会社を譲ったはずなのに――先代社長が経営に関わり続け、「意思決定の主導権が2つある状態」に
「役員変更登記に費用がかかるなら、取締役の任期は10年にしておこう」――。同族会社の経営者から、実際によく聞く言葉です。
株式の譲渡制限を設けている会社では、定款によって取締役の任期を最長10年まで延ばすことができます。役員構成が変わらないのであれば、登記の回数を減らせるため、一見すると合理的なコスト削減策です。しかし、10年という時間は、会社にも家族にも決して短くありません。
今回紹介するのは、私が司法書士として法務面から訴訟対応を支えた案件をもとに、一部の情報を変更・再構成した事例です。個別の会社や当事者を特定するものではなく、和解の有無や内容にも触れません。
地方で堅実に事業を続けてきた同族会社の創業者・橘浩明さん(仮名・68歳)は、後継者である親族の橘友貴さん(仮名・40歳)に代表権を譲りました。対外的には事業承継が完了したものの、浩明さんは取締役として会社に残りました。任期は、登記費用を抑える目的で定款により10年とされ、承継時点ではまだ長い期間が残っていました。
事業承継を受けた当初、友貴さんは浩明さんに対して「創業者の経験を借りられる」と考えていました。ところが、浩明さんは友貴さんへの承継後もこれまでどおり会社の資金を使い、自らの判断で支出を重ねます。友貴さんが新たなルールを設けても、「自分が育てた会社だ」と受け入れません。意思決定の主導権が2つあるような状態となり、従業員も誰の指示に従うべきか迷い始めました。
浩明さんを取締役から解任するも、「任期途中の解約は不当」と主張され損害賠償トラブルに
さらに問題を複雑にしたのが、浩明さんの役員報酬でした。浩明さんの役員報酬は退任時の退職慰労金を意識したとみられる高い水準に引き上げられており、その金額が将来の損害額を主張する際の基礎にもなり得る状況でした。会社にとっては、日々の支出だけでなく、役員報酬そのものも重い負担です。
話し合いでは収まらず、友貴さんら現経営陣は、会社を守るため浩明さんを取締役から解任する決断をしました。必要な株主総会手続きを経て解任したものの、浩明さん側は「任期途中の解任には正当な理由がない」として、多額の損害賠償を請求。さらに、紛争は訴訟だけにとどまりませんでした。会社の売掛金に対する仮差押えが行われ、予定していた入金を自由に使えない事態となったのです。
そのような状況に陥っても、仕入代金や給与の支払い、借入金の返済は待ってくれません。経営陣は金融機関や取引先への説明、代替資金の確保、本業と並行した証拠整理に追われました。登記費用を抑えるための選択が、年月を経て、会社の資金繰りと信用を揺さぶる紛争の一因となったのです。
