「生前贈与」を受けた次男が遺産の大半を所有
<家系図>
<主な財産状況>
●預貯金 1,500万円
●有価証券 500万円
合計 2,000万円
(自宅兼店舗は5年前に次男に生前贈与)
被相続人は、75歳の男性(父親)です。
父親は、最上階に自宅のある4階立てのビルの1階で長年にわたり母親とともに寿司店を経営していました。
寿司店はこじんまりとしていながら、ミシュランガイドに掲載されたこともあるほどの銘店。2、3階は2部屋ずつ合計4部屋を賃貸に出し、一定額の賃料収入もありました。
被相続人には長男・次男の2人の子供がいました。長男は、特に父親と折り合いが悪いわけではありませんでしたが、会社員として長く勤めており、寿司店を継ぐ意思はまったくありませんでした。そんな長男を見てか、次男は、父親が70代をむかえる年に、妻とともに寿司店を継ぎ、暖簾を守ることになりました。
そんな父が75歳をむかえたある日、突然脳溢血で倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。
長男は会社勤めに忙しく、実家に帰るのは毎年正月くらいでしたが、父親が死んで初めて、次男が父の店を継いだ5年前に、自宅土地建物が、次男にそっくり生前贈与されていることを知ったのです。自宅は実勢価格で4000万円程度でした。
その他は、株式500万円相当と、預貯金1500万円ほどがあったのみでした。
生前贈与分を除くと相続財産は2000万円ですから、法定相続分どおりに分ければ、その2分の1を母親、残る2分の1を半分ずつ長男と次男で分けることになり、長男の取り分は500万円にしかなりません。
母親には、相当額の生命保険金が下りたので、母親のその後の生活は保障されていました。次男には、5年前に贈与された4000万円相当の土地建物と、そこからの賃料収入もあります。
「弟が家業を継ぎ、暖簾を守ったのはわかる。でも、あまりにバランスを欠くのではないか・・・」。
長男は、家を継いだ次男に対しては頭が上がらない部分もありました。一方で、あまりの価格的な金額の不均衡に黙ってはいない長男の妻。「弁護士さんに相談するべきよ」と、息巻いています。
長男は、「弟とは争いたくはない。でも、4000万円の弟と、500万円の自分とでは雲泥の差。妻の言い分もわかるが・・・」と、頭を抱えてしまいました。
相談した弁護士や司法書士のほとんどが、口をそろえて、「『特別受益』として遺産に含めて計算して、遺産分割を行えば、不均衡を是正できます」と言います。
たしかに、長男は、生前贈与を遺産に含めて計算すれば、4000万円+2000万円の4分の1の分配に与ることができることになります。
長男は、そういった請求をすべきか、した場合の見通しはどうか、頭を悩ませていました。
「持ち戻し免除の意思表示」で遺産争いを回避
そうしたところ、長男は「公正証書遺言がないか、調べてみたら」というアドバイスを受けるに至りました。さっそく公証役場に行ってみると、なんと、亡父が残した公正証書遺言が出てきたのです。
そこには、「私が死んだら、株式及び預貯金は、法定相続割合どおり、妻に2分の1、及び子2人に4分の1ずつ相続させる」とあり、これに続いて、次のとおり記載されていました。「自宅土地建物に関する次男への生前贈与については、相続財産への持戻しを免除されたい。」
そして、これに続く「付言事項」として、
「長男は、親に頼ることなく、しっかり働いて家庭を築いてくれた。よく頑張ったと思う。次男は、私に頼ってばかりだったが、それでも最後には家業を継いでくれて感謝しているので、自宅を与えることにした。生前贈与については、これを相続財産に持ち戻さないことについて、長男が理解してくれることを祈っている。」とありました。
父親は、生前、次男に自宅を贈与するにあたり、これをめぐって自分の死後長男と次男との間に諍いが起こることのないように、いわゆる「持戻し免除の意思表示」を行うとよい、という専門家のアドバイスを受け、それを公正証書遺言にしていたのでした。
長男は、これを読んで、弟と遺産をめぐって争うことをやめました。
結局、自宅土地建物の価格を相続財産へ持ち戻すことは行わず、母親が預貯金の1000万円、長男は500万円、次男が株式を受け取ることで遺産分割は無事終了しました。
実家の寿司店の経営も安定し、長男は父の存命中よりも頻繁に、寿司店を訪れるようになりました。
本事案は、特別受益となる生前贈与がありましたが、被相続人による持戻し免除の意思表示があったため、遺産争いを避けることができたという事案です。
民法は、「婚姻若しくは養子縁組のため若しくは生計の資本として(の)贈与」について、「被相続人が相続開始の時に有した本来の相続財産の価額にその贈与の価額を加えたものを相続財産とみなす」という規定をおいています(民法903条1項)。
このことから、本事案のように、相続の開始に先立って、相続人の1人に対して多額の贈与があるときは、その他の相続人から、生前贈与分を相続財産に加えること、つまりいったんは被相続人の財産から逸脱した財産を、再び「持ち戻す」べきとの主張がされることがあります。
これに対して、被相続人があらかじめこの「持戻し」を行ってほしくないとの意思表示をすることもできます。これが、「持戻し免除の意思表示」です(民法903条3項)。
なお、この場合でも、遺留分相当額は最低限残ります。
本事案では、総額4000万円の不動産の生前贈与と、これに対する贈与税負担分までをも親が担っていたとすれば、贈与税相当額1700万円を加えた5700万円は特別受益になります。したがって、5700万円+2000万円=7700万円のうち、長男の遺留分は相続分4分の1×2分の1の962.5万円になります。しかしながら、長男は結論としては500万円しか取得していませんから、本来は長男が次男に対して差額を請求することも可能です。
持戻し免除の意思表示は、その形式を問わないとされていますが、一番確実なのは、これを遺言、とりわけ公正証書遺言の形式にしておくことです。
笑顔相続の秘密
父の遺志を継いで、寿司店を引き継いだ弟。それを温かく見守る父。弟がもらった自宅土地建物は、4000万円という評価額はありますが、売却してお金を手にできるものではありません。父親の生き様を継いだ次男が守っていかなければいけないものです。
財産に金額が付くと、すぐに比較してしまいがちですが、金額の差は役割の差です。次男は、それだけ多くの父親の想いを引き継いだということです。
それを理解して、一歩身を引いた長男の態度は、とても立派なものです。両親の日頃の教育と子供たちに想いをしっかりを伝えたことが、笑顔相続に繋がりました。
水谷 江利(みずたに・えり)
相続診断士、弁護士、世田谷用賀法律事務所 代表弁護士
企業法務、一般民事の大型事務所を経て平成27年より世田谷区で開業。住宅街にありながら、相続、不動産事件を中心に、地域密着型の法的サービスを提供している。