「愛情を会社の仕組みに翻訳する準備」の不足がトラブルの原因
もちろん、株式を平等に分けたことだけが原因ではありません。人間関係のトラブルを、持ち株比率だけで説明することもできません。まして、平等に愛した父親が間違っていた、と言いたいのでもありません。
問題は、「愛情を会社の仕組みに翻訳する準備が足りなかったこと」です。
親の「全員を平等に扱いたい」という思いと、会社の「最終的に誰かが決断しなければならない」という事実は、同じではありません。この2つをつなぐためには、誰が経営を担うのか、議決権をどう設計するのか、経営に関与しない家族には何を承継させるのか、意見が対立したときにどう解決するのかを、元気なうちに考える必要があります。
方法は一つではありません。株式の持たせ方を工夫することもあれば、種類株式、遺言、信託、持株会社などを検討することもあります。制度の名前をただ並べれば解決するわけではありません。会社の歴史、後継者の能力、家族の性格、生活基盤、税務まで見ながら、その会社に合った形をつくらなければならないからです。
私はこの出来事を思い返すたびに、「もっと強く提案できたのではないか」と考えます。選択の責任は、最終的には会社と当事者にあります。私はリスクも説明していました。それでも、専門家として、もう一歩強く踏み込み、具体的な選択肢を示し、家族を交えた話し合いの場をつくるところまで提案できなかったか。その思いは残っています。
「うちの子に限って」と言われたときこそ、「お子さんを疑うためではありません。仲の良い関係を、環境が変わったあとも守るための準備です」と伝えるべきだったのだと思います。
事業承継で守るべきものには、人間関係も含まれる
私は、法律が存在しているだけでは人も会社も守れないと考えています。法律や制度が当事者の思いや現実の問題に結びつかず、必要なときに機能しないなら、そこには実質的な「法の不在」が生まれます。
親の愛情でさえ、適切な仕組みにつながらなければ争いの種になることがあります。だからこそ、家族の気持ちと会社の論理の両方を理解し、耳の痛いことも伝えられるアドバイザーが必要です。
事業承継で守るべきものは、株式や代表者の地位だけではありません。家族関係、従業員の雇用、会社が培ってきた技術、取引先との信頼も含まれます。
日本の産業を支えているのは、こうした一社一社の積み重ねです。会社を守ることは、そこで働く人とその家族を守ることにつながり、地域を守り、ひいては日本を守ることにつながります。
創業者は、子どもたちを平等に扱いました。その愛情自体は、親としては当然のことです。だからこそ、愛情が争いに変わらないようにする。そのための準備を、問題が起きる前に始める。それが、事業承継に関わる専門家の責任だと、私は考えています。
辻昭憲
A&T司法書士事務所
司法書士
