「売るなんて一度も言っていない」息子が持ってきた査定書
82歳の修一さん(仮名)は、東京都内の住宅街にある築40年ほどの一戸建てで暮らしています。
家は約35坪の土地に建つ2階建ての4LDK。かつては妻と2人の子どもと暮らしていましたが、子どもたちは独立し、妻とは10年以上前に離婚しました。
現在は年金と貯蓄で生活しており、日常の買い物や通院も自分でこなしています。
「2階はほとんど使っていません。掃除は大変ですけど、長く住んできた家ですからね。今のところ困っていることはありません」
そんな修一さんのもとを、月に1度ほど訪ねてくるのが、54歳の長男・健司さん(仮名)です。健司さんは妻と子ども2人とともに、都内のマンションで暮らしています。
最近、健司さんが気にするようになったのは、父親の家の傷みでした。
玄関の段差が高く、浴室も昔ながらの造り。庭の植木は伸び、雨どいの一部にも修理が必要な箇所があります。
「父さん、この家、そろそろ大変じゃない? もっと小さいマンションに移ったほうが楽だと思うよ」
健司さんは何度か住み替えを勧めましたが、修一さんは「まだ元気だから大丈夫だ」と取り合いませんでした。
ところが、ある日曜日のことです。訪ねてきた健司さんが、食卓に数枚の書類を置きました。
「この前、不動産会社に相談してみたんだ。今なら結構いい値段で売れるらしいよ」
書類には、修一さんの自宅について、売却した場合の参考価格として「5,200万円前後」と記されていました。健司さんが物件情報を伝えて依頼した、机上査定の結果だったのです。
「父さんには広すぎるよ。これだけの金額になれば、駅に近いマンションに移っても余裕があるんじゃない?」
修一さんは驚きました。
「ちょっと待ってくれ。俺は売るなんて一度も言っていないぞ」
健司さんは、今すぐ売却するよう求めているわけではないと説明しました。しかし修一さんには、知らないところで自分の家の値段を調べられていたことが引っかかりました。
「心配してくれているのはわかる。でも、勝手にそこまで話を進めないでほしかった」
息子は「査定しただけだよ」と答えましたが、その日の話し合いは平行線のまま終わったそうです。
