<あらすじ>ついに巧との愛人関係を解消した雪江は、依頼していた興信所から届いた、夫の浮気調査の結果を受け取る。二十代後半の若い女、ホテルに入る夫と女、ホテルから出てくる二人…。様々な証拠写真を次々と確認していく雪江だが、ふと一枚の写真に気付くと、そこに写り込んだ“見覚えのある顔”に自分の目を疑った。「……どういうこと!?」 一部の富裕層しか知らない、「愛人」を持つことの金銭的な損得勘定に真剣に迫るリアル小説、女編〜第13回。

 

興信所から届いた浮気調査結果の写真に、見覚えのある顔があった。

 

(どうして巧が……?)

 

写真のキャプションには「倉田と別れた後、タクシーで移動した愛人が降りたところ」と書かれていた。それ以上の注釈も、降りた以降のことも書かれていなかった。

 

撮影されたのは夜なので暗いが、横顔といい服装といい、そこに写る男は、どう見ても巧だ。なぜなら写真の場所は、雪江が巧に提供しているマンションの前だからだ。

 

まさか、夫の浮気相手と巧が知り合いとは。

 

もしかしてこの女性が、あのスマホの持ち主「真由美」なのだろうか。

 

指定した期間における「夫の素行と浮気」の調査依頼において、愛人の身元は個人のプライバシーとなるためか、詳しくは書かれていなかった。

 

偶然同じマンションに住んでいる、という可能性もなくはない。

 

だけど写真を見た限り、至近距離で見つめ合っているふたりは、ただの通りすがりには思えなかった。

 

(いまさら気にしたってしょうがないのに……)

 

もう巧には別れを告げた。

 

来週にも、彼は「真由美」の部屋へ戻るのだろう。

 

失っていた理性を取り戻した雪江は、もう過去は振り返らないと自分に誓った。

 

あのまま刹那に溺れていたら、次は車を買い与え、さらに次々と搾取されていったに違いない。

 

もう今後の道筋は見えている。

 

夫と別れ、これからは仕事に全力を尽くす。

 

イトウデンタルクリニックの分院ができたら、院長として歯科医院の人生を全うする。

 

未来は明るい。

 

なのにどうして、心が晴れないんだろう……。

 

 

***

 

 

数日後、久しぶりに夫をディナーに誘った。

 

離婚の事を切り出すためだ。

 

別れ話は自宅でしない方がいい。

 

公共の場で周囲にさらされている方が、理性を失わず、冷静に話し合うことができる。

 

夫は穏やかな性格だが、逆上しないとも限らない。

 

雪江は、夫がどのような反応をするか予測し、何パターンものシナリオを頭に描いた。

 

家の近くにあるフレンチレストランは、程よく客が入っていた。

 

ここは、今のマンションに引っ越してきた当時、よく通っていた店だ。

 

ここで食事をするのも最後になるかもしれないと思い、あえて雪江はこの店を選んだ。

 

慣れ親しんだ夫婦が馴染みの店で食事をするだけなのに、なぜかふたりの間には、不思議な緊張感が漂っていた。

 

夫も何かを察しているのだろうか。

 

努めて平静を装っているが、今夜雪江が離婚を切り出すことを、夫は感づいているのかもしれない。

 

ワインから前菜の間に他愛もない会話をし、メインディッシュが運ばれてくる頃には話すことがなくなった。

 

沈黙の中、ナイフとお皿の当たる音だけが、やけに大きく響く。

 

デザートまで待つつもりだったが、耐えきれず、雪江はバッグから離婚届を取り出し、夫の前に置いた。

 

夫は目を丸くした。

 

さっきまでの夫の緊張は何だったのか。

 

浮気がバレることと、離婚を切り出すこと。

 

夫はどうやら、そのふたつをイコールには捉えていなかったらしい。

 

つくづく夫は女心に鈍感で、先のことまで気が回らない人なのだと思った。

 

人の長所と短所は表裏一体だ。

 

真面目な人ほど女遊びが下手だし、おおらかな人は鈍感だし、恋愛経験が少なければ女心を理解できない。

 

「夫には適任な人」ほど、男としてはつまらない。

 

でもそれは私も同じだ。

 

男をよく知らなかったから、夫みたいな人と結婚し、巧のような男に翻弄された。

 

もっといろんな恋愛を経験していれば、この男とは結婚しなかったし、人妻になってから愛人を作るようなこともなかったはずだ。

 

似た者同士だと思うと、夫に対する怒りも薄れる。

 

お互い不器用だったから、結婚して8年後の今、互いを見つめるより外に癒しを求めてしまったのだろう。

 

だからといって、同情するつもりはない。

 

心が離れてしまったら、もう元には戻れない。

 

夫の浮気をなかったことにはできない。

 

夫にバレてないとはいえ、雪江自身も、夫といる限り罪悪感を拭うことはできない。

 

興信所の報告書を見せたら、夫は黙り込んでしまった。

 

事実が明るみに出て、何も言い返せなくなってしまったようだ。

 

「慰謝料、いくら出せる?」

 

雪江の質問に、ようやく夫が口を開いた。

 

「いくら払えば、許してくれるんだ?」

 

「許すも何もないわよ。私たち離婚するんだから」

 

どうやら夫はまだ混乱しているらしい。

 

こんな時のために作成しておいた「慰謝料と財産分与(※)についての提案書」を夫に渡した。

 

「ずいぶん事務的だな」

 

「言った言わないの話になるのは避けたいし、後々揉めないためにも、きちんとしておいた方がいいと思って」

 

ざっと目を通した後、夫は「これでいいよ」とだけ言った。

 

 

***

 

 

年末、ふたりで公証役場へ出向いた。

 

調停も裁判もせず協議離婚となったふたりは、雪江の提案により、慰謝料と財産分与についての取り決めを公正証書として残すことにした。

 

手続きはあっけなく終わった。

 

後は、区役所へ離婚届を出すだけだ。

 

「最後まで雪江らしいな。まぁ、そういうしっかりしたところが好きだったんだけど」

 

「しっかりしている私より、癒してくれる若い女の子の方が好きだったんでしょ?」

 

どうしても、皮肉が口をついて出てしまう。

 

「この先一生イヤミを言われるとしても、俺は雪江と夫婦でいたかったよ」

 

「好きだった」「夫婦でいたかった」

 

過去形の言葉。

 

既にマンションを出て行った雪江に対し諦めはついているのだろうが、夫からそんな言葉を聞くと、少しだけ決心がぐらつく。

 

でも、もう後ろは振り返らない。

 

夫を許せないまま夫婦を続けるほど、辛いものはない。

 

(これで最後だから、いいよね……)

 

雪江は、コートのポケットに手を入れている夫の腕に、そっと自分の腕を絡めた。

 

 

(つづく)
 

 

~監修税理士のコメント~

 

※ 慰謝料や財産分与に税金はかかる? 節税するには?


編集N 離婚時に発生する財産分与にも、税金ってかかるもんなんですか?

税理士 まず、離婚に伴って財産を分与される(受け取る)側は、それが結婚後に形成されたもので財産分与として妥当な金額であれば原則として税金はかかりません。

一方、分与する側にとっても、金銭で渡す場合には税金の問題は生じませんが、分与するものが不動産や株式などの「譲渡所得の基因となるもの」の場合には、分与した側に譲渡所得として税金が発生する可能性があるので注意が必要です。

雪江の場合には住んでいたマンション(不動産)の雪江の持分を分与していますので、原則としては雪江に譲渡所得税の問題が生じます。ただし、正式に離婚した後の分与であれば、他人に対する自宅の譲渡となりますので、居住用財産の譲渡の特例(3000万円の特別控除)が適用できます。

雪江の持分が購入した時よりも3000万円以上値上がりしていれば税金の問題が発生しますが、そうでない限りは税金の心配はありません。

編集N 今回、雪江は夫に慰謝料を要求していますが、そこにも税金がかかったりするんですか?
 

税理士 慰謝料は、心身に加えられた損害などに起因して取得するものなので、慰謝料を受け取ってもそれが妥当な金額であれば税金はかかりません。所得税も贈与税も非課税とされています。もちろん払った側にも税金の問題は生じません。
 

編集N じゃあ慰謝料はできるだけタップリ請求したほうがいいですね!

税理士 夫にそれだけの資金力があればよいですが、土地や建物を処分して慰謝料を支払うことになれば夫に譲渡所得として所得税や住民税がかかることになります。ただし、雪江と同様、自分が住んでいたマンションの売却であれば居住用財産の譲渡の特例が適用できます。

編集N ちなみに、財産分与は夫婦きっちり半分ずつにしなければいけないんですか?

税理士 財産分与とは、婚姻期間中に夫婦で協力して築き上げた財産を、離婚の際にそれぞれの貢献度に応じて分配することをいいます。そのため、財産分与の対象財産は、同居していた期間に形成されたものであれば、その名義がどちらであるかは関係ありません。協議離婚の場合には、夫婦の話し合いで財産分与の内容を自由に決めることができます。

夫婦の共同財産は半分ずつという「2分の1ルール」はありますが、その他の(離婚の原因など)も考慮して財産分与の割合を決めるのが一般的でしょうから、必ずしもきっちり半分ずつにしなければならないということはありません。

編集N 離婚長者になる人もいれば、離婚貧困に陥る人もいそうですね。やっぱ浮気の代償は痛いなぁ!

 

(つづく)

 

監修税理士:服部 誠

税理士法人レガート 代表社員・税理士

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この物語はフィクションです。

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