お金は「仕事の対価」として手に入るもの
大多数の日本人は、「お金はもらうもの」と考えています。これは、高度成長期に施された教育が、良い労働者や良い消費者となることを目指していたため、「お給料をもらう」というマインドがいまだに根付いているためではないかと考えます。
子どもの頃のお小遣いも定額制で毎月いくらと決まっていましたし、お正月になれば自動的にお年玉をもらえました。しかし、英語では「Make Money」といって「お金はつくるもの」という意識です。
ハワイでも「洗濯したら、新聞をとってきたら、月のお小遣いとして10ドルあげます」というように、お金は仕事の対価として配布します。ハワイで育った息子は、何もしないでお金をもらうことに慣れていないので、日本で祖父母や叔母たちから、たくさんのお年玉をもらうたびに、
「いや要らない、要らない。僕、何にもしてないですから」
と最初は断っていました。
「日本では断ることが逆に失礼にあたるから、お礼を言っていただきなさい」
と教えたので、今はそのようにしています。ただ彼にとっては、
「働かないのに、なんでみんなお金をくれるんだろう?」
と、何もせずにお金をもらえることが謎だったようです。
働きに応じて対価を渡し、「自分の役割」を意識させる
働きに応じてお小遣いを与えることは、子どもに「お金は働いて自分でつくるもの」という意識を植え付けるとともに、もうひとつの意義があります。それは、子どもが「家族の中で自分の役割を見出せること」です。
家族をひとつの企業にたとえてみましょう。
お母さんが経営者で、お父さんは財務担当というイメージです。ハワイでは夫婦共働きがあたりまえですから、家の仕事を子どもにも振り分けてうまく回していかないと、会社として成り立ちません。
仮に、子どもがニートや引きこもりだったりすると、たちまち経営が傾いてしまいます。だから、子どもにとっても家族の中で役割を持つことで、僕はこの家族に必要なんだという、家族の一員としての自覚と責任が持てるのです。
日本の場合は、お母さんがひとり頑張って全部やってあげてしまうから、子どもが何もできないまま大人になっていくし、家族における自分の役割も見出せません。その結果、皮肉なことに、家族の結び付きが弱くなってしまうようにも見えます。
子どもにとって、最初の集団生活の場は家庭です。
子どもが家庭の中で、誰かの役に立つことを実感できないまま大人になり、社会に出て就職すると、「会社に行けばお金がもらえる」という考え方になります。
これでは、会社の利益に貢献し、自らの年棒をどんどんあげていけるような人材を育てるのは難しいですよね。