揮、経済・創新都市として主導的役割

 

同時に、綱要は各都市が交通インフラの連結を強化する他(図表2)、教育、就業、通信などの面で整合化・交流を推進することとし、具体的には、①域内モバイル決済を共同で普及させることなどを通じてスマートシティ(智慧都市)群を構築、②広東省に香港・マカオ居民の子弟教育を行う学校を設立、③香港・マカオに居住する中国公民がメインランドの国有企業に勤務することを許可し、さらにメインランドで公務員になるための受験資格を与えることを検討することなどが掲げられている。

 

[図表2]大湾区交通インフラの連結強化 (出所)2019年4月9日大湾区東京シンポジウム資料等を基に筆者作成
[図表2]大湾区交通インフラの連結強化
(出所)2019年4月9日大湾区東京シンポジウム資料等を基に筆者作成

計画が抱える4つの課題

他のこうした構想同様、綱要発表後、中国内では基本的に構想の意義を強調し、これを持ち上げる論調が多く出ている。特に習指導部を巡る党内抗争・路線対立が囁かれる中で(参照:『習主席の求心力が低下?「四中全会」で憶測される中国内部事情』、2017年4月に発表された河北省雄安新区計画同様(参照:『習主席が押し進める中国「雄安新区計画」の概要』、大湾区計画は「習主席が自ら計画・組織・推進する国家戦略」(2月18日付新華社)だとして、習指導部がこれを政治的に活用しようとする傾向が顕著だ。

 

他方で、子細に見ると、海外のみならず中国内でも実行するにあたっての課題や問題点を指摘する論調があり、中でも当事者の一員である香港サイドから複雑な反応が示されている。以下、議論されている課題や問題点に焦点を充てて整理する。

 

①均一でない諸制度・規制

 

例えば、大湾区一体化の象徴的インフラである香港・珠海・マカオ大橋(18年10月開通)は、通行に複数の異なる許可や車両保険、珠海市政府への登録が必要。同じく18年10月に開通した香港・深圳・広州高速鉄道も、開業当初の予約システムの不備などもあるが、そもそも越境手続きが必要であることから、極端に言えば、トータル所要時間は在来線と大差ないという話が聞こえる。また、大湾区内で都市を越えてビジネスをする場合、異なる所得税や法人税に直面し、決済や送金で3つの異なる通貨(香港ドル、人民元、マカオのパタカ)を扱う必要がある。(参照:『香港ドルの為替相場制度「カレンシーボード」とは?』

 

ビジネス関係者は総じて構想をビジネスチャンスと捉えながらも、構想具体化には、各都市政府が協調して制度的障害を取り除いていくことが不可欠の前提と考えている。綱要発表後に開催された19年3月全国人民代表大会(全人代)で李克強首相が行った政府活動報告は、10項目にわたる19年重点取り組みの中の「地域協調発展推進」で大湾区計画推進をうたい、「規則の繋がり(衔接)の促進を図る」としているが、それはこの点を意識してのことだろう。

 

②大きい域内経済格差

 

大湾区内の1人当たり所得を見ると、最大のマカオ、および香港は最小の肇慶の約6〜10倍、広東省内でも最も所得の高い広州や深圳とその他都市との間には2~3倍の格差がある(図3)。「国際科技創新センター建設」としているが、広東省内ではハイエンド産業が同省南部、ローエンドの伝統製造業が肇慶、江門、中山などの内陸部に集中する一方、ローエンド産業はグローバル化の中で、新規投資が東南アジアやアフリカに流れる傾向にある。

 

内陸部からは、経済全体の減速も相まって、計画は結局ローエンド産業に依存する内陸部を置き去りにして南部が発展するだけで、省内格差を悪化させることになるとの懸念が出ている。広東省ビジネス業界の反応も一様でない。最先端産業や開発による不動産ブームを期待する不動産業界はメリットが大きいと歓迎する一方、伝統製造業や貿易業者には、計画で何かが改善するとは思われない、むしろコスト増大などで状況は悪化すると否定的に捉える向きが多い(2月22日付香港地元紙)。

 

世界の経済統合の例をみても、必ずしも統合によって直ちに域内格差が縮小しているわけではない(参照:「ASEAN経済統合と後発国」)。域内の一体的発展を図っていく中で、その果実をどう等しく配分していくか、政策当局にとって大きな挑戦となる。

 

[図表3]都市別経済指標(2018年) (注)輸出、直接投資、およびマカオの3次産業比率は2017年数値。一人当たりGDPとGDP/人口に若干かい離があるが詳細不明。 (出所)香港貿易発展局、大湾区東京シンポジウム資料等
[図表3]都市別経済指標(2018年)
(注)輸出、直接投資、およびマカオの3次産業比率は2017年数値。一人当たりGDPとGDP/人口に若干かい離があるが詳細不明。
(出所)香港貿易発展局、大湾区東京シンポジウム資料等

 

③人材移動が大きな鍵

 

上記①、②との関連で、域内で人材の流動化が円滑に進むのかが大きな課題となる。清華大学調査によると、現状、広州や深圳とその他広東省内都市間の人材移動は活発だが、香港、マカオと広東省間の移動は低調(大湾区内の人材移動の約8割は広東省内都市間)。

 

香港、マカオは国際人材が主流だが、広東省の都市は国内人材が中心で、中でも高度人材の流出入先は北京と上海が各々全体の10%、12%以上を占める(以上、2月23日付界面新聞)。香港、マカオは金融、教育、各種サービス部門の人材が豊富、他方、広東省は情報・通信技術、製造業の面で人材が多く、両者は補完関係にあることから、人材の流動化が発展に寄与する余地は大きいが、問題は香港在住の人材がどの程度広東省に行くかだ。

 

香港青少年協会が19年初、15~39歳の香港在住者を対象に調査したところによると、6割弱が大湾区計画を聞いたことがあるが、広東省に行って働きたいと回答した者は4人に1人にも満たない。このため8月、深圳の前海蛇口自由貿易区は香港、マカオからの人材誘致を推進するため、旅費や住居費等の補助、創新プロジェクト立ち上げに対する補助金として使用する1.5億元(約2100万米ドル相当)の財政資金を用意する旨発表した。

 

他方で、香港、深圳双方のビジネス関係者から、「香港の若者は深圳に渡ることを強いられる、または推奨されるべきではない」「大湾区はすべての香港の若者に適した場所というわけではない」「各個人が意思決定すべき話で、当局は情報を提供するだけ」などの冷めた(あるいは当然の)意見がある(8月28日香港で開催されたSouth China Morning Post主催のChina Conference)。

 

人材異動の大きなネックの1つは、香港人がメインランドで1年のうち183日を超えて滞在した場合、メインランドで納税義務が生じ、その税負担が香港よりはるかに重くなることで、これは香港側の大きな関心事項でもある。様々な方法で課税を逃れる工夫をすることになり、それが香港とメインランド間の円滑な人材移動を妨げている。

 

綱要ではこの点についての言及はなく、全人代政府活動報告でも「生産要素流動化とヒトの往来の便利化を推進」と、一般論が述べられただけだったが、3月、財政部と税務総局は大湾区で働く区外(香港とマカオを含む)からの高度技術人材と緊急に必要とされる人材については、所得税増加分の補助をし、その補助は非課税扱いにするとの通知(2019~23年の時限実施)を発出した。さらに5月、若い高度技術人材が大湾区で働き、技術革新や創業に貢献する場合には税免除も検討するとしている。これらも香港からの人材誘致を狙ったものだが、前者については、対象となる人材の認定は広東省と深圳市がその関連規定に従って行うとだけされており、また後者についても、実際にはどういったケースが税免除になるのか不明瞭で、運用に不透明感が残っている。

 

④香港との関係

 

大湾区計画に内在するジレンマをどう克服していくかという最も困難な課題であり、次回の後編で詳述する。

 

 

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