お客さんを喜ばせる「サプライズ」が求められた
本連載で紹介する旧家の一つN家は地主で、江戸時代の初期から材木問屋を営み、文政期ごろに酒屋もはじめた。明治に入ってからは県会議員も輩出している。地域社会で、人間関係を維持し、新たな人脈を作り、さらに家業の材木問屋と酒屋の商談を進めるには、社交の場である宴会=接待が重要であった。
主人がお客さんを接待する、その根本的な部分は古今東西を通じてあまり変わっていないように思う。
少し古い話になるが、今からおよそ二〇〇〇年前に書かれた中国の『漢書』西域伝には、皇帝が地方の国から献上された品々をどのように楽しんだかの記載がある。
それによると皇帝は、真珠・文甲(ベッコウ)などの高価な品物に囲まれ、ライオン、ゾウ、サイ、クジャクなどの当時非常に珍しかった動物を飼う動物園をつくる。そして中国の周辺諸国からやってきた朝貢国の使節に見せびらかしつつ、踊り、歌、奇術といったショウと酒池肉林の豪華な食事で接待した。中国皇帝の絶大な権力と富を誇示するためには、料理とともに、招待者が珍しがり驚く装置が必要であった。
G20(金融世界経済に関する首脳会合)の首脳を接待する宴会メニューは、いつも話題になる。それだけではなく日程には、いわゆる「レディ・プログラム」というものがあり、各主催国は趣向を凝らしたさまざまなイベントを用意する。
二〇一四年一一月、オーストラリア・ブリスベーンで開かれたG20サミット参加国首脳の夫人達は、コアラを抱いて記念撮影をした。これも主人側がお客さんを喜ばせ驚かせる、オーストラリアでしか不可能な装置といえる。
「書画骨董」で場を作り、客に見栄を張る必要があった
日本の座敷(※1)は、非常にシンプルである。その空間を、季節に合わせ客に合わせて、家がもつ書画骨董でどのように演出するかが主人の力量である。客を接待する座敷には屏風(※2)を立て床の間(※3)に掛け軸をかけ、場を作り上げて、客に見栄を張り「家の格」を自慢する必要があったのだ。
(※1)座敷・・・明治以前の中上流層の住宅における接客スペース。南や東に面した、家の中でも一番いい場所がこれに当てられ、床の間などが設けられた。
(※2)屛風・・・室内に立てて、仕切りや装飾に用いる調度品。板状のものを1単位(1扇)とし、これを複数つづり合わせる。六曲一双(6扇のもの二つで1組)が定型。
(※3)床の間・・・床を一段高くした、書画を飾る場所。僧が仏画をかけ、その前に経机を置いたのが祖形と言われる。掛け軸・置物・花などを飾るが、季節に応じた趣向を凝らすなど、家の主人のセンスが問われるスペースでもある。
そのためには、ニセモノでも名の通った美術品が必要であった。これから見ていく旧牧士家、M家、N家は、騙されてニセモノをつかまされたのか、ニセモノと解っていて購入したのかは、今となってはわからない。
しかし地域社会のなかで生きていくうえで、ニセモノの書画にも立派な活躍の場があり、その家の歴史が刻まれているといえる。時には、ホンモノよりも価値のあるニセモノも存在するのである。