五反田の山の上にある榊木邸は、成金らしく贅を尽くした洋館で、調度品もすべて舶来品だというから驚きだ。壁には隙間なく絵画が飾られ、至る所に骨とう品が並んでいる。昨日は、俺の背丈よりも高い、見るからに重そうなものを運び込んでいやがった。白い布で覆っていたから中身はわからねえが、あれはおそらく彫像だ。榊木本人の銅像だったら笑えるが、こんなご時世にそんなくだらねえ物を作りやがって、まったく腹の立つ奴だ。
男は、ここに来るたびにむしゃくしゃして、胸糞が悪くなる。俺だってこんな豪邸に住みてえ。だが、貧しい小作人上がりの身じゃあ、どうすることもできねえ。実家は食い扶持にも困るありさまだったから、学校にもろくに行かせてもらえなかった。腕っぷしとずる賢さと運だけで生きてきた。だが、所詮、貧乏人は貧乏人だ。この世の中のカネは、ずっと同じところを回ってんだ。その流れを変えなきゃあ、こっちにカネなんか回っちゃあ来ねえ。だから変えるんだ。それも手っ取り早くな。
取り留めもなく考えていると、正面玄関に黒塗りの車が到着した。来た。井上だ。
庭に隠れていた男は、すぐさま邸(やしき)の茂みを抜け、一階の一番奥にある榊木の書斎の窓の下に移動し、身を潜めた。西洋式の出窓は、夏のため開け放たれている。
井上が最近ここに現れ、榊木と書斎に籠って打ち合わせをしていることは、ここにいる奉公人から聞いていた。だがそれは、ここのところ矢継ぎ早に発表されるGHQの経済政策が気になった井上が、榊木に会社の対応を促しているだけだ。俺たちの企てがばれるはずがねえ。
書斎のドアが開く音が聞こえた。
「見ましたよ。玄関ホールに置いてあったもの。例のブロンズ像ですよね」
井上の言ったのは、たぶんあの白布に覆われた代物のことだ。
「ああ、そうだ」
やっぱり銅像か。あんなもの、どうすんだ。
「ようやく出来上がったんですね。早く中を拝みたいものです。で、あれをどこに?」
「バルコニーに取り付ける予定だ」
「それはいい。遠くからでもよく見えます」
馬鹿馬鹿しい。そんなもの誰が見るか。
「でも、大変だったでしょう。まだ金属類も不足しているでしょうから」
「それはそうだが、こんな時だからこそ、気持ちを新たにするためにはあれが必要なんだ」
「まあ、お兄さんのやることだから何も申しませんが。ところで話は変わりますが、今日の朝刊は見ましたか?」
「財閥指定のことか?」
「ええ、そうです」
その話題を待ってたんだ。四大財閥の次は新興財閥にメスが入り、徐々に、財閥解体の対象となる企業の範囲が拡げられているが、今日の新聞には榊木実業の名は載っていなかった。