恋人や妻がいながら他の女を抱くことには、7割の興奮と、2割の緊張と、1割の罪悪感が絶妙にブレンドされている。
浮気経験のない倉田にとって、初めての不倫は、童貞を卒業した日と同じくらい貴重で新鮮な体験となった。
女を知らないわけではないから昔よりはスマートに振る舞えたとは思う。それでも若い女をホテルへと誘導するプロセスは、何度経験しても慣れないものだ。
不思議と、妻への後ろめたさは、帰宅するまで1ミリも芽生えなかった。しかし玄関の鍵を開け自宅へ入った瞬間、きれいに揃えて置かれている妻のパンプスに、一瞬たじろいだ。
「資郎さん、って呼んでもいい?」
マナミの上で果てて、頭が真っ白になっていた倉田は、何のことか一瞬わからなかった。
「……ああ、名前のことか。別に好きに呼んでくれていいよ」
「下の名前で呼ぶほうが、なんか特別な関係っぽくて好き」
「そういうもの?」
「だって『倉田さん』のままじゃ他人行儀じゃない。もう私たち、他人じゃないもの」
倉田の腕枕で横になっているマナミは、体の向きを変え倉田に覆いかぶさってきた。
そのまま倉田にキスをして、愛おしそうに倉田の頬を撫でる。
「好きになっても、いい?」
「いまさらそんなこと、訊くの?」
「だって、倉田さん、奥さんいるし」
「……それは最初からわかってたことでしょ。それともマナミちゃんは、好きじゃない男とでもこんな風にエッチしたりするの?」
「……資郎さんって、たまに意地悪言うよね」
皮肉のつもりはなかったが、マナミの気分を害してしまったようだ。
倉田はごめん、と謝り、マナミを抱きしめた。
+ + +
「で、倉田さんとはどうなったの?」
「無事、愛人としておつき合いすることになったよ」
昼下がりのカフェで、マナミはユカリに報告をした。
ユカリが紹介した倉田は、マナミが希望する「パパ」として合格だった。
「ありがとね、ユカリ。パパ活しようと思ってたから、ちょうどよかった」
「男は類友で繋がってるから。愛人作るような男の友達には、同じように稼いでて愛人欲しがってる人がいるものよ」
「でもね、倉田さんって愛人ビギナーだったみたい」
「そうなの?」
「ホテルでチェックアウトするとき『領収書もらうの忘れた』って私につぶやいてたの。愛人とのホテル代を経費に回そうとしてた(※)なんて……呆れちゃった」
※ 領収書のないホテル代を経費にできるか
編集N 愛人とかそういうのは別として、領収書がないホテル代は経費にできないのですか? もらい忘れることや失くしちゃうことって、結構ありますよね。
税理士 カードで支払いを済ませた場合には領収書が発行されないこともありますが、その場合にはカードの利用明細を支払い証明として経費計上することが可能です。
また、領収書を貰い忘れた場合や領収書を紛失したような場合には、「支払った年月日」「ホテル名」「支払った金額」「何の仕事のための宿泊か」を出金伝票等に記録して領収書代わりにすることが可能です。
ホテル代については「仕事上宿泊が必要」だったならば、出張費の範囲で経費にできます。それがラブホテルであっても「他に泊まるところが空いていなかった」などの合理的な理由があれば否認はされないでしょう。
編集N えっ。ラブホでもOKなんですか?
税理士 だからといって、はじめから愛人と…いや、愛人以外とでも、そういう目的でホテルに宿泊するのはアウトです。これは領収書があってもダメです。
アハハ……とユカリは笑った。
「ミッチーも、私に出してるお金、ほぼ経費で落としてるよ。やっぱ類友だなぁ」
「セコイよね。一瞬萎えた」
「ま、お金の出所なんて私たちには関係ないから、別にいいんじゃない? 店にだって領収書切ってる客、たくさんいたじゃん」
「まあねぇ」
遊ぶお金は、本来ポケットマネーから出すものだ。
しかし景気にかかわらず、それらを経費から捻出しようとする経営者は少なくない。
「でもさ、愛人にそういう部分って見せないでほしくない?」
「マナミって意外と融通きかないのね。お金のメリットで成り立ってる関係なんだから、むしろこっちから『これは経費で落とせるよ』って教えて貢がせればいいのに」
「ムードないなぁ」
「恋人じゃないもの、ムードより取り分でしょ。役に立って向こうも喜ぶならwin-winじゃん」
ドライな考えのユカリに、マナミは感心した。
+ + +
倉田同様、パパと愛人という関係が初めてのマナミは、まだ割り切った関係に慣れていない。
だけど女というものは、肌を合わせた男に情が沸く生き物だ。
初対面のときはまだ、ホステス時代の会話テクで翻弄させられるくらい冷静だった。
だけど初めてふたりでデートした2回目、マナミはあえて簡単に「10ポイント」を倉田に与えた。それは、倉田と寝てみたかった気持ちからでもある。
「10ポイントたまったら、愛人になってもいい」
流れ的には倉田から望まれるように仕向けたが、マナミは紹介された瞬間から、倉田という男に深く興味を抱いた。
これまで出会ったどんな客とも違う。ただの真面目な人ではなく、奥に熱い何かを秘めているような。
マナミが想像した「何か」は、抱かれたときから確信に変わった。
(だけど資郎は恋人じゃない)
頭で理解しつつも、躰の中心は、倉田を求めてやまない。
自室でひとり、マナミは熱くなっている部分にそっと触れた。
(つづく)
監修税理士:服部 誠
税理士法人レガート 代表社員・税理士