規模の小さなクリニックが「人事部」を整えるのは困難
病院と比較すると、クリニックはスタッフの管理に関して組織的・専門的な対応を取りにくいところがあります。
規模の大きな病院では人事部が設置されており、人事労務上の問題に対して専門的な対策を講じることが可能です。しかし、規模の小さなクリニックでは、予算の面でも人材の面でも人事部を整えることは困難です。
なかには分院が複数あり、事務部門の事務長が人事部長を兼ねて対応しているクリニックもありますが、数は多くありません。
社会保険労務士のサポートも有効
ちなみに、こうした人事部や事務部門を持たないクリニックにおいて人事労務トラブルを防止するための方法のひとつとしては、社会保険労務士事務所のサポートを得ることも有効な手段となりえます。
社会保険労務士(以下「社労士」という)とは、社会保険労務士法に基づいた国家資格者です。身近な職種とはいえないので、社労士がどのような仕事をしているのか、具体的にイメージできない人も多いでしょう。その団体である全国社会保険労務士会連合会のオフィシャルサイトでは、社労士の業務の中身を以下のように案内しています。
社労士は、「ヒトを大切にする経営」を実現するため、良好な労使関係を維持するための就業規則の作成・見直しをお手伝いします。また、労働者の皆さまが納得して能力を発揮できるような賃金制度の構築に関するアドバイスなど、人事・労務管理の専門家の目でそれぞれの職場にあった、きめ細やかなアドバイスを行っています。
①雇用管理・人材育成などに関する相談
社労士は、人事労務管理の専門家として、適切な労働時間の管理や、優秀な人材の採用・育成に関するコンサルティングをご提供し、企業の業績向上につながるご提案をします。
②人事・賃金・労働時間の相談
社労士は、豊富な経験に基づき、企業や職場の実情に合わせた人事、賃金、労働時間に関するご提案をします。
③経営労務監査
社労士は、就業規則や法定帳簿等の書類関係のほか、実際の運用状況についてまで監査を行うことで、企業のコンプライアンス違反だけでなく、職場のトラブルを未然に防止することができます。
ここに示されているように、社労士は人事労務にかかわる問題を幅広く取り扱っています。そのため、スタッフとの間でトラブルが起これば、そのアドバイスを得ることによって問題を早期に解決することが期待できるわけです。人事部や事務部門を設ける余裕がないクリニックにとって、社会保険労務士事務所は、万が一のときの心強いパートナーになることは間違いないでしょう。
人事労務管理に問題があると、労基署の調査対象に
人事労務管理に問題がある場合、労働基準監督署(労基署)による調査の対象となる恐れもあります。後ほど詳しく触れますが、近年、医療機関に対しても労基署の調査が頻繁に行われており、「病院はもちろん、クリニックであっても、いつ労基署が調査に入っても珍しくない時代になった」といわれています。
そこで、万が一、労基署の調査があったとしても、「どのように対応すればよいのか。そもそも一体どんな調査が行われるのか。」などと慌てないようにその概略について以下に解説していきます。
まず、労基署の調査が実施される要因としては大きく分けて3つあります。
第一は、定期調査です。これは最も一般的な調査であり、労基署が対象事業場を計画的に選別して行います。年度ごとに業種を絞って、その業種に属する事業場を中心に実施されることになります。その中に医療が対象事業場となる年度も存在するわけです。
第二は、内部通報です。具体的には、在職者または退職者からの「うちのクリニックでは年次有給休暇の取得を認めてくれない」「残業代をまったく支払ってくれない」などといった“タレコミ”がきっかけとなって調査が行われることになります。
第三に、事業者側の違法行為にたまたま監督官が気づいたことが調査の端緒となるケースもあります。例えば、違法行為を告発するSNSへの投稿や毎日夜中まで電気がついているクリニックを目にしたといった偶発的な事象がきっかけとなります。
これらのきっかけの違いに応じて、調査の態様や中身はそれぞれ異なります。
まず、定期調査の場合であれば、法律の定めを遵守して人事労務管理が行われているか否かがチェックされることになります。具体的には、「雇用契約書・就業規則は作成されているか」「給与の支払いは適切に行われているか」「健康診断は適切に実施されているか」「違法な過重労働はないか」「必要な協定書がきちんと作成されているか」などについて調べられることになります。
また、内部通報に基づいて調査が実施された場合には、通報の中身の当否について重点的に取り調べられることになります。例えば、「残業代がまったく支払われない」という通報の場合には、給与全般の支払い状況等について調査が行われます。また「年次有給休暇の取得ができない」という通報の場合には、就業規則や出勤記録等について調査が行われます。
実際に行われている調査は、その多くが労働環境に不満を持ったスタッフからの内部告発によるものと考えてよいでしょう。
とりわけ、職場に以下のような状況等が存在する場合には、内部告発が行われる可能性が高いといえます。
●残業代がまったく支払われていない
●年次有給休暇の申請があったのに認めなかった
●スタッフが10人以上いるのに就業規則が届出されていない
●過度の長時間労働が発生している
●適正な健康診断を実施していない
●セクハラやパワハラと受け取られる事象が存在する
●不当解雇が行われた
●支払いが確約されているはずの賞与や退職金が支払われていない
また、労働者としての権利主張をすることが目的というよりもむしろ「院長の心ない言動に傷つけられた」等の理由から、つまりは院長を困らせてやりたいという感情的な動機から内部告発を行うケースも多いので留意が必要です。院長が普段の会話の中で自身が意識していなくても、何気ない一言がスタッフの心を壊してしまうこともあるのです。常日頃からスタッフに対する発言については十二分に注意しておくべきでしょう。
法令違反が見つかった場合の指導と罰則の内容とは?
調査の結果、法令違反が認められた場合には事業主などに対してその是正勧告がなされます(監督指導)。
また、危険性が高いと判断される器械・設備などについては使用停止などを命ずる行政処分が行われることもあります。
ちなみに、監督指導は1年間で15万9396件(2015年)実施されており、定期調査(主体的・計画的に実施される監督指導)等では、約69%、内部通報では、約85%の事業場において何らかの法令違反が見つかっています。
監督指導で指摘されている主な法令違反の内訳は下記の通りです。
①給与や労働時間などの労働条件を書面で明示していない
②36協定がないのに時間外労働を行わせた
③割増賃金を支払わなかった
④就業規則の作成・変更を届出ていない
⑤賃金台帳が適切に保管されていない
⑥器械や設備などの安全基準を満たしていない
⑦適正な健康診断を実施していない
労基署で、事業場における是正・改善措置が確認されれば監督指導は終了しますが、重大・悪質な事案については書類送検(司法処分)が実施されるケースもみられます。つまり、労基署の調査を受けた場合、最悪の結果として刑罰を科されることも覚悟しなければならないのです。
刑罰が下された事例としては、以下のようなものがあります。
最低賃金:託児所経営者を最低賃金法違反の疑いで逮捕・送検
賃金不払:賃金不払を繰り返した事業者を書類送検
リネンサプライ業者を時間外労働割増賃金不払で書類送検
労働時間:違法な時間外労働を行わせた自動車運送業者を書類送検
36協定なく時間外労働をさせていた運送業者を書類送検
バス業者を36協定の範囲を超えた労働をさせ書類送検
虚偽陳述:労働基準監督官への虚偽陳述により書類送検
髙田 一毅
みなとみらい税理士法人 髙田会計事務所 所長 税理士