相続対策は、親が認知症になる前にしておかなければなりません。「相続対策」と銘打つものは、そのほとんどが法律行為であり、認知症になると意思能力がないと判断され、その法律行為が無効とされてしまうためです。本記事では、年間700件の相続税申告・減額・還付業務を取り扱う、フジ相続税理士法人・代表社員の髙原誠税理士が、認知症対策を怠ったことで、先祖から受け継いだ財産を大きく減らしてしまった失敗例を紹介します。

認知症になると「法律行為全般」が無効と判断される

東京都にお住まいの賀来さま(仮名)のお家は、同地で古くから続く地主です。賀来さまのお父さまは、大通りに面する100坪の自宅や複数の土地、アパート、神奈川の山奥に山林などを所有しており、資産総額は10億円を超えます。

 

 

賀来さまのお父さまはもっぱらアパート経営で生計を立てられ、その管理は近くの不動産会社に任せており、普段は、近くの公園を散歩したり、テレビを見たりして、悠々自適な生活を送っていました。

 

しかし、80歳を過ぎたころから物忘れが激しくなり、同じことを何度も繰り返すようになりました。「おかしい」と思った賀来さまのお母さまは、お父さまを病院に連れていくと、医師から「認知症」を告げられました。さらに悪いことに、リハビリの一環として公園に出かけたとき、石につまずいて転倒、大腿骨を骨折してしまい、それがもとで寝たきりになってしまいました。

 

そのような状態のなか、相続のことが気になった賀来さまは、筆者のところにご相談にいらっしゃいました。まず事務所で概要を伺い、続いて、ご自宅にも訪問しました。ご自宅では、お父さまと会話を試みましたが、思うようにコミュニケーションがとれません。衣食住、介護者の支援がないとままならない状況が見てとれました。

 

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これを踏まえ、賀来さまには、あらかじめいただいていた財産資料を基に計算した、予想相続税額を提示したうえで、「相続財産のなかには不動産が多く、納税資金の不足が見込まれます。ただし、大変申し訳ありませんが、認知症である以上、具体的な対策をご提案することは難しいです」と申し上げました。

 

◆認知症=意思能力がない

 

一般に、認知症になると、意思能力がないと判断され、「金融機関の預貯金の引き出し、解約」「不動産の建築、売買契約」「賃貸借契約」「贈与契約」「生命保険への加入」といった法律行為全般が無効と判断されます。

 

こうした本人の法律行為を支援するための制度としては、さまざまなものがありますが、認知症になってから利用できるものは「法定後見」しかありません。これは「成年後見制度」(※)のひとつで、「本人の身上監護を通じた人権保護」を趣旨とする同制度の方針が厳密に適用されるため、「被後見人(本人)名義の土地を担保にローンを組み、土地に建っているアパートを建て替える」など、「被後見人の財産を積極的に運用する」ことは、原則として認められません。そのため、多くのケースで財産が塩漬け状態になり、相続対策を講じることが、ほとんど不可能になってしまいます。

 

そのため、賀来さまに上述の言葉をお伝えしたのでした。

 

(※)成年後見制度・・・認知症などによって意思能力が衰えた場合に、本人に代わって、財産の管理や契約等の法律行為を行う者を定め、本人を支援する制度。これによって、法律行為の継続が可能となり、生活の利便維持が期待できる。

認知症対策として「任意後見」や「家族信託」が有効

◆任意後見と家族信託

 

財産管理において、認知症対策は必須です。具体的な方法としては、「任意後見」と「家族信託」などがあげられます。

 

まず、任意後見とは、公正証書による契約により、本人が元気なうちに後見人となる者を自ら選任しておくもので、将来、本人の判断能力が低下したときに、家庭裁判所へ任意後見監督人の選任を申し立てることによって、あらかじめ定められた者が任意後見人となり、後見が開始されます。成年後見制度の一種であり、法定後見に比べ、比較的、自由な内容を契約に組めることに特徴があります。

 

ところで、後見人による財産の使い込みなどの不正は、平成26年の831件(被害総額56億7千万円)をピークに減少傾向にあるものの、直近の平成29年でも被害額は10億円以上となっています。この点からも、後見制度を利用する場合は、「本人の信頼できる者」を指定できる、任意後見を選択することが得策です。その際は、認知症ではないものの、病気で動けない、足腰が不自由といった状態でも、本人の法律行為が継続できるよう、通常の「委任契約」も締結するのがよいでしょう。

 

[図表1]厚生労働省「成年後見制度の利用の促進に関する施策の実地の状況」(平成30年5月)
[図表]成年後見人等による不正報告件数・被害額
出所:厚生労働省「成年後見制度の利用の促進に関する施策の実施の状況」(平成30年5月)

 

次に、信託とは、自己の財産を信頼できる者に託してその財産を運用させ、そこから生じた利益を、指定した受取人に与える枠組みをもった契約をいい、このなかでもとくに営利を目的としないものは「家族信託」と呼ばれます。信託契約では、託す財産を「信託財産」、自己の財産を託す人を「委託者」、託される人を「受託者」、また利益を受ける人を「受益者」といいます。

 

信託を行うと、信託財産の所有権が委託者から受託者に移転し、受託者名義で契約行為を行えるようになります。さらに、受益者には、信託財産にかかる経済的利益を受け取る権利(受益権)が発生します。

 

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家族信託の活用方法としては次のようなものがあります。たとえば、アパートなどを信託財産とし、アパートを保有する、将来認知症を発症する恐れのある親を委託者、そして子を受託者とします。このような信託契約を設定すると、親に代わって、子がアパート等の財産の管理や運用をすることが可能になり、万が一、親が認知症を発症した場合でも、アパート経営を継続することが可能になります。

 

 

これらの対策は、いずれも非常に有効なものですが、被相続人となる者が認知症を発症したあとでは設定することはできません。厚生労働省によれば、健康上、問題ない状態で日常生活を送れるとされる健康寿命は、男性が72.14歳、女性が74.79歳となっています(いずれも平成28年)。つまり、少なくとも親が70歳を過ぎた段階で、認知症に対する危機感を持つべきといえます。

 

賀来さまのお父さまの認知症はひどく、賃貸経営に関わるアパートの入居者との契約の更新などは、お母さまと賀来さまが行っていました。しかしこれは、本来、法律的には無効です。このような事態を避けるためには、アパート経営に関する家族信託契約を、お父さまがお元気なうちに締結しておくべきでした。そうすれば、お父さまがアパートの所有者のままでも、賀来さまとお母さまが賃貸管理を行うことができるようになります。

 

◆賀来さまのその後

 

お父さまはその後、亡くなられましたが、かねてより賀来家と不仲だった賀来さまのお兄さまから、「父親が認知症なのをいいことに、生前、2人が勝手に金を使い込んだ」と難癖をつけられ、損害賠償を請求されてしまいます。たしかに、賀来さまとお母さまは、お父さまの預貯金を下ろして、それを介護費用等に充てていました。

 

つまり、善意で財産管理を行っていたわけですが、お二方は、お父さまから財産管理の委任を受けていることを証明する資料等を作成していませんでした。そのため、お金の使い込みがないことを証明できず、この請求は認められてしまいます。さらに、お兄さまは法定相続分による財産取得を主張し、お兄さまにある程度の財産が行く形となりました。

 

さらに、相続財産の多くが不動産であり、相続税は現金一括納付が原則のため、納税資金が足りません。そのため、先祖から受け継いだ土地を手放さざるを得ず、さらに、申告期限までに現金化する必要があり、不動産業者からは「売り急いでいる」と足元を見られて、大切な不動産を安い値段で買い叩かれる悲劇にも見舞われました。

 

こうならないためには、お父さまが認知症になる前に相続税の金額を計算しておき、不動産を前もって売却して、得られた現金をお母さまや賀来さまに少しずつ贈与しておく必要がありました。また、お父さまがお元気なうちに任意後見契約や委任契約を結んでおいて、お二方が財産管理の委任を受けていることを証明できるようにしておく必要もあったのです。

 

今回の相続によって、賀来さまは不動産の多くを手放すことになり、財産を減らすことになってしまいました。相続対策は、相続が発生する前にするものですが、正確には、被相続人となる者が「認知症になる前に」しておかねばなりません。相続対策は、親が元気なうちに始めるのが重要だということを、この事例は教えてくれています。

 

 

髙原 誠

フジ総合グループ/フジ相続税理士法人 代表社員

税理士

 

 

 

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