遺産分割の偏りで、非医師の子からクレーム発生
都内で耳鼻科を個人開業していた70代のCさんが亡くなりました。Cさんは相続対策に積極的で、自分で相続関連の本を読んだり、クリニックの顧問税理士にも相談したり、自分でできる対策はしていました。遺族間同士の争族を避けたいという思いから、遺言書も作成していました。
ところが、悲しいことにその遺言書がトラブルの種になってしまいました。というのも、Cさんは遺言書に、「自宅は妻に、クリニック関連の資産は後継者の長男に相続させる。残りは二男に相続させる」と書いていたのです。作成には顧問税理士がアドバイスをしており、法的にもきちんと効力を持つ遺言書になっていました。
Cさんの遺産で大きなものは、自宅の土地建物と預貯金、そしてクリニックくらいでした。妻が自宅を相続し、長男がクリニックを相続すると、残るのは預貯金です。二男がそれを相続するわけですが、実はCさんは生前に難しい病気を患い、健康保険の効かない高額な先進医療を受けていました。1回百万円近くする治療を何度も受けていたために、蓄財の多くを使ってしまっており、手元に残ったキャッシュはわずか数百万円にまで減っていたのです。
死後にCさんの懐具合を知った二男は、自分が数百万円しか相続できないことを知り、憤然としました。「クリニックは数千万円分にもなるじゃないか。兄貴がそれだけもらうなら、自分も同じだけもらう権利があるはずだ。こんな少ない額で引き下がれるわけがない」
二男の言い分はもっともです。日本の民法では、相続順位が同列なら法定相続分も平等です。しかも、法定相続人には「遺留分」といって「最低限これだけはもらえる」という取り分が保障されています。Cさんの遺言書は、二男の遺留分を大きく侵害する内容になっていました。
かといって、長男がもらう遺産はクリニック関連の資産ですから、二男に分けても迷惑なだけです。大事な商売道具ですから、売ってお金に換えるわけにもいきません。妻も夫が遺言書を作っていることは知っていましたが、詳しい内容までは関知していなかったようで、「まさか、こんなことになるなんて」と困惑するばかりでした。どうしていいか分からなくなった2人は、顧問税理士に「どうか力になって」と訴えましたが、「自分には荷が重い」と及び腰になってしまったようです。そもそも顧問税理士に相談して作った遺言書がトラブルの元になっていることもあり、妻と長男は彼に頼ることを諦めて、伝手をたどって私に相談してきてくれました。
その後、二男を交えた3人と私で何度も話し合いの場を持ち、妥協点を探りましたが、全員が納得する落としどころは見つかりませんでした。業を煮やした二男が弁護士を連れてきて、裁判を起こしました。
結局、Cさんの死亡によって長男に支払われた生命保険金を二男に渡すことで一応の決着はしましたが、兄弟間の交流は断絶したままです。
長男が二男に払った保険金は、実はCさんが「相続税の納税資金用に」と長男に残したものでした。これを失ったことで、長男は納税資金を別のところから用立てなくてはならなくなりました。
一方で、Cさんは二男にも長男に支払われたのとほぼ同額の生命保険金を残していました。クリニックという換金性のない遺産をもらって納税に苦しむ長男と、自分が受取人の生命保険金を受け取ったうえに、長男からもお金をもらった二男……こうして最終的な経済状況を見ると、二男のほうがはるかに恵まれているように見えてしまいます。
生命保険金は厳密にいうと、遺産ではありません。受取人が長男であれば長男の財産、受取人が二男であれば二男の財産と見なされるからです。つまり、遺産にカウントされない生命保険金は、いくらもらっても相続したことにはなりません。Cさんが生前に二男に対して、「この生命保険金は法律上は遺産ではないけれど、私は遺産のつもりで君にあげるから、相続のときには遺産が少なくても、それで納得しておくれ。長男に渡す生命保険金は納税用のお金で、長男の財産になるわけではないんだよ」などと説明できていたら、二男も気分を害することはなく、事態はここまでややこしくならなかったかもしれません。
Cさんの残した遺言書は法的には間違っていませんでした。遺言書を作成した時点では、何千万円かの預貯金があり、長男と二男とで大きな遺産の偏りが出ない予定になっていたのでしょう。けれども、Cさん自身が発病して治療費がかかった点を反映できていなかったことが、ここまで大きな災いを呼んでしまいました。
Cさんの顧問税理士とも一度お話させていただきましたが、顧客想いの誠実な先生でした。「まさか自分が携わった遺言書がこのような火種になるとは思わずに、親身にアドバイスをしたのに……」と、深く悔やんでいらっしゃいました。Cさんのそのときどきの状況にあわせて遺言書を更新するよう、もう一歩踏み込んだアドバイスができていれば、顧問税理士の先生自身も傷つかずに済んだはずだと思います。相続のコンサルティングをするうえで、常にクライアントの状況に敏感でなくてはいけないと、私自身も勉強させていただく一件でした。
遺留分を侵害すると争族のリスクが跳ね上がる
開業医の相続では、病院関係の資産を後継者に持たせることになります。出資持分をはじめ、病院の建物や土地を被相続人が個人で所有している場合は、それらも基本的には後継者に渡ります。すると、後継者の相続分が圧倒的に多くなり、後継者以外の子の遺留分を侵害してしまうことがあります。
遺留分というのは、相続人が「最低でもこれだけはもらえる」という法的な保障のことです。その割合は、直系尊属のみの場合は法定相続分の1/3、兄弟姉妹にはなし、それ以外の場合は1/2となっています。
被相続人も相続人も、他人の遺留分を侵害することは許されません。相続する本人が、遺留分より少ない取り分でもいいと了承している場合のみ、遺留分を超えての分割が可能になります。
もし遺留分を侵害されて納得がいかないという場合は、「遺留分減殺請求」を行使することができます。行使可能な期限は、相続の開始および減殺すべき贈与または遺贈があったと知った日から1年以内です。遺留分が侵害されていることを知らずに相続の開始から10年が経過してしまうと、時効になってしまい行使することはできません。
遺産分割は法定相続分に従っても従わなくても構わないのですが、遺留分を超えての分割は争族になりやすいことを考えると、基本的にはおすすめできません。どうしても遺留分の侵害が起きてしまう場合は、侵害される子に対して、「なぜ、こういう分割になったか」をきちんと説明し、納得を得るように言い含めておくべきです。生前に話すことが難しくても、せめて遺言書にはしたためておきましょう。
遺産を少なくもらう子へのフォロー遺産が少なくなる子へのフォローとしては、病院関係以外の資産を渡すのが通常です。たとえば現預金を多めに渡したり、収益不動産を購入して贈与したり、生命保険金が入るようにしたりといった対策があります。
ほかには、遺産を多くもらった子から少なくもらった子に金銭を渡し、不公平の埋め合わせをするという方法もよく行われます。これを「代償分割」といいます。
遺産分割の偏りは、相続税がかかる、かからないにかかわらず、どの相続にも起きてくる可能性がありますから、どこの家庭でも代償分割について考えておく必要があるでしょう。まず大前提として、代償分割で支払われるお金(代償金)は、支払う側の財産から出さなくてはなりません。無責任な税理士が「相続した預金を代償分割に充てればいい」などとアドバイスをすることがありますが、それは代償分割にはなりません。被相続人が相続した現金・預金から支払うと、贈与とみなされ、贈与税を払うことになってしまいます。
代償分割をすることになるか否かは、対策の段階で分割を考えるときに大体予想がつきます。必要であれば、親は代償金を支払うことになる子に対して、十分な原資を渡しておいてあげなくてはなりません。代償金対策としては、生前贈与で十分なキャッシュを渡しておく、その子を受取人にして生命保険に入っておく、信託を使って確実にキャッシュが渡るようにするなどがあります。
どうしても代償金が捻出できない場合は、金融機関からの借入や分割払いなどで支払っていくことになります。
代償金をもらう側は、支払う側の重い経済的負担を理解する必要がありますし、それを理解させるのは親の役割だといえるでしょう。
開業医一家の相続における「兄弟平等」とは何か
争族のリスクを小さくするという意味において、「相続は兄弟平等に」という考え方はとても大切です。ただ、何をもって平等と考えるかは各家庭で違ってきます。
「金額的な額が同じになるように遺産分けをする」ことが平等であるとする考え方もあれば、「責任の重さに応じて遺産額を変える」ことが平等であるという考え方もあります。
たとえば、後継者には病院を守っていくという重い責任がかかりますから、その分、多くの資産を与えるのが平等かもしれません。医師の子に多くを与えると非医師の子から文句が出やすい傾向はありますが、非医師の子にぜひとも知っておいてもらいたいのは、「そもそも出資持分というのは換金性がない」ということです。
金額として見ると大きく見えますが、実際には現金化できない性質のものですから、自分のお金としては1円も使えません。むしろ、それを引き継ぐために相続税を背負わなくてはならないのです。そう考えれば、病院経営の苦労もなく、相続税負担も軽く、現金など自分で使える資産で何千万円かもらえた非医師の子のほうが、はるかに恵まれているともいえます。その点を、後継者でない子には理解してもらいたいものです。