構造問題を巡る対立が再び表面化。6-7月の展開次第に
■米中貿易交渉は、5月5日にトランプ大統領が交渉の遅れを理由に中国からの輸入2,000億米ドル分に対する追加関税引き上げ(10%→25%)を表明したことで、再度エスカレートする展開となりました。今後は、6月1日の中国側の報復措置(米国からの輸入600億米ドル分に対する関税引き上げ)発効、6月28-29日に大阪で開催される主要20カ国・地域(G20)サミット(米中首脳会談の可能性)、米国側の中国からの輸入3,000億米ドル分に対する新たな関税に関する手続き終了(早ければ7月中旬)が重要な節目となります。この6-7月の展開によってその後のシナリオが変わる状況となっています。
対立激化の二つの背景
■今回再び対立が激化した背景には二つの要素が考えられます。第一に、暫定的な合意文書案に対して中国側が広範な修正を求めたことが広く報じられています。補助金や技術移転、知的財産保護などについて法改正を求めるなど、米国が中国の内政分野に踏み込んだ要求をしたことで、中国政府・共産党(の一部)が反発、習国家主席もそれを無視できないと判断した可能性が窺われます。国際ルールと国内政策の境界が不明確な構造問題を巡る協議の難しさが表面化したと考えられます。
■もう一つは、皮肉な展開ではありますが、米中共に景気後退は当面避けられる状況にあったことが妥協を難しくしたと思われます。米国経済が全体として堅調を維持し、米連邦準備制度理事会(FRB)の政策転換を受けて株価も回復したことから、トランプ政権として強硬な(経済や金融市場に多少のストレスをかける)対応が可能になりました。一方、中国は3月の全国人民代表大会(全人代)で2019年の予算をかなり拡張させました。国際通貨基金(IMF)が4月に公表した財政モニターの試算によれば、景気循環調整後のプライマリーバランスの赤字幅は対GDP比で2018年の▲3.8%に対して2019年は▲5.0%に拡大します。すなわち、GDP比1.2%ポイントの財政刺激を意味します。中国もやむ得ない場合には大規模な財政出動で景気を支える準備ができていました。
高まる緊張のもとでの交渉継続
■米国は、3,000億米ドル分の対中追加関税の手続きに加え、5月15日には安全保障上の理由から輸出を規制する外国企業リストにファーウェイを加え、対中圧力を強めています。一方、中国は、劉鶴副首相が5月10日の米中閣僚協議後の中国メディアとのインタビューで「中国は原則にかかわる問題では決して譲らない」と述べています。この「原則」として、11日付の人民日報(中国共産党機関紙)は、①追加関税の取り消し、②中国に要求する輸入額を現実(中国の国内需要)に沿った内容とする、③合意文書は国家主権と尊厳を損なわないものとする、の3点を挙げました。7月中旬とみられる米国の更なる関税発効を一つの期限と考えると、交渉時間は限られる一方、両国の対立の緩和は容易ではなさそうです。
■ただ、今回の場合、米中両サイドが対立を強めつつ、いずれも交渉継続姿勢を維持していることが特徴的です。どちらかあるいは双方が、交渉の落としどころを読み違えるリスクはあるとはいえ、最終的に米中は全面衝突(米国側が残りの3,000億米ドルに高関税をかけ、中国がそれに対して反発、交渉が停止する事態)を回避する可能性が高いと考えられます。
■中国経済は、今回の対立激化によって関税による輸出悪化という直接の影響に加え、企業心理の悪化などによって米国よりも相対的に大きな影響を受けます。当面財政によって景気の底割れを回避することは可能ですが、事態の悪化が続けば、中国政府・共産党が最も警戒する雇用悪化のリスクが出てきます。加えて、大規模な財政出動を続ければ中期的に重要な課題である地方政府債務削減の遅れにつながります。トランプ大統領再選の可能性が低いと見て、中国として交渉進展を遅らせるという戦略も理屈の上では考えられますが、トランプ大統領の支持率は決して低くなく、再選の可能性もあり、危険性が大きすぎるように思われます。また、新たに追加関税をかけられた場合、中国側の対抗手段は限られつつあります。
■米国は経済のサービス比率が高いため、現状の消費中心の景気は安定感があります。しかし、新たに課税手続きに入った中国からの輸入(3,000億米ドル)については、消費者が購入する消費財の割合が4割を超えている模様です(現在の関税対象では2割以下)。夏場に、新たな品目を対象に大幅に関税を引き上げた場合、消費が徐々に抑制され、大統領選挙が実施される2020年前半に景気が失速してくるリスクがあります。実際、どの程度消費(あるいは米国経済全体)が悪化するかについては見解が分かれますが、重要なことはトランプ大統領がそのようなリスクをとるのか、ということです。3,000億米ドル分に対する課税手続きを予想以上に前倒ししてきたことは強硬な姿勢と言えますが、視点を変えれば2019年中にこの問題に一応の決着をつけたいとの意向の反映と言えます。
部分衝突シナリオと経済・金融市場
■以上を考えると、相互に関税を引き上げながら交渉は継続して全面対決を回避するという「部分衝突シナリオ」が当面予想されます。5月10日の閣僚級協議後の記者会見で劉鶴副首相は次の交渉は北京で行うと述べており、米国側がこれに応じるかがまずは注目点ですが、7月中旬に向け、対立点となっている①実施済みの関税の撤廃時期、条件、②企業向け補助金削減や強制的技術移転の問題に関し、中国国内の保守派の反発を回避しつつ、米国側が評価できる枠組みや合意文書の表現、③中国が米国から輸入するエネルギーや農産物の規模、④クラウド・コンピューティング市場の開放やデータ移転規制、などを巡り、双方にとって妥協点(双方にとって可能な部分的譲歩)が探られることになるでしょう。
■先に述べたように、双方の立場の違いと、時間的な制約から考えて、6月28-29日のG20サミットまでに妥結する可能性はないとは言わないまでも、小さいと思われます。交渉がある程度進展した段階で米中首脳会談が日本で行われ、それを受けて米国が対中輸入3,000億米ドル分に対する新規追加関税の実施を遅らせながら、8-9月にかけて決着が図られる可能性が高いと思われます。
■全面衝突の回避をメインシナリオとしていますが、グローバル景気には一定のダメージがあります。米中が今回決定した関税引き上げ(中国分は6月1日発効)について、貿易を通じた直接的な影響を経済協力開発機構(OECD)の付加価値貿易統計を使用して試算すると、中国で▲0.2~▲0.3%、米国では▲0.1%程度の成長率押し下げ要因に止まり、米中以外では新興工業経済地域(NIEs)に▲0.1%程度の影響が予想されますが、それ以外は限定的と見られます。中国については小さくはありませんが、先に述べたように財政を一部発動すれば吸収できると思われます。
■しかし、実際の悪影響は米中以外も含めて、もう少し大きめになると見られます。今回のように先行きが非常に不透明な状態は、景気と金融市場にストレスがかかります。まず予想されるのは、製造業関係を中心に企業心理が改めて悪化する可能性があります。購買担当者景気指数(PMI)など企業心理に関する指標に影響が現れ、不透明な状況が長引けば設備投資関連(資本財の受注など)や雇用に徐々に影響が波及してくる懸念も出てきます。2019年の設備投資(国際産業連関表において固定投資のうち建設投資を除いた部分)が主要国で1%程度抑制されるとすると、中国やドイツに追加的に▲0.2%程度、日米も追加的に▲0.1%程度の影響があり、世界の成長率も▲0.1~▲0.2%低下することが警戒されます。
関税引き上げの米中経済(実質GDP成長率への影響)
■イメージ的には米中交渉の妥結を前提に期待(予想)されていた2019年後半の貿易・鉱工業生産の底打ち、設備投資の回復が、1~2四半期先送りされてしまうケースの蓋然性が高まったとみられます。金融市場の反応について幅やタイミングを事前に予想することは難しいですが、経済データの悪化が成長見通しの下方修正につながっていけば、株価や国債と社債のスプレッドなど、リスク資産のボラティリティが高止まり、金融環境が引き締め方向に変化することになると思われます。米中交渉が難航した場合は、景気データの悪化や金融環境のタイト化が、米中双方の政権に、妥協に向けた圧力をかける展開になることもありえます。
■こうしたシナリオについて第一のリスクは米中交渉の展開そのものです。全面衝突型の展開になり、米国が中国からの輸入品すべてに25%(今回の手続きで定められている上限)の関税をかけた場合は、中国経済にはさらに▲0.5~0.6%の悪化要因となる他、設備投資を通じた間接的な影響も2~3倍に拡大するとみられ、金融市場の反応も厳しいものになるでしょう。確率は低いですが、逆にG20サミットに向けて歩み寄りが見られた場合は、今回市場が織り込んだ悪影響への懸念が消えることになります。
■もう一つ注目しておきたいのは資金フローや為替の動向です。昨年と今年を比較した大きな違いはFRBの利上げ見通しです。金融市場では利上げ期待が消え、利下げが部分的に織り込まれています。米金利に先安観があることは、当面、人民元や新興国通貨の急落リスクを抑制しています。ただ、米国経済の減速感が出てきた時にFRBによる利下げへの期待が強まった場合の円相場の動きは日本にとっては一応の警戒材料と言えます。また、中国の人民元に対するスタンスも注目したいと思います。中国政府が2015~16年に資本流出への対応に苦慮した記憶はまだ新しいところであり、人民元安を容認する可能性は小さいとみられますが、人民元の変動レンジについて中国当局のコミュニケーションに注目することが必要です。
吉川チーフマクロストラテジスト
※個別銘柄に言及していますが、当該銘柄を推奨するものではありません。
(2019年5月17日)
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