子どもの思いを「きちんと知る」ことは難しい
「たぶん」「きっと」をなくして、子どもたちが本当に思っていることに寄り添うためには、子どもたちを知ることが大切です。
身近な人のことでもきちんと「知る」ことは意外に難しいものです。知ってるつもりでも、実は思い込みだったり、勝手に決めつけていたりということは、親子関係だけでなく友人や職場、子ども、大人に関わらず人間関係が存在する限りよく起きることだと思うのです。
スポーツの指導現場でも、選手一人ひとりを知ることがとても大切です。子どもたちがどんなときに集中力が高まるのか、なにに興味があって、どんなことに夢中になっているのか。それらを知ることが、選手の成長を助けるポイントになるのです。
「がんばれー! もっと走って! ほらそこー」
スポーツの試合会場でよく耳にする黄色い声援です。お母さんたちは、子どもたちのためについつい応援に力が入ってしまうようですが、名前を呼ばれた子どもは、なぜかうつむき加減で小さくなってプレーしています。
「恥ずかしいからやめてよ!」
お子さんにそんなことを言われたことはありませんか?
応援は「子どもたちが望むカタチ」で届ける
以前、サッカーをしているお子さんを持つお母さんから、自分の子どもを大声で応援するのをやめようと思うというメールをいただいたことがあります。これは、私が書いた『「応援」は子どもたち選手の望むカタチで』というメルマガに対しての感想だったのですが、内容を簡単に説明してみましょう。
そのお母さんは、子どもの頃バスケットボールをしていたそうです。子どもたちの望むカタチの応援というキーワードを耳にしたとき、このお母さんは、子どもの頃の記憶が鮮明に蘇ってきたと言います。
私は子どもの頃バスケットをしていて、試合に親が観にくるときは母がきているかを必ず確認していました。母がくると、周りの母親と一緒になって、大声で応援します。
私はそれが嫌で嫌で、いつも集中力を欠いていました。私には、私なりの美学があって、応援は静かにただ見守ってくれるだけで良かったのです。大声で私の名前を言われ周りに知られるより、プレーを見てもらって名前を知られたい。このような考えが、小学生ながら、ハッキリとありました。
こんな経験から、私はスポーツをしている娘との関わりを、自分が小学生のときにしてもらいたかった、静かにただ見守るということを意識してしていましたが、メルマガを読んで、子どもたちそれぞれが、どうしてもらいたいかが違うということにいまさらながら気付きました。
どんなカタチを望んでいるのか? これを知ること。いつも、知ろうとする姿勢でいること。あなたを応援してるよと表現することを意識していきたいと思いました。
お母さんの子ども時代の実体験がとても印象的ですね。
お父さん、お母さん、コーチや指導者、先生も、みんな子どもだった経験を持っています。このお母さんのように、自分が嫌だったこと、お母さんにして欲しかったことを考えることはとても大切なことですよね。
ただ、気をつけて欲しいのが、「自分がそうだったから子どももそうだろう」という経験に基づく決めつけも危険だということです。
子どもたちが、なにかを続けようと思ったときや本番で自分の力を発揮するためには、周囲の大人の応援が欠かせません。けれど、選手が望む応援のカタチで届けないと、保護者の方は一生懸命に応援しているつもりが、反対に選手のやる気や力を奪ってしまっているケースもよく見かけます。これは、とてももったいないことです。
子どもたちが「こんな応援をして欲しい! 」という応援のカタチをしっかりと知り、理解し、その方法で伝えることが大切です。
私たち大人も一人ひとり、言われて嬉しい言葉も違えば、大切にしている価値観も違います。子どもたちも一人ひとり、どんなふうに応援されたいかも違います。
「頑張れって言って欲しい」
「側にいて欲しい」
「なにも言わないで見守って欲しい」
応援のカタチは子どもたちの人数分みんな違います。それぞれに合った「望むカタチ」の応援が子どもたちのやる気を引き出すのです。