「お断りだ」
一瞬、間があった。見る見るうちにレイラの目が吊り上がり、眉間に深い縦皺が寄った。
「なぜよ!」
「俺は財務コンサルタントだ。探偵じゃない」
「でも、パパは永友さんからあなたを紹介してもらって……」
「アメリカ大使館にでも警察にでも行ってくれ」
「もう連絡したわ。でも取り合ってくれないのよ。もう少し待ったらどうかと言って」
「じゃあ、もう少し待ったらどうだ」
「待てないわ。だっておかしいじゃない。約束したホテルにいないのよ。何かトラブルに巻き込まれたのかもしれないのに」
「すっぽかされただけだろ」
「何よ、その言い方」
「まあ、男女関係には何があってもおかしくない」
「ちょっと待ってよ。なんてこと言うの。コナーは約束を破るような人じゃないわ」
「とにかく、俺はごめんだ。悪いが他を当たってくれ」
とその時、携帯の着信音が聞こえた。液晶画面に永友武志と表示されているのを見て、岸は安堵した。何とかして、このわけのわからない案件を断りたかった。
「もしもし。岸です」
「永友だ。コールバックしてくれたようだが、会議中で電話を取れなかった。悪かったな」
「いえ」
「今朝、君に電話をしたのは、折り入って頼みたいことがあったからなんだ」
「わかってます。今、私の目の前にレイラさんがいます」
少し間が空いた。永友は状況を想像しているようだった。「そうか。もう説明を受けたのか?」
「ええ、あらかた」
「じゃあ話が早い。財務の仕事ではないが、君しか頼る者がいない。何とかお願いしたい」
「そのことですが、永友さん。この案件はどう考えても専門外です。これじゃあ探偵ですよ。私には到底無理です」
「そう言うな。君は捜査官として、警察でも活躍したじゃないか。立派な成果もあげている」
昨年、岸が監査法人に勤務している時、警察へ捜査官として出向し、マネーロンダリング事件の捜査に協力して、事件解明に大きく貢献した。
「ちょっと待ってください。あれは財務捜査じゃないですか。わけのわからない人探しじゃない」
「何なのよ、その言い方!」
レイラの声が耳に届いたが、無視した。
「これは私の将来にも関わる重要な案件なんだ。レイラの父親は、我々東亜監査法人のワールドファームの幹部だ。断るわけにはいかない」
「それなら尚更です。何らかの事件に巻き込まれたとすれば、警察に頼んだ方がいいです」
「事を大げさにしたくない。君もわかるだろう。幹部の娘さんが、何かの事件に巻き込まれたと社内に知れたら、大変なことになる。足を引っ張るライバルが大勢いるからな。それに、これはここだけの話だが、アントニーはコナーとレイラの交際を認めていない。コナーが警察沙汰になるのは構わないが、レイラが巻き込まれることだけは避けたいと言っている」
「じゃあ、コナーの行方なんかどうでもいいんですね」
岸はレイラに聞こえないように小声で言った。
「まあ、そんなところだ。彼女をアメリカに無事に帰すこと。それが依頼内容だ。だが、彼女は一筋縄ではいかない娘だ。親の反対を押し切って、自分でコナーを捜すと言い張ってる。手の付けられないじゃじゃ馬娘だ」
岸は、髪の毛を毟りたくなるような感情を抑えた。
「もちろん、事件性があれば警察に頼むしかないが、そうと決まったわけじゃない。コナーが新しい彼女を見つけて、二人で観光しているのかもしれない。だから、むやみに警察沙汰にしたくないんだ。警察が動き回ったらマスコミに知れる。そうなる前に、何とか片が付くならそうしたい」
「しかし、こればっかりは無理な話です」
「報酬は充分払う。とにかく頼む」
「カネの問題じゃないんです」
「報酬は五〇〇万円。着手金として三〇〇万円をすぐに君の口座に入れると言ってる」