「完璧主義な性格」も、話せない原因のひとつに…
日本には義務教育で英語の授業があるのに、日本人はいつまでも英語を話せるようになりません。原因のひとつは、日本人の性格の問題もあると思います。日本人はシャイだし、完璧主義なので、「正確な英語を話せなければ恥ずかしい」と思ってしまうんですね。
受験していれば相当な単語数も知ってるし、ビジネス英会話くらいできる単語量は持ってるわけですから、多少は話せるはずなのに、そこで「私は英語を話せます」と言える人は10%いるかどうか。たいていの人は帰国子女くらいのレベルでなければ、「できます」と言えないのではないでしょうか。
いっぽう、アメリカ人である私の夫は、日本語10単語くらいしかわからなくても、「僕は日本語を話せます」と言うんです。「はじめまして」くらいしか言えないのに、「話せる」と堂々としています。このメンタルの違いは大きいと思います。
本来の語学修得のステップと真逆な日本のカリキュラム
もうひとつの原因は、学習の順番が違うことにあるように思います。子どもが言葉を覚えていく過程は、まずお母さんの言葉を耳で聞いて話せるようになり、そのあと読み書きができるようになっていきます。
しかし、なぜか日本の英語教育では、最初に書いて、次に読むことをやって、話せるようになるのは最後という逆の順番で教えているのです。さらに英語の授業は、テストの点数を取ることを目的としていて、コミュニケーションをとるための英語は教えてくれません。しかも、先生の発音はネイティブとは程遠いので、これでは話せるようになるのは難しいでしょうね。
私自身、留学したときに、「日本で英語を習わないほうがよかった」と思ったくらいです。学校の授業で習った英語の発音がまったく通じないのです。先生のカタカナ発音が耳に残っていて、それを一つひとつ忘れてから正しい発音を習得するという手間がかかり、最初は苦労しました。
じつはアルファベットは26個しかないので、「フォニックス」というアルファベットの読み方のルールさえ理解できたら、どんな言葉でも正しく発音できるのです。小学生くらいの年齢になったら、どんなに難しい文献の言葉でも、意味がわからないながらも正しい発音で読めるはずです。コミュニケーションは言葉のキャッチボールですから、発音が通じない段階では何も通じないんですよね。
ただ、英語はひとつのツールであって、私自身の海外体験から言えることは、これからの時代に必要なのは、語学の学習だけでなく、他国の生活や文化を通してさまざまな人に興味を持ち、そこから新たなものを生み出す「創造性」だと思います。そのうえでも、教育移住や留学、海外旅行などで、子どもに異文化の環境で過ごす体験をさせることは、国際的な好奇心を刺激することにもつながるでしょう。