今回は、「日本のヒスイ」の特徴を探ります。※本連載は、日本彩珠宝石研究所の所長で、独自にコレクション収集も行う飯田孝一氏による著書、『翡翠 (飯田孝一 宝石のほんシリーズvol.2)』(亥辰舎)より一部を抜粋し、日本の国石である「翡翠」にまつわる様々な基礎知識をご紹介します。

ミャンマーのヒスイに比べ、低品質だと言われるが…

日本は、国土が狭い割には意外にヒスイの産地が多い。10カ所ほどの場所が見つかっているが、ひすい輝石を交えた岩石状のものが多く、宝石としてのレベルにない。しかし新潟県は別格で、小滝川上流の明星山にその原産地がある。

 

蛇紋岩の中で生まれたヒスイは、風化した蛇紋岩に押し上げられて地表に顔を出し、崖を転がり落ちて川や土中に埋もれた。その場所が1939年(昭和14年)に学術調査で発見され、1959年に天然記念物に指定された。

 

青海川上流の橋立でも1955年に学術調査で発見され、1956年に天然記念物に指定されている。

 

 

日本のヒスイは、ミャンマーのものと比べると混じり気が多く低品質だとよく言われる。しかしそれはまったくの誤まりで、産出量こそ少ないものの、出雲大社に収蔵されている重要文化財の勾玉などでわかる様に、ミャンマーのものに勝るとも劣らない。

 

小滝のヒスイはミャンマーのものとは異質の美しさがあるが、青海のヒスイにはミャンマーのものとよく似たものがある。

 

青海川の西方に金山谷という地域があり、この辺りに分布しているひすい輝石岩は他の場所のひすい輝石岩とは色彩を異にしている。そのさらに西方に白鳥山という場所がある。

 

ここのヒスイは特に異質で、かつて青海の橋立に住んでいた武藤惶(当時34才)という人物が執念で探し回って発見し、1962年(昭和37年)に世に出したが、当初は宝石の専門家や学者がビルマ産ではないかと疑ったほどのものであった。ここのヒスイは緻密でかなり透明度が高い。

 

 

新潟県から富山県の海岸にかけてヒスイの転石が採取されている。明星山の崖下に落下したヒスイの岩塊が遥かな時間をかけて川を下り、やがては海に流れ、波によって海岸に打ち上げられる。

 

俗にヒスイ海岸と呼ばれているが、特有の波の荒さがヒスイを磨き上げ、その肌の美しさはビルマのヒスイとは異質で比ぶべくもない。日本のヒスイにはスキンが形成されていない為に、水流によって研磨された表面には独特の模様が見られる。

 

 

ヒスイの表面は陽光を反射してキラキラと輝く。新潟の原石が、ミャンマーの原石と最大に異なっている点は、厚いスキンに覆われていない事。縄文人はさぞかし拾い易かった事だろう。それでも薄いスキンらしいものが見られる原石もある。

 

 

<知っておくべき事>

海岸や川の中で石を拾うことは認められているが、天然記念物の指定地で石を拾う事は禁止されていて、法律に触れる事になる。川岸の土地や山に入って採集する事もしてはならない。山には持ち主(地主)がいるので、盗掘になります。

 

 

ミャンマーと新潟県以外の「ヒスイの産地」はどこか

過去から現在まで、ミャンマーは宝石品質のヒスイ(ジェダイト)を大量に産出する唯一の産地であるが、日本の新潟県もそれに次ぐ宝石ヒスイの産地として知られている。ヒスイはそのでき方からわかる様に、他の宝石種と比べて産地は少ないが、それでもいくつかの場所があって、中には宝飾品として使える品質のものが採掘される事もある。

 

[図表1]海外のヒスイ

※1)アルプス山脈中で形成されたヒスイで、上記の4つの産地が知られている。(1898年以後に発見)⭐️◉表中にある、アメリカ/ヨーロッパ/トルコのヒスイは、ひすい輝石と他種鉱物の集合体の形をとっているものが多い。
※1)アルプス山脈中で形成されたヒスイで、上記の4つの産地が知られている。(1898年以後に発見)
◉表中にある、アメリカ/ヨーロッパ/トルコのヒスイは、ひすい輝石と他種鉱物の集合体の形をとっているものが多い。

 

[図表2]日本のヒスイ

翡翠 (飯田孝一 宝石のほんシリーズvol.2)

翡翠 (飯田孝一 宝石のほんシリーズvol.2)

飯田 孝一

亥辰舎

2016年に日本の国石として決定された「翡翠」。本書では、ヒスイの伝説や歴史、産出される形態、類似の石の一覧や、簡単な鑑別方法から専門法までご紹介します。翡翠について興味のある方や、宝石人必携の書です!

人気記事ランキング

  • デイリー
  • 週間
  • 月間

メルマガ会員登録者の
ご案内

メルマガ会員限定記事をお読みいただける他、新着記事の一覧をメールで配信。カメハメハ倶楽部主催の各種セミナー案内等、知的武装をし、行動するための情報を厳選してお届けします。

メルマガ登録