各所に残る世界遺産や国宝、重要文化財が深く関係
京都は東京と比べてなぜこれだけ供給戸数が少ないのか―その答えは、京都にある多くの世界遺産や国宝、重要文化財の存在が深く関係しています。
京都では、こうした歴史的建造物が至る所に存在しています。それに加え「京都」という街自体の歴史的価値を保つために、さまざまな努力が行われているのです。
たとえば、京都の建築物には美しい街並みを保全するために非常に厳しい建築規制が設けられています。
京都市が1972年に日本で最初の景観条例・市街地景観条例を施行して以来、この規制は改正されるごとに厳しさを増しています。これだけ広い範囲に、これだけ厳しい建築制限がかけられている都市は、日本では恐らく他にないでしょう。
「景観条例」による厳しい建築規制が美しい街並を保つ
京都市はおよそ1200年前につくられた平安京がベースになっています。三方を山で囲まれた盆地に市街地があり、市内を流れる桂川、宇治川、鴨川は南部で合流し、大阪湾へと続いています。これがまさに当時の首都に最良の場所として、都市計画がなされたわけです。
京都はその後、長い歴史を遡っても街全体が焼失するような大きな戦争の被害に遭っていません。従って1200年前の平安京の形がそのまま残って現在に至っており、平安京の町と今の町を重ね合わせるとほとんど一致します(図表)。通りの名称なども残されているので、歴史好きの人には地図を見るだけでもたまらない街となっています。
戦後、高度経済成長からバブル景気を経て現在に至るまで、京都以外の日本の大都市は軒並み開発の波にもまれ、その姿を大きく変えてしまいました。それは鎌倉、金沢、奈良など長い歴史を有する街でも例外ではありません。
京都が経済発展の波にもまれながらも、1200年前から続く古都の姿をここまで維持できたのは、悠久の歴史のなかで守られてきた都市としての価値、景観に重きを置いてきたことにあります。それを端的に表しているのが、まさに景観条例です。この条例による厳しい建築規制と、それを遵守してきた住民の努力が京都の世界有数の都市景観を保っている所以なのです。
[図表]現在の京都と平安京を重ね合わせたイメージ