子どもに親の理想や願望を押しつけていないか?
《しつもん》
子どもたちは、どんな自分になりたいと思っていますか?
お父さん、お母さんは自分たちの子ども、コーチや先生は指導している生徒を思い浮かべてみてください。あなたは彼らにどうなって欲しいと思って接していますか?
かなりの難題になってしまいましたが、まずは素直に感じたことを思い浮かべてください。どんな答えが出てきたでしょう?
出てきた答えはあなたの「こうなって欲しい」という願望や希望でしょうか?
それとも子どもたちの「こうなりたい」という願いだったでしょうか?
自分の願望だったという人は、できれば子どもたちがどうなりたいかに寄り添って、もう一度しつもんに向き合ってみてください。
そして、子どもの気持ちに沿って答えたという人にも、もう一度しつもんします。
「本当に?」
親が望むことより、やりたいことがあるかもしれない
親やコーチが望むレールの上を歩かせることが子どもの自主性や主体性を奪うことは、多くの方にすんなり受け入れてもらえるのではないでしょうか?
親やコーチの経験に基づいた価値観で、「こうしなさい」「こうすべき」と言われて育った子どもたちは、他にやりたいことがあったかもしれないし、その分野で輝く未来への可能性があったかもしれません。
こうしたわかりやすい「過保護」の例は、いまだに多く見られるものの、子どもの成長に良くないこと、なぜ良くないのかという理由も広く知られるようになってきました。
セミナーや講演で全国を回らせていただく中で接する方の様子を見ていても、”押しつけ型”の大人はずいぶん少なくなっています。現在では「子どもたちのやりたいことを尊重する」という親やコーチの方が多くなっているのです。
しかし一方で、子どもたちの思いを尊重しているのに、子どもたちはそれに答えてくれないという話もよく耳にします。
はじめは、遊びの延長線上ではじめたスポーツも、やがて地元のクラブや少年団に所属するようになり、親の協力なしには成り立たないようになってきます。そこで、親から見て、子どもたちにやる気が見られないと「野球がやりたい、うまくなりたいと言うから送り迎えや当番に協力しているのに」という思いが頭をもたげてくるのです。
親やコーチは子どもたちの望むことを叶えてあげたいと思い、それに向かって協力を惜しまないものです。しかし、自分が努力すると同時に、当事者である子どもたちにも努力を促します。
最初に掲げたしつもんに答えるのが難しいと言ったのは、子どもが本当にそう思っているかどうかは、その子自身にしかわからないということです。
「子どもたちはどうなりたいと思っているか?」というしつもんに向き合うことは、親やコーチの理想や願望を押しつけることではなく、子どもの本当の気持ちにできるだけ近づくことなのです。