相場取引だけで生計を立てている個人ディーラーはどのような行動哲学を持ち、実際に「億単位」の利益を得ているのでしょうか。本連載では、投資顧問会社「林投資研究所」代表取締役 林知之氏の著書『億トレⅢ プロ投資家のアタマの中』(マイルストーンズ)から一部を抜粋し、相場師として大きな成功を収めた林輝太郎氏へのインタビューをご紹介します。

士官学校の卒業間際に終戦・・・

業界の知人、また知人からの紹介で多くの実践家をインタビューしてきたかわたら、最も身近にいる成功者、私の父である林輝太郎をインタビューの相手に選んだ。

 

聞いてみたかったのは、長年にわたってマーケットを見てきたプレーヤーとしての目、そして多くの投資家と接してきた指導者としての目には、何がどのように映っているのかだった。

 

インタビューは2011年8月、肺気腫のために長く話すのがつらいことに配慮し、自宅で何回にも分けて行った。

 

─プロフィールには、「平和不動産10株を92円50銭で買って利益を上げたのが初めての相場」とあるよね。これは何年のこと?

 

昭和23年(1948年)だ。

 

─22歳になる年だよね。終戦から日も浅いし、まだ若かったわけだけど、いったいどんな状況だったんだろう?

 

戦争に負けて間もなくで、日本はまだアメリカ軍に支配されていたころだ。復興へのエネルギーがあったといっても、多くの人にとっては厳しい状況だった。誰にとっても、まずは食べるためにどうするか─そういう世界だったんだな。

 

オレも食うためにヤミ屋をやったりしたんだが、幸いにも軌道に乗って、少し余るくらいの稼ぎがあったから、それをさらに膨らまそうと考えて株を買ったのが、相場の世界に入るきっかけだったな。

 

─終戦の時は、まだ士官学校の学生でしょ?

 

卒業の間際で終戦になったんだ・・・あと半年も戦争が長引いていたら、新米将校として前線に行かされ、砲弾が飛び交う中でオロオロしていただろうなあ。8月に日本が降伏して戦争が終わったので、前倒しで卒業ということになり、とにかく自宅に戻ったんだ。

 

─学校は、自宅から遠かったの?

 

本来の学校は、埼玉県の朝霞だ。現在、自衛隊の駐屯地がある場所だな。自宅があった杉並区高円寺からは遠くなかったけど、戦況が悪化して士官学校ごと埼玉県の小川町に疎開していたんだよ。

 

士官学校が疎開するなんて、完全に負け戦の状態で最後まで頑張っていたんだから、ひどいものだ。

 

それはともかくとして、小川町の士官学校から電車で、八王子と立川を経由して高円寺まで帰ってきたんだ。電車はいつも満員状態だったが、ちゃんと動いていたね。

 

でも、高円寺で電車を降りると、辺り一面が完全に焼け野原だ。家族に会うことを思いながら久しぶりに帰ってきた身としては、電車を降りるなり駅周辺の惨状を目の当たりにして正直、不安になったな。今は、小さな商店が密集するにぎやかな商店街がいくつもあるが、その時は、駅から数キロも離れた場所まで見渡せるほどだった。

 

とにかく家の方向に歩いて行くと、住んでいた場所の少し手前から、焼けずに残っている家が増えてきたんだ。それでも不安で、いろいろなことを考えながら黙々と歩き続けた。そして最後の路地を曲がったところで、自宅が無事に残っているのを見て、本当にホッとしたよ。

 

─士官学校から自宅に連絡する方法はなかったの?
 

当時、電話はそれなりに普及してたが、うちには電話なんてなかった。

 

今のように、「電話番号を書いてください」「メールアドレスを記入してください」なんて時代じゃない。「電話はありますか?」と、まずは電話の有無を確認するのがふつうだったんだよ。電車で家に戻るしかなかったんだ。

 

─そして、家族全員で戦後の生活を始めたってこと?

 

そうなんだが、基本的にはオレが独りで稼がなければいけない状態だった。「産めよ増やせよ()」の時代で、オレは7人きょうだいの長男だったから。男はオレと5歳年下の弟の2人だけで、あとの5人は女だ。

 

「産めよ増やせよ」
国家としての生産性向上を目的として、「人口政策確立要綱」が1941年に閣議決定された。その時のスローガン。

 

オレはきょうだいの2番目。上に1人だけ姉がいて、すでに学校の教師をしていたから、いくらかの収入はあった。でもオレの父親、おまえのじいさんは戦争で職を失っていたから、とにもかくにも大家族で日々の暮らしをなんとかしなければ、という状況だったんだ。

食べ物を求めて行動しているうちに「ヤミ屋」に

─すると、まずは食べ物だったわけね。

 

その通り。その日に食べるものを調達するのが先決だった。自宅にある着物を持って電車で千葉に行き、農家でサツマイモと交換して帰ってくるとかな。

 

そのころを描写した映画なんかに、あふれるほどの人が乗って窓からはみ出している買い出し列車が登場するだろ?あれを実経験したんだ。

 

リュックサックにイモを詰めて背負って帰ってくるんだが、乗っているだけでたいへんな状態なのに、食料が統制下にあったから警察に捕まる可能性もあった。それに、生き残った人が助け合うなんて余裕はなかったから、苦労して手に入れた食べ物を盗られてしまうことすらあったな。

 

そんなふうに日々の食べ物を求めて行動しているうちに、自然にヤミ屋をやるようになったんだ。例えば地方から粉を持って売りに来た人に声をかけ、高円寺のパン屋まで一緒に来てもらうんだ。そのパン屋でパンを焼いてもらうために粉を預け、その粉を持ってきた人にはその場で現金を渡す。オレは夕方になって再びパン屋に行き、焼き上がったパンを受け取ってヤミ市で売るってわけだ。

 

いろいろと工夫して、ちょっとしたヒット商品を出したこともあるな。

 

千葉県の稲毛市に叔父の家があって、以前そこに海水浴に行った時に海でアオサ()を拾ったことがあったんだ。それを思い出し、稲毛まで行ってアオサを採り、よしずの上で少しだけ乾かして高円寺の自宅に持って帰るんだよ。自宅でさらに天日干しして本格的に乾燥させ、適当な量を袋に入れてヤミ市で売るんだ。1袋1銭だったな。

 

アオサ
海藻の一種で、青海苔の代用品として使われる。

 

それが評判になってお得意さんができたりという具合で、当時の金額で1万円貯まったこともあった。終戦直後は極端な物価高騰があったから比較が難しいんだが、現在の数百万円といったところだろう。

 

─ヤミ市でまっ先に扱われたのは食料品だよね。ほかには、どんなものが売られていたの?

 

食料品にはじまって、石けんなどの生活必需品かな。各家庭から出た中古の日用品や、軍の払い下げの木綿糸なんかもあった。

 

酒もあったね。水で薄めた粗悪品とか、密造酒の類だ。メチルアルコールで造った質の悪い密造酒では、飲んだ人が失明したり死ぬこともあったから、「目散る」と表現されたり「バクダン」なんて呼ばれていたな。聞いたことがあるだろう?

 

─軍の払い下げって、公式のもの?

 

いや、どさくさ紛れに誰かが持ってきちゃったヤツだ。

 

そういえば、あの横井英樹さんから、日本軍が使っていた蚊帳(かや)をもらったことがあったな。南方で闘う兵隊のために、戦争末期で物資が足りなくなってから作られたものだったから、なんと紙の「こより」を編んだものだ。

 

オレのオヤジは銀座の安藤七宝店で仕事をしていて、戦争中に休業になって失業したんだけど、戦後に店を再開するというので働き始めていたんだ。その作業を手伝うために何度か安藤七宝店に行ったんだが、横井さんがその建物の奥を間借りして「横井商店」を経営していたんだよ。

 

横井さんは、オレの顔にある蚊に刺されたあとを見て「蚊帳をあげるから取りにおいで」と声をかけてくれて、柿の木坂かどこかの横井さんの自宅までもらいに行ったんだ。あれも、横流し品みたいなものだったのかもしれないな。

 

ちなみに、オレが士官学校を出る時に教官から「好きな物を持っていっていい」と言われ、教科書や毛布、軍服なんかを持って帰った。

 

中には、馬を連れて帰ったヤツもいた。食べちゃったかもしれないし(笑)、馬を使って何か商売をしたのかもしれないね。銃器はすべて「埋めていけ」って指示だったが、こっそりと鉄砲を持ち帰った同期のヤツがいたなぁ。

 

何十年後かの同窓会で会った時は、たまに人のいない山の中で撃っていたなんて話してたよ。

 

─ヤミ市の摘発もあったわけでしょ?

 

もちろんだ。食料は配給制だったからな。だけど、配給品では全く足りずにヤミ市での流通が多くの人の命を支えていたのが実態だった。だから、本質的には公認みたいなものだった。

 

そんな状況下、違法は違法ということで摘発があった。うまいこと事前に情報を得ていた者もいたけど、オレは警察にワイロを渡してなかったので摘発の情報を得ることができず、苦労して焼いてもらったパンをそっくり持っていかれたこともあった。

 

警察の人たちも同じように飢えていたから、自分たちの食料を手に入れるために摘発を行っていたんだ。そうやって争いながら、みんながたくましく生きていた時代だったんだよ。

 

だから今のように、きれいに生きようとしてもムリだった。山口良忠という判事が、食糧管理法違反の被告を担当しているうちに正義を貫こうと決心し、闇やみごめ米を食べずにいた結果、栄養失調による肺の病気で亡くなった、なんて実話があったな。たしか、彼の死後かなりたってから報道されたんだけど、とにかく厳しい時代だった。

 

(続)

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