もしもピカソのデッサンを玄関に飾っていたら…
前回の続きです。
もう一つの絵画の価値が、社会的承認価値です。絵画は、ただ見ることが楽しかったり、金融資産の代わりになったりもするものですが、それを所有していることが社会的ステータスとして見られる点も特徴的です。たとえば、もしあなたがピカソのデッサンを1枚持っていて、さりげなく玄関に飾っていたとしたら、訪問客から敬意を払われることは間違いありません。
ピカソのデッサンを自宅に飾ることは、第一に、それを購入できるだけの財力の証しになりますし、第二に、美術に対する教養があることを示します。絵画の社会的承認価値について、私が思い出すのはまた別のお客様です。
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その方は、一代で事業を大きくされた会社の社長さんで、西洋絵画のコレクターなのですが、ある日、なにげない会話の中で、絵を好きになった理由を話してくれました。実は、貧しかった大学時代、住んでいた同じアパートの隣の部屋に芸大生がいて、よくシャガールやユトリロの画集を開きながら、絵の魅力について語ってくれたそうです。社長さんは、その芸大生との出会いがきっかけで美術に興味を持ち、事業を立ち上げて忙しくなってからも好きな画家の展覧会には時間を割いて足を運んでいました。
ある時、とある百貨店の展示会にふと立ち寄ると、そこに自分が大好きなシャガールの小さな油絵が飾ってありました。しかも美術館の展覧会で見るのとは違って、絵の下には値札がついています。その数字を確認すると、学生時代にはとうてい無理な金額だったのですが、事業に成功していた当時の自分には買える値段でした。若い頃あんなに憧れたシャガールを買うことができると興奮して、思わず衝動買いをしたそうです。
以前には、とうてい買えないと思っていたシャガールの作品を、頑張った自分へのご褒美と、仕事で成功したことの証しとしてご購入されたとのことでした。それが絵画のコレクションを始めたきっかけだったそうです。この社長さんは、絵画の芸術的価値に魅せられてもいるのですが、それと同じくらい、絵画を所有することに社会的承認価値をも見いだしていました。
美術品は人類史上の財産…後世に伝えていく必要がある
美術品の社会的承認価値は、芸術的価値や金銭的価値と同じくらい、人々を魅了します。人生においてある程度の経済的成功を手にすると、多くの人は社会的な名声を欲するようになります。しかし、名誉や評価はそう簡単には得られません。長年の社会的貢献や教養がものをいうからです。
この社会的な評価を得るための方法の一つが、芸術という人類全体の資産のパトロンになることです。美術品を所有すること、あるいは美術品にお金を出すことは、車や家を買うこととは違って、ただ単に私的所有のみを意味しません。
たとえば、世界的な価値を持つ美術品の場合は、個人の所有者がいても、美術館などで保存してもらうことがあります。多くの人に見てもらうことが、作品にとっても社会にとっても有用で意義のあることだからです。特にアメリカでは、美術館が購入したい絵画があった時に、パトロンを募って出資してもらうことがあります。この場合、所有権すらも美術館のものになります。
つまり、美術品にお金を出すとは、私的な所有欲を満足させるだけではないのです。有名な美術品は、世界遺産と同じように人類史上の財産ですから、天災などで失われないように、きちんと保存して後世に伝えていく必要があるのです。私が思うに、人類の文化遺産としての美術品を所有することは、私的な所有というよりは、一時的に預かるような感覚に近いと思います。
たとえば、あなたが親からレンブラントの絵画を遺産として受け継いだとしましょう。その時、あなたが美術品にまったく興味がないからといって、パーティーでそれをダーツの的にして楽しむことが、倫理的に許されるでしょうか? 書籍『「レンブラント」でダーツ遊びとは―文化的遺産と公の権利』(ジョセフ・L・サックス著/岩波書店)は、このような文化遺産をどのように扱うべきかについて考察をめぐらせた興味深い本です。
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私も、画商として日々絵の売買に携わっている中で、よく知人に「絵が売れた時はさぞかしうれしいでしょう」と言われます。しかし、仕事をしていて一番楽しくてうれしいのは、自分が見てこれは良いなと思える作品を仕入れることができた時です。やはり歴史に名を遺す偉大な画家の作品を一時的にでも自社で所有したということに満足感を覚えます。
そんな思い入れのある作品でも、私はコレクターではなく画商ですから多少の寂しさを覚えながらも、お客様のもとにお届けしなければなりません。しかし、それが画商の仕事です。このように、絵画の購入と所有にはさまざまな思惑が入り乱れています。その根底にあるのは、やはり美術品への愛ではないかと、私は考えています。