公共事業は予算執行が最優先!?
■青ざめる市役所の担当者
*この章では建築構造の専門的な部分にも立ち入ります。こういうことは一般の人は専門家に任せていますが、専門家も必ずしも数値や数式を十分に理解して使っているわけではありません。縦割りの弊害で、誰かがつくった式や数字を、あまり考えずに使っていることがあります。大事なことですので、そのあたりを分かりやすく説明いたします。
ある日、とある市役所の担当者が、建築事務所の設計者と一緒に私の研究室へやって来ました。「市が防災センターを建設するので、防災展示について相談に乗ってほしい」という話です。しかし、図面などを見させてもらうと、展示よりも建物のつくりが気になってしまいました。
「防災展示は手伝うけれど、この建物の耐震はどうなっているんですか?」と私が聞くと、設計者は「免震です」と答えました。すかさず私は「免震だったら僕も得意なんだけど、どんな免震ですか?」と聞きます。
「ごめんなさい。構造設計者じゃないのでよく分かりません」
「じゃ、建物の図面を見せてくれませんか?」
そこで、設計図を見させてもらいます。すると、壁一面がスケスケのガラス。本当に大丈夫?
「免震だからダイジョーブです」と設計者は言い張ります。
「設計で考えた揺れは? 普通の建物より1.25倍は強い? 1.5倍?」「こんなにガラス張りだったら、台風のときに割れちゃわない? 大丈夫?」
私が畳み掛けると設計者は押し黙ってしまい、市役所の担当者も隣でビクビクしていました。十分な検討をしているようにはとても見えなかったので、私が「なぜそんなに焦るの?」と聞くと、市の担当は「市長の任期のうちに、これをつくらなければいけないんです。予算も決まっちゃっていて……」と答えました。今までに何度も経験したことがあるやりとりです。
■地震の揺れを分かってない構造設計者
その後、構造設計者が来てくれました。やり取りをしてみると、さらに情けない話に……。
「この場所で過去に起きた地震は?」
「知りません」
「東南海地震って知っていますか?」
「知りません」
「三河地震は?」
「知りません」
「そのときのここの揺れは?」
「知りません」
「南海トラフ巨大地震の発生確率は?」
「知りません」
アチャー……。
私はあきれながらも南海トラフ地震のことや、中央防災会議が予測した揺れなどについて丁寧に説明していくと、部長は「我々は価格提案の入札で取りましたから設計コストが……」といった反応。
* 某案件を落札した設計会社は免震設計の経験がないのに、免震設計を提案しました。また、被害予測をしたことがないコンサルがある自治体の被害予測を受注しました。いずれも実績づくりです。
* 入札で実力がない業者が落札するのを防ぐために性能発注というやり方もあります。価格だけでなく性能も見るのです。この場合、自治体側に性能を見抜く力がないといけません。発注者側の技量が必要です。
「設計コストが安ければ何でもいいわけ?」
「しょうがないんです」
「市にはどういう説明をしたの?」
「免震は、普通は揺すって安全性を検証しますが、速攻でやる方法もあり、それは安くて早いですと説明しました」
「揺すって」とはこの場合、地震を受けた建物の揺れを時々刻々と再現したり、地盤の揺れやすさを考慮したりする、高度な構造計算を意味しています。その分、手間もお金もかかります。
それに対して「速攻で」とは、もっと簡易な計算による方法のこと。国の認める計算式に数値を当てはめて基準をクリアさせるので、確かに法律は守っています。しかし、それでは地域に応じた設計はできません。特にこの案件のように、いざというときに使う防災拠点のような重要施設の設計ではふさわしくないと思います。
どういうことか、かなり専門的になりますが、できるだけやさしくお話しします。
建物の耐震性…計算式が正しく理解されていない
■数字の意味を勘違い
建物は地震でユラユラと、主に左右に揺れます。その水平方向に揺れることで建物に生じる力を建築用語で「地震層せん断力」で定義します。せん断は「剪断」。「剪」には「はさみで切りそろえる」という意味があります。「植木の剪せん定てい」と言いますね。剪断力には「物をはさみで切ろうとする力」「物体にずれを起こす力」の意味があります。
一般の構造物は、常に自分の重さを支える必要があるので縦揺れには強く、横揺れに弱い。そして、地震では横揺れが多いので、耐震設計は主に横揺れに対してチェックします。地面が横揺れすると、動くまいとする建物は「慣性力」という力を受けます。車を急停止すると前のめりになりますが、その力が慣性力です。バスが急停止したときに、痩せた人より太めの人の方が転びやすいのと同様、慣性力は質量に比例します。重い建物ほど、大きな力を受けるわけです。また、ものが急に止まったり、勢いよく動いたりするほど慣性力も大きくなります。こうした速度の変化率を「加速度」と言います。つまり、慣性力は「質量」×「加速度」で計算するのです。
地震層せん断力は、建物に働く慣性力(地震力と呼びます)によって建物に生じた力です。実際は複雑な計算で出てくる数字なのですが、構造計算の「一次設計」ではおおむね建物の重さに「0.2」をかけた力になります。つまり、建物の重さの0.2倍の力ということです。それだけの力に最低限、損傷しない建物をつくりなさい、という耐震の基準。言い換えれば、国の耐震基準ギリギリの建物をつくると、建物の重さの0.2倍くらいの地震力で、建物が損傷し始めることを意味します。
* 新耐震設計法では耐震性の検討を一次設計と二次設計の2段階で行います。一次設計では、中程度以下の地震に対して許容応力度計算により損傷を防ぐ、二次設計では、大地震に対して、保有水平耐力計算に基づく安全性確認で、損傷は生じても倒壊などを防ぎ、人命を保護する、とされています。要約すると、一次設計は比較的よく発生する中小の地震の揺れには無損傷であることを確認し、二次設計はめったに発生しない大きな地震の揺れに対して、建物は損傷しても人命は守ることを確認する、ということです。
なぜ「0.2」なのかは下記枠囲みの箇所をご覧ください。耐震基準では、「標準せん断力係数」、または「ベースシア係数」と呼ばれます。ベース(base)は基礎、シア(shear)はせん断力のこと。1階の床位置で負担する地震層せん断力を、建物の総重量で割った値とも説明されます。このベースシア係数の意味を誤解している設計者が多くて、困ったものなのです。
下記枠囲みの説明のように、ベースシア係数「0.2」というのは、「平均的に建物が200ガルで揺れることを想定して設計しなさい」ということです。「ガル」という単位は聞いたことがあるかと思いますが、ガリレオ・ガリレイにちなんだ名称で、木からリンゴが落ちるときにもイメージできる加速度の単位。地震の場合は水平方向の加速度を表します。では、建物は「200ガルで揺れる地震」に耐えられればいいのでしょうか? 先ほどの構造設計者に聞いてみます。
* 建物に働く慣性力(地震力)は「質量×加速度」です。質量は「重さ÷重力加速度」です。「重力加速度」は地球の重力が地上の物体に及ぼす加速度なので、地震力は、
質量(重さ÷重力加速度)×加速度
「重力加速度」は約1000ガルですから(重力加速度は980ガル)、
質量(重さ÷1000)×加速度
建物の平均的な揺れを200ガルと想定すると、
質量(重さ÷1000)×200=重さ×0.2
となります。
「建物の安全性の計算はベースシアでやっていますね。じゃあ、一次設計の地盤の揺れは、どの程度で設計しているの?」
「200ガルです」
いえいえ、違うのです。200ガルは建物の構造計算で想定した「建物全体の平均的な揺れ」です。「地面の揺れ」ではなくて「建物の揺れ」。この二つは違います。また、建物の揺れとして200ガルを想定して建てた建物でも、固い建物と柔らかい建物があります。地面にへばりついた要塞のようなビルは固く、コンニャクを立てたようなビルは柔らかい。
地面の揺れが200ガルだったら固いビルは200ガルしか揺れませんが、柔らかいビルは、もっともっと揺れます。また、先ほどから「ビル全体の平均的な揺れ」と言っていますが「平均的」という点も大事です。建物平均の揺れが200ガルなら、建物の上の方は300ガルくらい、下の階は100ガルくらいと思わないといけません。
* 設計するときに「これを使いなさい」という数式があります。数字を入力すると構造計算ができるようになっていますが、数式や数字の意味や背景を知らない設計者が多いのが実状です。
この設計者たちは、200ガルが地面の揺れだと勘違いしていました。だからとってもよく揺れる建物を、軟らかい地盤の上につくっても平気だったんです。こうして一つひとつ問い詰めていくと、彼らもだんだんとヤバさを自覚していきます。隣で聞いている役所の人たちの顔が、青ざめていきます。
「それでも揺すらずにやりますか?」
「工期がありますから」
「今のままで出しといて、計算だけやって確認すればよいじゃないですか。それで、具合が悪かったら設計変更したらどうですか?」
「お金がかかりますから」
「勉強代だと思えばいいんじゃない?」
「とりあえず帰って考えます……」
あらあら。そのまま帰ってしまいました。数式や数字の背景を知らないで設計をしていると、こうなってしまいます。まれに、こんな話に出くわします。
* ここで紹介した、「とある市の防災センター」は、結局、私の意見も取り入れてくれ、当初よりガラスが少ない頑丈な設計になりました。