美しい歯並びはグローバル・スタンダードの身だしなみ
海外の人と交流する際の最低限のエチケットやマナーとして、相手に不快感を与えない「グローバル・スタンダードの身だしなみ」を知っておくことは大切です。身だしなみの基本が「清潔さ」であることは、おそらく万国共通だと思います。
どのような文化圏でも、清潔で、全身に手入れが行き届いている人は好感をもたれるでしょう。それは相手に不快感を与えないだけでなく、「自己管理ができる人なのだろう」という内面的な好印象を促すことにもつながります。
日本人は「清潔好き」とか「きれい好き」とか、「真面目で礼儀正しい」「ルールを守る」「自己管理ができる」「他者に親切」など、海外からの評判は上々です。
日本以外で暮らした経験のある人は、それらのイメージがあながち間違っていないと感じているでしょう。私たち日本人は、自分でも気付かない美徳をたくさんもっているようです。
ただ、身だしなみの面に限っていうと、日本人の意識に長い間のぼらなかった〝盲点〟がありました。それが「歯並び」に対する価値観です。はっきりとした分析がなされたわけではありませんが、日本人はこれまで、歯並びを「他者が目にして、美醜を判断するもの」ととらえる意識が希薄でした。
日本にはかつて「お歯黒」という風習が根づいていました。お歯黒とは、鉄を茶の汁または酢に浸して染色液をつくり、それを歯に塗って歯を染める風習です。アジア各地でも行われてきましたが、日本では古代の上流女性、平安時代の公家や貴族が〝身だしなみ〟として採り入れ、江戸時代には既婚女性の印としてごく一般的に用いられました。当時は歯が見えないほうが奥ゆかしく、女性らしい柔和な印象を与えると思われていたそうです。
日本の庶民に歯磨きの習慣が定着し始めたのも江戸時代だといわれます。末期にあたる
文化・文政年間(1804〜1830年)の頃には、江戸っ子の間で広く普及し、塩などを原料にした歯磨き粉が100種類以上も売られるほど日常的な習慣になりました。歯ブラシは「房楊枝(ぼうようじ)」という、柳などの枝をブラシ状にした専用のものを使いました。
しかし当時の歯磨きの主な目的は、歯を白く保つことと、口臭を防ぐことでした。既婚女性がお歯黒をする一方、男性や未婚女性にとっては、歯が白く、口臭の無いことが、粋で垢抜けた江戸っ子の条件のひとつだったのでしょう。
それに対し、歯並びに関しては意外と寛容だったようです。ひどく不揃いな歯並びを指
らんぐいばす言葉に「乱杭歯」があり、江戸時代の滑稽本『浮世床』には「口は耳の脇まで割けて、歯は乱杭歯」という描写が出てきます。
乱杭歯は現代でいえば重度の叢生(そうせい:歯がでこぼこに並んでいる状態)にあたりますが、八重歯やみそっ歯(欠けて黒くなった歯)の程度なら、それほど気にしなかった節があり ます。明治(1886)年生まれの谷崎潤一郎は随筆「懶惰の説」(岩波文庫『谷崎潤一郎随筆集』所収)に、日本では元来「八重歯や味噌ッ歯の不揃いなところに自然の愛嬌を認めていた」と書いています。
日本人の〝歯並び〟観は、八重歯の女性を「かわいい」と評するなど、現代につながる独特の考え方があったと想像されます。
しかし、その価値観は国際社会では通用しないものです。たとえば八重歯は「ドラキュラのようだ」と敬遠されますし、それを放置していることで、社会的常識や美意識の欠如、育ち、受けてきた教育環境までも疑われてしまうのです。
海外の常識では、悪い歯並びはお金をかけて治すもの
国際社会ではなぜそれほど、歯並びの良さを重視するのでしょうか。
欧米をはじめとする諸外国では、歯並びが悪いと相手に、「歯並びに何の治療も施さないとは、この人物は自己管理能力が無さそうだ」「放置したまま大人になるなど、どういう育ちをしているのだろう」「矯正歯科治療も受けられないほど、経済的に困窮した家庭の出なのだろうか」などといったマイナスイメージを相手にもたれやすくなります。
美しい歯並びを保つことは当然の〝身だしなみ〟であり、それを意識しないのは「マナー違反」「エチケットを知らない」とまで受けとめられてしまうのです。
もちろん欧米にも、顎の骨格や歯の大きさなどの問題ででこぼこな歯列(叢生)に成長してしまう人はいます。しかし、それを矯正できれいに整えず、放置したまま過ごすことは滅多にありません。「歯並びが悪いのは恥ずかしいこと」という認識が広く深く浸透しているため、両親や家族が否応なく矯正歯科治療を受けさせます。身近な友人も「早く治したら?」と注意してくれることでしょう。
たとえ低所得の家庭で育った子どもでも、常識的な考え方をもって真面目に生活している家であれば、家族は何をおいても矯正させます。子どもの将来を考える上で、整った歯並びにすることは、それほど優先順位の高い親の必須義務なのです。
したがって矯正歯科治療を受けることは、きちんとした家庭で注意を払われて育っていることの証しであり、矯正装置を付けている子どもは「大事にされている息子さん、お嬢さん」と見なされます。ですから装置が見えることなど気にせず、彼らは堂々とした笑顔で日々を過ごします。
大人になってからも、歯並びで気になるところが出てくれば見逃しません。すぐに矯正歯科医に相談して改善を施します。欧米では治療よりも予防としてのデンタルケアが一般的ですから、一人ひとりにかかりつけの歯科医師がいるのです。
どれほど歯に気を遣っているか。白い歯が美しく並んでいる状態を保つために、どれほど多くの費用と時間を費やしているかが目に見えて分かる矯正歯科治療は、現代における国際社会のステイタスともいえるのです。