今回は、地方文化の担い手であった「素封家」について見ていきます。※本連載は、国立歴史民俗博物館の教授で、東アジア史を専門とする西谷大氏による著書、『ニセモノ図鑑:贋作と模倣からみた日本の文化史』(河出書房新社)より一部を抜粋し、「ニセモノ」が求められてきた歴史的背景に加え、心理につけ込んだ「騙しのテクニック」についても言及します。

農業や商業に従事する「民間の資産家」

江戸時代から昭和初期まで、地方の素封家(※1)の存在を無視することはできない。素封家とは、農業や商業に従事する民間の資産家のことである。

 

(※1)素封家・・・素とは「ない」「乏しい」の意で、封(領地)がない家のこと。官位や領地はなくとも財をなしている、民間の者を指す言葉。商工業の資産家や農村の地主など。

 

地方の造り酒屋(※2)には素封家が多く、地域における文化の担い手あるいは庇護者としての役割を果たすことも少なくなかった。

 

(※2)造り酒屋・・・酒を醸造し、卸売りや小売りを行う店。

 

江戸や京阪の文化人たちが地方を旅する際には、そうした素封家を訪ねてさまざまな支援を受けており、今日でもかつての素封家の流れを引く旧家には、当時の諸名家の書画が伝えられていることが少なくない。

 

幹線路沿いに住む素封家が多様な書画を手にした理由

兵庫県のN家は、江戸初期から地主と材木問屋を営んでいたと伝えられている。そして、これも伝承であるが、酒を造り始めたのは、文政年間(一八一八〜一八三〇)ということになっている。

 

寛政年間(一七八九〜一八〇一)は酒造業に対する締め付けがきつく、誰でもが酒を造れるわけではなかった。

 

ところが文化年間(一八〇四〜一八一八)になると諸国で豊作が続き、米価が下落傾向を来し始めた。幕府は米価の引き上げ策として文化三(一八〇六)年九月に勝手造り令を触れ出した。これまで酒造をしていなかった者も、誰でもいくらでも酒造をしてよいというものだった。N家もおそらく、この時勢にのって酒造りを始めたと思われる。

 

 

N家の位置する高砂市は、江戸時代の一大酒造地帯といわれる灘五郷の近くに位置する。高砂市は東西の幹線路である山陽道に沿う、交通に恵まれた位置にある。つまり九州など西国に向かう文化人たちがたどる道筋に位置しており、このことがN家が所有する書画の多様性の背景を形成していると考えられる。

ニセモノ図鑑:贋作と模倣からみた 日本の文化史

ニセモノ図鑑:贋作と模倣からみた 日本の文化史

西谷 大

河出書房新社

ニセモノが悪で、ホンモノは善か? 贋金、偽文書、書画骨董の贋作から人魚のミイラまで、様々なニセモノが文化史の深層を語ります。ニセモノ図版多数で、目で見ても楽しめる一冊です!

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