継ぐはずだった父の会社は「もうない」という事実
「会社、売ったから」
夕食の途中、父がそう口にした瞬間、息子の箸が止まりました。
「……は?」「会社を売ったんだ。先週、契約も終わった」
父・村瀬茂さん(55)は、18年前に住宅設備関連の会社を立ち上げました。社員は約30人。決して大きな企業ではありませんが、茂さんが働き盛りの18年間を注ぎ込んで育ててきた会社です。
大学4年生の一人息子・亮さん(22)にとっても、その会社は「いつか自分が継ぐもの」でした。
「いつ決めたの?」「半年くらい前から話は進めてた」
亮さんは卒業後、まずは別の企業に就職します。それも父から「一度、外の会社を見てこい」といわれていたためです。数年後に父の会社へ入り、いつか後を継ぐ――亮さんはそう信じていました。
「俺に継がせるっていったじゃん」
「継がせないほうがいいと思ったんだ」
「俺には無理ってこと?」
「違う。いまのお前に背負わせるものじゃないと思ったんだよ」
「勝手に決めないでくれよ!」
亮は感情を露わにします。
「俺、一回でも『会社なんかいらない』っていった? なんで相談してくれなかったんだよ。結局、会社より金を選んだってことだろ。18年やってきた会社を金に換えたんだ」
「違う」
妻・美紀さん(52)も尋ねます。
「本当に、これでよかったの?」
茂は答えません。家族には、まだ話していない真実があったのです。
3年目に始まった経営危機
異変が始まったのは、3年ほど前です。
原材料費や人件費、金利が上がる一方、取引先からは値下げを求められる日々が続きます。売上自体は大きく変わらなくても、手元に残る利益は少しずつ減っていきました。
それでも茂さんは、「来期には戻せる」と考えていました。社員30人の生活を背負っており、長年付き合ってきた取引先もいます。なにより、自分が築いた会社を、簡単に「もう無理だ」諦めるわけにはいきませんでした。
資金が足りなくなれば、銀行から借り入れ、売上が落ちれば、さらに働く――。気づけば、会社の借入金は膨らんでいました。それでも妻の美紀さんには、「ちょっと厳しいけど大丈夫」としか伝えませんでした。
そして2年前、茂さんは自宅を担保に追加の融資を受けます。自宅は、購入時に美紀さんの父から資金援助を受けたものでした。それでも茂さんは、妻に相談することなく手続きを進めてしまったのです。
「あと一年あれば立て直せる」
そう信じたかった茂さんですが、状況は好転しませんでした。ある夜、茂さんは一人で会社の数字を見ながら、恐怖を覚えます。
このまま会社に固執すれば、会社だけでなく自宅も、貯蓄も、息子の将来さえも失ってしまうのではないか──。「会社を守る」という言葉にしがみつくあまり、一番守るべき家族を危険にさらしていることに気づいた茂は、会社の売却(M&A)を検討しはじめました。
