「いたたまらない」と「いたたまれない」は意味も酷似
「いたたまれない」の間違いではない
「あまりの恥ずかしさに、いたたまらない気持ちになる」
この文章を読んでどのようにお感じになっただろうか。ひょっとすると「いたたまらない」は「いたたまれない」の間違いではないかとお思いになったかたもいらっしゃるかもしれない。
だが、「いたたまれない」も「いたたまらない」も江戸時代頃から両方とも使われていたらしく、意味も「それ以上じっとしていられない」「これ以上、我慢できない」と、ほとんど区別がないようなのである。
『日本国語大辞典』の「いたたまれない」では、江戸時代後期の人情本と呼ばれる小説の例が引用されている。
「詰らなくなると、さア、彼奴(あいつめ)が我儘一杯(いっぺえ)を働いて、なかなか居(ゐ)たたまれねえ様にするから、忌々しさに出は出て見たが」(人情本・花の志満台(しまだい)〈1836〜38年〉三・一七回)
一方「いたたまらない」の方は、式亭三馬(しきていさんば)作の滑稽本『浮世風呂(うきよぶろ)』(1809〜13年)の以下のような例である。
「わたしが初ての座敷の時、がうぎ(=ひどく)といぢめたはな〈略〉それから居溜(ゐたたま)らねへから下(さが)らうと云たらの」『浮世風呂』の方が成立は20年以上早いが、ほぼ同時期のものと考えていいだろう。
語源的には「いたたまらない」がもとの言い方
ただ語源を考えてみると、「いたたまらない」は「居・堪(たま)らない」、つまり「居ることが我慢できない」の意味だと考えられる。この「居る+たまる+ない」の「いたまらない」に、強調か口調のためにもうひとつ「た」が挿入された形が「いたたまらない」だとされている。
さらに、「たまらない」は「我慢できない」の意であるが、「…できない」の意味の場合、たとえば「止まる」が「止まれない」、「終わる」が「終われない」などと、当時から「…れない」の形となることがあるため、それに引きずられて「いたたまらない」も「いたたまれない」に変化したと考えられている。
つまり、語源的には「いたたまらない」がもとの言い方だと説明できるのである。だからという訳ではなかろうが、現在でも「いたたまれない」「いたたまらない」どちらも使うが、「いたたまらない」の方がやや古めかしい言い方に聞こえるような気がする。
「いたたまれない」の方が優勢だということはわかるのだが、小型の国語辞典では、「いたたまらない」が完全に消滅してしまった訳ではないのに、これを見出し語にしているものはほとんどなくなってしまった。残念なことである。
□揺れる読み方