今回は、サイバーエージェントで評価され、局長になって間もなく、ウエディングパークの社長を打診された経緯を見ていきます。※サイバーエージェントのグループ企業で、日本最大級のクチコミ数を誇るウエディング情報サイトを運営する「ウエディングパーク」。キーエンス出身の敏腕営業が飛び込んだネットビジネスの最先端で、時代の寵児・藤田晋氏とかかわりながら育てたサイトは、これまで何度も危機を乗り越えながら、現在の地位を獲得しました。本連載は、書籍『僕が社長であり続けた、ただ一つの理由』から一部を抜粋し、熱血社長による、ウエディングパーク立ち上げの道のりを紹介します。

野武士のような営業が続々入社する中で…

僕が入社した2000年から3年ほどは、サイバーエージェントは野武士のような腕っ節の強い、自分に自信のある営業が続々と中途入社してきていました。

 

ただ、僕としてはもっと「若さを活かしたチームづくり」をマネジメントの方針として掲げていました。当時のサイバーエージェントとしては、異色だったと思います。

 

チームで勝とうぜ、とメンバーを鼓舞し、みんなで屋形船に行ったり、ホームパーティーをしたりして一体感をつくる。みんなで頑張れる方法を考えて、最後はみんなで結果を出していこう、と盛り立てる。自分の責任の範囲内で、チームとしてできることをやってみたのでした。そして、結果を出していきました。

 

チームで達成を喜ぶ、というカルチャーがそれほどまだなかった中で、僕のチームづくりの取り組みは、藤田社長の目に留まったのでした。当時、年2回あった社員総会で僕は突如、ベストマネージャーとして表彰されたのです。これが、会社で最初のベストマネージャー賞でした。僕は、自分がやっていることは間違っていなかった、と思いました。

 

当時、マネージャーが集まるミーティングが毎週月曜日にあり、藤田社長も交えて営業状況の進捗をチェックする会議が開かれていました。少し自信を深めている中、僕は厚かましいことに全マネージャーたちの進捗を自分なりにまとめて分析し、アシスタントにも手伝ってもらって藤田社長に見せたことがあったのでした。

 

藤田社長に呼ばれたのは、それから何日も経たないうちでした。

 

「ちょっと日紫喜君、いい?」

 

社内のカウンターテーブルだけがある場所で

 

「今度から、局長でいいから」

 

と藤田社長から伝えられました。

 

こうして入社3年目、2003年に僕はサイバーエージェントの五つの営業部隊のうち、一つを率いる局長に抜擢されたのでした。社長の間近で仕事をする会社では、いかにとんでもないことが起こり得るのか、このときに痛感しました。

 

部下は20人ほどになりましたが、以降も僕は、自分流を貫くことになります。

 

「水曜だけでも定時に帰ったほうがメリハリがついて頑張れるんじゃないか」と、当時チームメンバーだった新入社員から提案を受け、毎週水曜日をラッキーウェンズデーにしたり。また、この頃、自宅が近所だったというご縁もあり親しくさせていただいていた投資担当の役員の方と交流しながら、経営のアドバイスを親身にいただく機会にも恵まれました。本当に感謝しています。

 

しかし、局長としての仕事は1年もできませんでした。ウエディングパークに行くことになったからです。広告代理事業ではなかなか利益率が高まっていかない中、サイバーエージェントが注目したのがメディア事業でした。藤田社長としては、一つのメディアで勝負するのではなく、いくつか種を蒔き、小さく生んで大きく育てていくことを考えていました。そして、その新規事業メディアの一つが、ウエディング領域でした。

藤田社長に打診された「ウエディング会社」社長の仕事

サイバーエージェントは基本的にM&Aをしません。しかしこのとき、「ウエディング」とグーグル検索すると、検索結果の一番上に聞いたこともないサイトが出ていたのです。それが、ウエディングパークのサイトでした。このことが、藤田社長のアンテナに引っかかったのでした。こうして買収が決まるのです。

 

100%子会社になれば、誰か責任者をおかなければなりません。そしてある夜、僕はまたしてもオフィスの端っこにある小さなカウンターテーブルに呼ばれ、藤田社長にこう問われました。

 

「日紫喜君、ウエディングの会社をやることになったんだけど、やってみる?」

 

ウエディングといわれて、自分の結婚式を思い出していました。京都のホテルで、こだわりの結婚式を僕たち夫婦はしていました。

 

当時、27歳。会社で一定の結果が出ていて、そろそろ何か自分で、という沸き上がるものがありました。そして何より、僕は誰かを感動させるような何かをつくりたかったのです。そういう会社の社長をやりたかった。ウエディングのビジネスは願ってもない話でした。これは、運命だ、と直感しました。

 

「ぜひ、やらせてください」

 

その場で即答しました。買収を決めたウエディングパークがどんな状況だったのか、僕は何も知りませんでした。会社がつぶれかかっていたこと、しかも、半年以内に結果を出さなければ会社は存続できない、と知ったのは、それからしばらく経ってからのことです。

 

 

日紫喜 誠吾

株式会社ウエディングパーク 代表取締役社長

 

僕が社長であり続けた、ただ一つの理由 ウエディング業界に革命を起こした信念の物語

僕が社長であり続けた、ただ一つの理由 ウエディング業界に革命を起こした信念の物語

日紫喜 誠吾

幻冬舎メディアコンサルティング

ウエディング業界の常識を変えた革命児の揺るぎない「信念」とは? 誰もが「失敗する」と笑ったビジネスでなぜ成功することができたのか。 20年続くあるベンチャー企業の軌跡。 役員・従業員の大量離職、 事業の方向転換…

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