「住み慣れた家」より、「暮らしやすい家」を選ぶ
正雄さんは、真理さんにもう一度自分の考えを伝えました。
「家がなくなったって、お母さんとの思い出はなくならない。今は管理できているけど、5年後も同じとは限らないんだ」
自宅を維持するには、今後もまとまった修繕費が必要です。庭や雨戸の管理に加え、階段の上り下りにも不安がありました。真理さんが手伝えるのは休日だけで、正雄さんも娘に負担をかけ続けたくありませんでした。
総務省『令和5年住宅・土地統計調査』は、超高齢社会における高齢者の住まい方を把握することを主な調査目的の一つとしています。住み慣れた家にとどまることだけでなく、身体状況や生活の変化に合わせて住まいを見直す視点も必要になります。
正雄さんは不動産会社に査定を依頼し、売却後に残る資金と団地の家賃、引っ越し費用を整理しました。家賃や共益費はかかりますが、固定資産税や大規模な修繕費は不要になります。車も売却すれば、保険料や車検代、駐車場代を抑えられます。
「家賃を払うなら、持ち家にいたほうが得じゃないの?」
真理さんに聞かれ、正雄さんは答えました。
「金額だけで決めたわけじゃないよ。自分で管理できる範囲に暮らしを小さくしたいんだ」
引っ越しに向けた片づけでは、家族で残す物を選びました。妻のアルバムや食器の一部は団地へ持っていき、娘の学用品や古い家具は、真理さんにも確認したうえで処分しました。
作業を進めるうち、真理さんも父が長年、一人で家を守ってきた負担に気づきました。
「私は、この家がなくなるのが寂しかっただけなのかもしれない。お父さんが暮らしやすいかどうかを考えていなかった」
引っ越し後、正雄さんの生活は大きく変わりました。掃除は短時間で終わり、買い物にも歩いて行けます。同じ棟の住民とは挨拶を交わす程度ですが、管理事務所が近くにあることにも安心感がありました。
もちろん、戸建てへの未練がまったくないわけではありません。庭の木々や、妻と過ごした居間を思い出すこともあります。それでも、使わない部屋を守り続ける重圧からは解放されました。
家を手放しても、思い出や家族とのつながりを捨てることにはなりません。年齢を重ねた自分が無理なく管理でき、必要な場所へ自力で行ける住まいを選ぶことも、老後の自立を守る方法です。
家族にとって大切な実家であっても、そこで毎日を送るのは住んでいる本人です。思い出を残すことだけでなく、これから安全に暮らせるかという視点で住まいを考える必要があるのかもしれません。
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