「次男がもらうなら自分も」と三男が・・・
それからしばらくの間、ダンディーさんから連絡はなかった。
「この間のダンディーさん、あれからどうなったんでしょうかね」スタッフが聞く。
「さあねえ。頑張って次男を説得したんじゃないのかい? 見栄を張ろうにも、お金がなければ仕方がないから」
「そうですね」
私たちはそう思っていた。しかし、実際は違った。久しぶりにダンディーさんから電話があり、私は問題がさらに複雑化していることを知った。「もう一度会って相談したい」電話口でダンディーさんが言う。私は何かあったのだろうと察し、早速事務所に来てもらうことにした。
「先生、例の相続の件なんですが」事務所の椅子に座るやいなや、長男が切り出した。
「うまくまとまりましたか?」
「いえ、それが困ったことになりまして」長男が口ごもる。
「次男さんは納得してくれませんでしたか」
「ええ。あれから3人で集まり、相続財産の総額なども伝えて、1000万円は無理だと言ったのですが、どうにかしてくれの一点張りなんです。しかも、それだけではないんです」
「というと?」
「当初、相続しないと言っていた三男まで、次男がもらうなら自分ももらいたいと言い出したのです」
「三男がですか? 三男は確か、母親の生活を第一に考えるということで相続を放棄するつもりだったんですよね」
「はい。書面などに残したわけではありませんが、当初の話し合いの中でそう言っていました」
書面がなければ相続放棄の意思は確定しない。そもそもこのケースでは、次男が配分に納得していないため協議が成立していない。つまり、三男が自分の相続権を主張することに何も問題はない。次男がもしかしたら1000万円もらえそうになっているのを目の当たりにして「自分ももらいたい」という気持ちが芽生えたのだろうと思った。
「どうして急に意見が変わったのでしょうか」
「実は、その背景にも夫婦間の話し合いがあったようです。三男によれば、三男の奥さんが『もらえるものはもらったほうがいい』と言ったようなのです」
「まさか三男も1000万円と言っているのですか?」
「いえ、それは次男だけです。三男は法律で決められた分だけと言っています」
「そうですか。それにしても、実際に分配するとすれば預金だけでは足りませんね。しかも、預金はお母様が生活していく上で必要ですから、簡単に手放すわけにもいかないでしょう」
「ええ。それで私も悩んだのですが、ワンルームマンションを売ろうと思うのです。小さい中古の物件ですが、売ればいくらか現金になるだろうと思って」
「お母様はどうするのですか? 今もマンションで暮らしているんでしょう?」
「私が引き取り、千葉で一緒に暮らそうと思っています」ダンディーさんはそう答えた。
千葉の家には長い階段があるという。70歳を超えた母親が、その階段を行き来することになる。私はその様子を想像し、なんともいたたまれない気持ちになった。
「お母様にも相談したのですか?」
「はい。私たち兄弟がもめていると知り、私と一緒に暮らすことに同意してくれました。不満はあったと思います。千葉の家に引っ越すのも手間です。しかし、それ以上に兄弟が仲違いしているのが嫌だったのだと思います」
「そうですか。ダンディーさんが決めたのなら、それが最善の方法なのだと思います」私はそう言った。他に言葉が見つからなかった。
次男・三男のために、母親が暮らすマンションを売却
長男は几帳面で、その後も進捗状況をこまめに教えてくれた。
「不動産業者に聞いてみたところ、マンションは500万円くらいで売れるのだそうです。それを合わせれば、まとまったお金になります」ある日、電話口でダンディーさんが言った。
「そうですか。結局、次男と三男にはいくら渡すことにしたのですか?」
「次男には1000万円、三男はその半分の500万円です」
預金は800万円、マンションを売って500万円である。両方足しても兄弟に渡す1500万円に届かない。まさか千葉の自宅まで売る気ではないか。私はそう心配した。
「足りない分はどうするのですか」
「私の貯金で補います」ダンディーさんはそう答えた。
「自分の貯金を兄弟にあげるということですか?」
「ええ。それしか収める方法がないと思いました」
そこまでする必要があるのだろうか。私はそう思ったが、ダンディーさんには言わなかった。
ダンディーさんはきっと、自分の蓄えを削ってでも、この相続の一件を終わらせたいのだと思ったからだ。その後、長男はマンションを売り、兄弟たちに現金を渡した。
結局、すべて解決するまでに1年ほどかかった。すべて決着したという報告を受けてから数日後、お礼がしたいとのことで再び長男が事務所にやってきた。
その姿を見て、私はダンディーさんの苦労がいかに大きかったか実感した。ダンディーさんの髪の毛はすっかり白くなり、頰は痩せこけていた。もはやダンディーな出で立ちは消え去り、疲れた50歳の中年に成り下がっていた。
たった1年の間に、人はここまで老けこむことがある。私は気の毒に感じ、同情した。それだけこのトラブルがダンディーさんの心労になっていたということだ。
「大変でしたね」私は労いの言葉をかけた。
「そうですね」長男はそう言い、白くなった髪を少し撫でた。
「ただ、すべて終わった解放感のほうが大きいです」ダンディーさんは言う。
「お母様はどうしていますか?」
「おかげさまで元気です。千葉の家で暮らすのにも慣れましたし、嫁や私の子どもたちとも仲よくしています」
「兄弟とは?」
「現金を渡した日以来、私も母親も話をしていません」
「そうですか」私はとても残念な気持ちになった。相続トラブルは収まったが、結果として家族はバラバラになってしまったのだ。
「幸いだったのは、千葉の家が残ったことです。あの家まで売り、私たちまで引っ越すとなると大変さがさらに増していたと思います」
「そうですね」
「今はまだ元気ですが、いずれ母も他界します。その時に、千葉の家の相続でもめないように、母には千葉の家を私に譲るという遺言書を書いてもらう予定です」
「それがよいと思います」私はそう返した。遺言状が1枚あるだけで、相続トラブルを未然に防ぐことができるものなのだ。