※ 本記事は、2015年12月21日刊行の書籍『虚像のトライアングル』から抜粋したものです。その後の税制改正等、最新の内容には対応していない可能性もございますので、あらかじめご了承ください。

反証を一切許さない自然科学的証明である必要はない

私は、交通事故の因果関係の証明、すなわち、交通事故から怪我をして、怪我によって後遺障害が残ったということの証明についても、通常の民事事件と同様の手法で判断すべきであると考えている。交通事故における因果関係の証明では、どれほど周辺事情から疑われても、ただ一点、それを直接証明できなければ負けてしまうのだ。

 

では、交通事故以外の事件では裁判所はどのように判断しているのだろうか。有名な1975年の最高裁判決、ルンバール事件判決を例に挙げてみよう。この事件を簡単に説明する。

 

化膿性髄膜炎を患いながら快方に向かっていた3歳の子どもに対して、医師と看護師がルンバール施術(腰椎に針をさして髄液を採取し、ペニシリンを髄液に注入する検査治療)をしようとした。その子どもはルンバール施術を嫌がって暴れていたが、医師と看護師は外出の予定があったため、脳の血管が弱っていた暴れる子どもを無理やり押さえつけて施術を実施した。

 

その検査から15分後くらいに子どもが突然激しいけいれんを起こし、嘔吐に襲われ、脳出血し、右半身麻痺や言語障害などの重篤な後遺障害が残ったという事件である。

 

この事件では、右半身麻痺や言語障害などの後遺障害が脳出血によるものであることは争いがなかったが、その脳出血がルンバール施術によるものか否か、その因果関係が強く争われた事件であった。

 

この事件では、訴訟中に多数の鑑定が行われたが、脳出血がルンバール施術によって起きた可能性は否定されなかった。しかし、かといって確実にルンバール施術が原因であると決定づけることもできなかった。その結果、ルンバール施術が原因で脳出血が起きたかどうか不明であるとされ、高裁で敗訴してしまったのである。

 

交通事故に引きなおして説明すると、因果関係は、交通事故(ルンバール施術)から怪我(脳出血)が発生し、怪我(脳出血)から後遺障害(右半身麻痺、言語障害)が発生したというケースである。そして怪我から後遺障害が発生することに争いはないのだが、交通事故から怪我が発生するかが争われているということである。そして、交通事故から怪我が発生した点について、それを証明できる直接的な証拠がないという状況である。まず、交通事故であれば敗訴する状況であろう。

 

ところが、最高裁は高裁の判断を逆転させ、ルンバール施術と脳出血の因果関係を認めたのだ。その理由として、法的に因果関係が証明されたといえるためには、反証を一切許さない自然科学的証明である必要はなく、通常、人がその因果関係に疑いを差し挟まない程度の証明レベルで足りるとしたのである。

 

つまり、ルンバール施術によって脳出血が引き起こされたことの完全な証明ができず、他の原因、たとえば既往症である化膿性髄膜炎の悪化という可能性を完全に排除できなかったとしても、ルンバール施術から脳出血が起きたことに、通常の人が疑いを差し挟まない程度の証明ができれば十分だということだ。

 

ルンバール施術から脳出血が起きた可能性が直接証明しきれなかったのだから、化膿性髄膜炎の悪化によって脳出血が起きた可能性もゼロではない。しかし、全体として見れば、化膿性髄膜炎は快方に向かっていて急に悪化するとは考え難いこと、施術直後に発作を起こしており施術のせいで発作を起こした可能性がかなり高いこと、脳の血管が弱っていた子どもを無理やり押さえつけるなど、脳出血を引き起こすに足りるような状況で施術を行ったことなどから、ルンバール施術から脳出血が起きたことに疑いを差し挟むことはできないとしたのだ。

 

交通事故でいえば、事故によって怪我を負ったことを十分に証明できる直接的な証拠がなかったとしても、事故前には元気であり(化膿性髄膜炎の悪化がなく)、事故直後から症状が発症しており(施術直後に発作が起きており)、怪我を負ってもおかしくない事故(脳出血を引き起こしうる施術態様)であった以上は、交通事故から怪我をしたと認定できるとしたのである。

主治医の診断の正否に偏重する「交通事故裁判」の判決

本来、法的な事実認定とは、ルンバール事件の判決のように、あらゆる事実に光を当てて、矛盾なく説明できる仮説を立てていく作業であるはずだ。しかし、交通事故に限っては、なぜか主治医の診断が正しいか否かが因果関係の問題となってしまっており、主治医の診断に疑いを抱かれてしまえば、何が正しいのかを審理してもらえずに敗訴してしまうのである。

 

事故直前まで元気であり会社も休まず働いていたことや、事故前になかった症状が事故直後から出ていること、交通事故以外で特に後遺障害の説明がつく原因が存在しないことなどの事実は、裁判所はどのように説明するのであろうか。交通事故で症状が発生したのでなければ、何が原因だと説明するのであろうか。

 

裁判所は、交通事故被害者の事故前の状況、事故後の状況、他の原因から後遺障害が発生する可能性といった、事故前後のあらゆる事実に光を当てた審理をすべきである。

 

そのことが、裁判所の画一的な審理を脱することになり、被害者一人ひとりに寄り添った裁判の実現となるのではないだろうか。

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    平岡 将人

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