お金があれば満足度が高まることは否定できない事実
かつて、ライブドアの社長であった堀江貴文氏は、「世の中にカネで買えないものなんて、あるわけがない」という趣旨の発言をしたとして、マスコミにひどく叩かれました。
確かに露悪的な発言で、筆者もまったく同意したくはありませんが、もしこれが「世の中の不幸は、ある程度、お金で解決ができる」という穏当な表現であったならば、大きくうなずかざるを得ません。どんなにお金があっても病気が治るわけではありませんが、お金がないために病気の治療が受けられないとなればそれは不幸なことだからです。
お金と幸福の関係については、以前から研究の対象となってきました。中でも最も有名なのは経済学者のリチャード・イースタリン氏が1974年に発表した「イースタリンの逆説」です。これは、所得が増えるに従って幸福度は上がっていくものの、一定の水準を超えてしまうと、所得が増加しても主観的な幸福度がなかなか上がらなくなるというものです。
このことは、私たちの常識的な感覚でもある程度は理解できます。年収が200万円から300万円になれば大きな喜びですが、1000万円から1100万円になってもそれほど喜びは感じられないことでしょう。
イースタリン氏はまた、時系列で見た場合や別々の国で比較した場合でも、所得と生活満足度の相関関係がほとんどなくなることも指摘しました。例えば、30年前に年収300万円の人と現在の年収600万円の人の生活満足度に差がなかったり、1人当たりGDPが1万ドル以下のタイやインドネシアと、3万ドル以上のイギリスやスイスを比較しても、国民の生活満足度はそれほど変わらなかったりするのです。
その理由として考えられているのは「相対仮説」(人間の生活満足度は周囲との相対的な尺度によってはかられる)と「順応仮説」(所得が増えて満足度が上がってもすぐに慣れて不満が出てくる)です。
とはいえ、大きな枠組みで見る限り、所得と生活満足度の間には明確に相関関係があることは、アメリカの経済学者ベッツィー・スティーブンソンとジャスティン・ウォルファーズによる2013年の研究でも証明されています。お金がなくても人生に満足することはできるものの、お金があれば満足度が高まることは否定できない事実であるようです。
投資にはネガティブなイメージもつきまとうが・・・
それではなぜ私たちは「お金」に対して嫌悪感を持っているのでしょうか。なぜ「お金」が欲しいと公言することを下品に感じたり、「お金」を貯めることを「ケチ」や「守銭奴」と言って蔑んだりする傾向があるのでしょうか。
これは、清貧の思想が尊ばれる日本だけの傾向ではありません。ヨーロッパでもお金を貸して利息を取るなりわいはイメージのよくない仕事であり、差別されていたユダヤ人が仕方なく金融業を営むという歴史もありました。そのおかげでユダヤの金融資本ができ上がったのですが、そうなったらそうなったで、ユダヤ資本による陰謀論がささやかれるようになりました。
シェイクスピアが「ベニスの商人」でユダヤ人の高利貸しシャイロックを極悪人に描いた頃からずっと、お金でお金を生む「投資」に対するイメージはネガティブなままなのです。