働かない兄を切れない理由
河本さんからの指摘を機に、慎二さんは会社の固定費を見直すことにしました。
兄・慎一さんの給与は月50万円(年間600万円)。さらに帳簿で目に留まったのが、母・節子さん(72)に支払われている「相談役報酬 200,000円」です。
母は先代が亡くなったあとも相談役として会社に残っていましたが、出社するのは月に一度あるかないかという状態。親族2人に年間840万円。社員の賞与を半分にしている一方で、ほとんど会社に来ない家族には、これまでどおりのお金が流れていました。
慎二さんは、兄に給与の減額を切り出しましたが、慎一さんは当然ながら納得しません。
「なんで俺が? 会社がここまで続いたのは俺が取引先を開拓して、関係性を保持してきたからだ。会社が厳しいなら社員を減らせばいいだろう。そもそも仕事が減ってるんだろ? 人が余ってるってことじゃないか。どうして身内から削るんだよ」
さらに翌日には、母の節子からも電話がかかってきました。
「お兄ちゃんのお給料を減らすって、本当なの? 昔は会社のために頑張っていたでしょう。お父さんが生きていたら、絶対そんなこと許さないわよ」
過去の貢献や亡き父の存在、そして「家族だから」という理由を引き出されるたび、慎二さんは強く主張できなくなってしまいます。
結局、兄の50万円も、母の20万円も据え置かれ、削減されたのは、社員の賞与だけでした。社内には、「社長の兄は来ないのに、50万もらっている」「俺らのボーナス、どこに消えたんだろうな」といった不信の声が広がりはじめていました。
現場を支える社員たちの相次ぐ離職
最初に辞表を出したのは、営業課長の河本さんではなく、入社8年目で営業の中心を担っていた34歳の社員でした。
「この会社で頑張り続ける理由が、わからなくなりました。みんなで苦しい状況を乗り切るのだと思っていましたが、違ったんですね」
仕事が嫌になったわけでも、給与が低いからでもないとはっきりと告げられました。社内に広まった「月50万円」の件を知り、会社への信頼を失ってしまったのです。
その後も製造部門や営業部から退職者が相次ぎ、残された社員へ過度な業務負担がかかる悪循環に陥りました。久しぶりに出社した慎一さんが「最近辞める奴が多いな。嫌なら辞めればいい、社員なんてまた採ればいいだろう」といったとき、営業課長の河本さんが「社長もそう思っているんですか」と慎二さんに向かって問いかけました。
「俺たちはボーナスを削られて、辞めた人の分まで働いてる。なのに、この人には50万円を払い続ける。……俺たちはなんなんですか?」
慎二さんは返す言葉もありません。
離職の影響は社内にとどまらず、退職した社員が担当していた取引先から「今後の取引を見直したい」と連絡が入る事態へ発展します。失ったのは人件費の削減分ではなく、現場が何年もかけて培ってきた取引先からの信頼でした。
