「帰りたい」と言えなかった母の本音
内閣府『令和7年版高齢社会白書』によると、65歳以上の一人暮らしは増加しており、2025年には65歳以上人口に占める割合が男性18.3%、女性25.4%と推計されています。今後も上昇が見込まれ、高齢者の住まいと孤立をどう支えるかは大きな課題となっています。
国土交通省『サービス付き高齢者向け住宅登録状況(令和8年6月末時点)』によると、全国で8,370件、29万2,809戸のサービス付き高齢者向け住宅が登録されています。住まいの選択肢は広がっていますが、設備や費用だけでなく、家族との行き来のしやすさや地域とのつながりについても事前に確認することが大切です。
信一さんは母に「戻りたいなら、すぐ退去してもいい」と伝えました。しかし、節子さんは首を振りました。
「家に戻りたいというより、あんたたちに忘れられたくないの。入ったら安心したみたいで、前より電話も減ったでしょう」
信一さんは言葉に詰まりました。
入居前は毎日のように連絡していたものの、サ高住には職員がいるという安心感から、最近は週に一度しか電話していませんでした。母が暮らしていた戸建ても売却の準備を進めており、帰る場所をなくしたような不安を感じさせていたことにも気づきました。
節子さんは、自宅で再び一人暮らしをしたいわけではありません。夜間に何か起きる怖さもあり、今の住まいの安全性には助けられていました。ただ、家族から「もう任せて大丈夫」と距離を置かれたように感じていたのです。
その後、信一さんは住宅の担当者と面談しました。節子さんが交流の場に入りづらいことを伝えると、職員から少人数の体操会や手芸の集まりを紹介されました。席順にも配慮してもらい、同年代の入居者と少しずつ話す機会が増えています。
家族も、週2回は電話をし、月に2度は外へ連れ出すことを決めました。節子さんも、長男宅へ行きたいときは黙ってタクシーに乗るのではなく、事前に連絡すると約束しました。
「帰りたいと言ったら、せっかく探してくれたのに悪いと思った。でも、本当は帰りたいんじゃなくて、もっと家族と話したかっただけなの」
節子さんは、夕食を終えると信一さんの運転する車でサ高住へ戻りました。
見守りのある住まいへ移ったからといって、家族の役割までなくなるわけではありません。節子さんが求めていたのは、以前の家に戻ることではなく、新しい住まいでも家族とのつながりを失わずに暮らすことでした。
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