本連載では、章(あや)司法書士事務所代表・太田垣章子氏の著書『家賃滞納という貧困』(ポプラ社)より一部を抜粋し、延べ2200件以上の家賃滞納者の明け渡し告訴手続きを受託してきた著者が実際扱った「家賃滞納」事例を取り上げ、普通の人が貧困に陥らないための予防策やトラブル解決方法を探っていきます。

「部屋を借りる」ことのハードルが下がった理由

最近、若年層の家賃滞納が非常に増えています。その原因の多くは、経済的基盤がなくても、部屋が簡単に借りられてしまうことではないでしょうか。

 

年金代わりにと不動産投資をしたり、相続税対策でアパート経営に乗り出したりする家主が増えたことで、物件数は飛躍的に伸びています。そうして借り手市場となった不動産業界において、家賃保証会社の台頭により、連帯保証人なくして部屋を借りられるようになったことは、「部屋を借りる」ことのハードルを下げたのでしょう。

 

山本加奈さん(21歳)は、すでに4カ月も家賃を滞納していました。しかも、滞納は部屋を借りた直後から始まり、その額は30万円を超えています。

 

このようなケースは、そもそも収入がないのが原因であることが大半です。おそらく加奈さんの場合も、年齢から察するに安定した収入源がないのだろうと予想されました。このままだと将来のある若者が、滞納という借金をどんどん積み重ねてしまうことになりますから、早急に手を打たねばなりません。可能であれば訴訟手続きで追い出すということはなんとか避けたいと考え、家主から相談を受けたあと、すぐに部屋を訪ねてみました。

 

前回の事例のように大概の滞納者は居留守を使うので、現地に赴いても本人に会えることはほとんどありません(関連記事『家賃滞納60万円超…「大手企業の一級建築士」が陥った酒の罠』参照)。けれども、加奈さんはすぐにドアを開けてくれました。

 

入居申込書の職業欄にはキャバクラ勤務と書かれていましたが、どちらかというと地味な印象の加奈さんは、昼間で化粧をしていないせいか、実年齢よりもだいぶ幼く見えました。そしてやはり、滞納の原因は収入の不足でした。思ったほど売り上げが上がっていないようです。この先、収入が増える保証もなさそうですし、これ以上、滞納という借金を積み重ねないためにもとりあえずここは退去して、一度実家に戻ってみてはどうかと促したのですが、それは嫌だと突っぱねるのです。

 

これは家出かな……。直感的にそう感じましたが、ここで問い詰めても仕方がないので、このまま滞納が続けば、この先どのように手続きが進んでいくかを説明し、この日は部屋を後にしました。

怒りの矛先は我が子と意思疎通ができない父親自身に

加奈さんは家賃保証会社を利用しているため、連帯保証人がついていません。緊急連絡先に、お父さんの名前が書いてありました。緊急連絡先なので滞納額の請求等はできませんが、親御さんのお考えを聞いてみようと、気になったので電話してみました。山本俊夫さん、46歳。電話をかけると、加奈さんのことがとても心配だったのでしょう。その時の様子を、一生懸命に聞いてこられました。

 

「親として、どうしたらいいのか分からないのです」

お恥ずかしいことですが、加奈は今までも何度か家出を繰り返しています。そのたびに連れ戻すのですが、家の柱にくくりつけておくわけにもいかず、またスマホ片手に出て行ってしまう。親として、どうしたらいいのか分からない。どこから対応を間違ってしまったのか、何が正解なのか分からないのです。他の親御さんたちには、こんな悩みはないのでしょうか。

 

俊夫さんの苦悩が伝わってきます。

 

昔は電話がかかってくれば、親が電話を取り次ぎ、子どもはリビングで話しました。だから当たり前のように、子どもの考えていることも交友関係も把握することができました。でも個々の通信機器で連絡をとるようになれば、親は子どもの口からしか情報を得ることはできません。思春期の難しい年齢になると、ますます溝は深まります。

 

加奈の姉は、どちらかというと優等生。だから私たちも、子育てをこんなもんだと思ってしまったのかもしれません。だから姉とは違う加奈には戸惑ってしまって、どうしていいのか分からないのです。姉は自分のやりたいことを自分から言ってきて、それに向かって黙って努力する。ところが、加奈は何も言ってこない。高校を卒業して、進学するでもなく、ちゃんと働くでもない。それでちょっと叱ったら、家を出てしまう。

 

今回の家出はいつもより長くて、連絡しても反応がないから困っていたんです。もう経済力がないこんな子に、部屋を貸さないで欲しい。あ、でもそうなると、風俗とかに行かれても困ってしまうか。居場所が分かって、とにかくホッとしました。

 

どうやら俊夫さんも、加奈さんとの間にある深い溝に苦しんでいました。もう成人しているんだから好きにしろと、突き放す様子はありません。怒りの矛先は、我が子との意思疎通ができない自分自身に向けられているように感じました。なんとかして子どもの気持ちを理解してやりたい。電話の向こうの俊夫さんのそんな思いは痛いほど伝わってきました。

 

今回の滞納を機に、親子の関係を改善することはできないだろうか。そう考えた私は、もう一度話をするために加奈さんを訪ねてみました。

「勉強もできないし、私は親に嫌われていると思う」

明るい時間に訪ねると、加奈さんはまた部屋にいました。普段もお店に出る以外は、ほとんど出かけないそうです。派手な生活をしている様子もなく、キャバクラでの仕事を楽しんでいるようにはとても思えません。

 

「お父さんのこと、嫌いなの?」

 

思い切って聞いてみました。加奈さんは黙って答えません。でも、首を縦に振ることはしませんでした。お父さんのことは嫌いではないのに、どうすればいいのか分からない、そんな印象を受けました。

 

「加奈さんの好きなことってなに?」

 

その問いかけをきっかけに、加奈さんは、一気に自分の思いを語りはじめました。

 

加奈は動物が大好き。猫も好きだし、犬も大好き。動物を触っていると、とても気持ちが穏やかになる。加奈は、お酒の場も好きじゃないし、人と会話して盛り上げたり、笑ったりすることも上手じゃない。だからキャバクラの仕事も好きじゃない。でも、働くところがほかにないから。

 

本当は動物に関わる仕事したい。トリマー(犬や猫の美容師さん)とかになれたら、いいだろうな。専門学校に行ってみたい気もするけれど、お金がかかるから。加奈はお姉ちゃんみたいに頭良くないし。親はお姉ちゃんみたいにちゃんと大学に行って欲しかったみたいだし。専門学校に行きたいだなんて、言えなかった。そしたら、フラフラしてるみたいに言われちゃって。加奈は勉強もできないし、親に迷惑かけてばかりだから、きっと嫌われてると思う。

 

俊夫さんが加奈さんのことをとても心配していると伝えると、意外そうな表情をしつつもどこか嬉しそうでした。

 

「加奈ちゃんがやりたいこと、ちゃんと言ってみればいいのに」

 

そう言うと、加奈さんは黙ってしまいます。きっと自分であれこれ考えて、思いを伝えることが上手くできなかったのでしょう。

 

加奈さんは親に遠慮して本当の気持ちを言い出せず、親は親で子どもの思いが分からなくて苛立って、そこに何度かの家出が重なって溝ができてしまったのだと思いました。もっと本音を伝え合い、ちゃんと喧嘩すれば、今からだって、いい関係が築けるかもしれない、なんとかこの親子の橋渡しをしてあげなければ……。私の胸はそんな思いでいっぱいでした。

 

加奈さんの思いを俊夫さんに伝えると、何か思い出すことがあるようでした。大学に進学しなかったことを、一度だけ責めたことがあるそうです。もしかすると、たった一度のその言葉が、加奈さんの心を傷つけてしまったのかもしれません。加奈さんの夢を伝えると、俊夫さんはとても嬉しそうでした。

 

「迎えに行ってきます。親子関係を修復できる最後のチャンスと思って、家に連れ戻してきます」

かつては「家」しか戻る場所はなかったが…

その後加奈さんは家に戻り、滞納額は本人がペットショップでアルバイトして、分割で支払っていくことになりました。念願だったトリマーの専門学校に通いだしたことも、教えてくれました。

 

本音でぶつかる。何でも言い合える。

 

些細なことだと思っていたようなことでも、ほんの僅かなボタンの掛け違いで行き違いになることもあります。「子育ての難しさ」は親なら誰でも感じたことがあるでしょう。一見問題がないように見える家庭だって、大なり小なり悩みを抱えているものです。

 

それでもかつては、家出しても行くところがなく、結局、家に戻るしかありませんでした。どんなに大げんかして出て行った子どもでも、親は受け入れる。そうやって子どもは成長し、家庭内のいざこざはいつしか笑い話になり、やがて親に感謝しながら自立していきました。

 

ところが、部屋が簡単に借りられてしまう時代になり、多くの若者たちは、安全な巣に戻ることなく迷走しています。簡単に借りられる部屋の存在によって起こっているのは、家賃の滞納という問題だけではないのです。

 

 

太田垣章子

章(あや)司法書士事務所代表

 

家賃滞納という貧困

家賃滞納という貧困

太田垣 章子

ポプラ社

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