第二次世界大戦後に設立された「GATT(ガット)」
人類は失敗を重ねることで少しずつ賢くなります。世界恐慌をきっかけに、列強は不況を乗り切るためブロック経済を展開しました。自国の植民地を囲い込み、他国の製品に高い関税を課して締め出す政策をとったのです。そのことが「持てる国」と「持たざる国」の対立を激化させ、第二次世界大戦の一因となりました。
その反省から、第二次世界大戦後、GATT(関税および貿易に関する一般協定)が設立されました。GATTは自由・無差別・多角主義と呼ばれる「ガット三原則」の下で多角的貿易交渉(ラウンド交渉)を行ない、関税の引き下げと自由貿易の推進に努めてきました。
[図表1]ガット三原則
関税の大幅引き下げを実現後、WTOへと引き継がれる
GATTは、ケネディ・ラウンド(1967年)、東京ラウンド(1979年)、ウルグアイ・ラウンド(1994年)などの交渉を通じて、関税の大幅引き下げを実現しました。その後GATTは1995年にWTO(世界貿易機関)に引き継がれました(図表2)。
[図表2]世界の平均輸入関税率の推移
現在、自由貿易の推進はWTOが中心となって行なっています。WTOは、本部をスイスに置く常設機関であること、対象品目をサービス貿易にまで拡大したこと、知的財産権の保護規定を設けたこと、紛争処理制度(裁判機能)を持ったことなどの点で、以前のGATTよりはるかに強力な国際機関となっています。
とくに紛争処理能力については、これまでと違って、訴えられた国の同意の有無にかかわらず、また「訴訟を行なうことに全会一致で反対」しない限り、ほぼ自動的に訴訟に持ち込めるようになりました。これは国内の民事訴訟と共通する方式で、ネガティブ・コンセンサス方式と呼ばれます。
現在、ドーハ・ラウンドが行なわれております。しかし、自由化を進めようとするWTOに対して、自由貿易政策は発展途上国に不利に作用するとして、発展途上国を中心に貿易自由化に反対する運動も見られます。