一代で11の医療・介護施設の開業に成功した医師の軌跡から、事業拡大における極意を見ていく本連載。今回は、その第18回です。

「縁」に頼って何とか集めたスタッフ

こうして試行錯誤を繰り返すことなんと40回余り。ようやく、理想的な図面が完成しました。その図面にのっとり、施設が建設されました。建築担当はまた別ルートで知り合った青柳建設という会社です。以来、グループの各施設の設計と建築はすべて両者にお願いしています。しかし、その後「戦友」として活躍していただいた水野氏が、がんのため2013(平成25)年に亡くなられたことは残念でなりません。

 

スタッフ集めも大変でした。「この人だ」と思った人に声をかけては断られたりの繰り返し。もちろん、まだ開業してもおらず、患者さんが来るかどうかも分からない信頼のない透析クリニックにやって来ようなどと思う人は少ないに決まっています。新聞などで募集をかけてもまったく反応なしで、スタッフは簡単には集まりませんでした。人の紹介で無理にお願いして来てもらったり、看護師の資格を持ちながら育児などで休業していた方を探し出して臨時で来てもらったりと、数々の人の「縁」に頼って、開業できる程度のスタッフを何とか集めることがきました。国家資格を持つ人を集めるのは、実に大変なことです。

 

事務主任の石原広子さんにいたっては、歯科の事務をしていたところを「歯医者もクリニックも一緒だから」と、半ば騙すようなことを言って強引に来てもらいました。ただ、やはり実際に医療事務を担当しようとすると、まったく仕組みが異なったため、本人の申し出で知り合いの病院の医事課に研修に出てもらいました。本人いわく、「ただがらんとした建物の中で、鉛筆や雑巾の買い出しから始まった」という呆然とした印象が残っているそうです。こちらも開業は初めてで医療器具以外のことは分からないし、彼女も実際に動き始めてからでさえ電話で知り合いに何をどうすればいいか、尋ねていたと聞きます。本当に多くの方に迷惑をかけてしまいました。

多くの人たちの協力により「東葉クリニック」開院へ

こんな初歩の初歩からの学び直しと試行錯誤、そして人の縁に恵まれた結果、ようやく開院の目処が立ち、1991(平成3)年10月30日、東金文化会館の講堂を借り切り、スタッフをはじめクリニックの関係者、建築関係者、設備関連の関係者、その他、お世話になった方々など100名以上に集まっていただき、東葉クリニック東金開院式を盛大にとり行うこととなりました。

 

その後も開業準備に追われつつ、同年11月11日、私や大森くんや忠さんを中心に14人のスタッフにより、東金に第一号施設となる「東葉クリニック」を開くことができました。徹夜に近い準備などもたびたびありましたが、新しい世界を目指して旅立っていく期待、もっと率直にいえばワクワクした気持ちに想像したことのないほどの喜びを感じました。開業前日は、遠足前の子どものようになかなか眠れなかったほどです。

 

いろいろな知り合いの先生方の協力もあり、開業前から48人の患者さんの予約がありました。オープン前の静かな施設の中で、私は医療に対する思い、患者さんたちに対する思いなど、胸にたまっていたものを一気に語り、正真正銘、第1回の朝礼を行いました。この時に語った言葉「5S」が、のちの明生会グループの柱となり、今でも引き継がれています。

 

スタッフも定位置につき、期待と不安でドキドキしていたでしょう。それは私も同じです。初日の最初の患者さんを透析した時は、長年透析をしてきたにもかかわらず、研修医に戻ったように手が震えてうまく穿刺ができるのか不安になったことは今も忘れはしません。

 

こうして「東葉クリニック」は慌ただしく動き始めました。

ドクター・プレジデント

ドクター・プレジデント

田畑 陽一郎

幻冬舎メディアコンサルティング

医療者である開業医が突き当たる「経営」の壁。 経営者としてはまったくの“素人”からスタートした著者は、透析治療を事業の柱に据えて、卓越した経営センスで法人を成長させていく。 徹底的なマーケティング、2年目で多院展…

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