(※写真はイメージです/PIXTA)

定年後は自然の多い場所で、家計の負担を抑えながら穏やかに暮らしたい。そんな思いから地方移住を考える人は少なくありません。住居費が下がれば年金生活にも余裕が生まれるように思えますが、実際には交通、医療、住宅維持費、人間関係など、移住前には見えにくい負担が後から重くのしかかることもあります。

久しぶりに訪ねた娘が見た、移住生活の現実

移住から3年が過ぎた頃、美咲さんは久しぶりに両親を訪ねました。以前は年に数回会っていたものの、自身の仕事や子育てで忙しくなり、ここ1年ほどはオンラインで連絡を取る程度になっていました。

 

駅に迎えに来た健一さんを見て、美咲さんは少し驚きました。以前より痩せ、運転中も疲れた表情を見せていたからです。家に着くと、庭は手入れが追いつかず、外壁には台風で傷んだ箇所が残っていました。久美子さんは「見苦しくてごめんね」と笑いましたが、美咲さんには、その笑顔もどこか無理をしているように見えました。

 

夕食のあと、家計の話になりました。健一さんは最初、「何とかやっているよ」と濁しましたが、美咲さんが重ねて尋ねると、通院や買い物の移動、住宅修繕費、車の維持費で想定以上にお金がかかっていることを打ち明けました。

 

「こんな生活しているなんて聞いてない……」

 

美咲さんは、思わずそう口にしました。両親から聞いていたのは、「海が見える」「家が安い」「のんびり暮らせる」という話ばかりでした。まさか、病院に行くにも半日がかりで、家の修理を先延ばしにしながら暮らしているとは思っていなかったのです。

 

健一さんは苦笑しながら言いました。

 

「わざわざ心配かける必要もないと思ってね。でも実際は、思っていたより大変なことも多かったよ」

 

久美子さんも、「移住したことを失敗だとは思っていない」と話します。海の近くで過ごした時間には、確かに得がたい豊かさがありました。地域の人たちも親切です。ただ、夫婦二人が元気なうちは成り立つ生活でも、体調を崩したり、どちらか一人になったりしたときに同じ暮らしを続けられるのか。その不安は、年を重ねるほど大きくなっていました。

 

内閣府『令和7年版高齢社会白書』によると、2025年時点で65歳以上人口に占める一人暮らしの割合は男性18.3%、女性25.4%と推計されています。高齢期は夫婦で暮らしていても、将来的に一人暮らしになる可能性があります。移住先を選ぶ際には、夫婦二人で元気に暮らせる現在だけでなく、一人になった場合の買い物、通院、地域とのつながりも考えておく必要があります。

 

また75歳以上の運転免許更新時には認知機能検査などが行われます。車が前提の地域で暮らす場合、免許返納後に生活をどう維持するかは避けて通れない問題です。買い物や通院を家族が支えるとしても、子ども世帯が遠方に住んでいれば、すぐに頼れるとは限りません。

 

美咲さんはその後、両親と一緒に今後の住まい方を考えるようになりました。今の家に住み続ける場合は、修繕費や移動手段をどう確保するのか。住み替えるなら、駅や病院に近い地域で無理のない物件を探せるのか。退職金1,200万円はまだ残っているものの、想定外の出費で少しずつ目減りしています。選択肢があるうちに動くことも、老後の安心につながります。

 

地方移住は、老後を豊かにする選択肢のひとつです。しかし、自然環境や住宅価格だけで判断すると、年齢を重ねてから生活の不便さが表面化することがあります。医療機関への距離、交通手段、買い物環境、住宅の維持費、地域との関係、そして一人になった場合の暮らし。移住を考えるなら、いまの理想だけでなく、10年後、20年後の自分たちが無理なく暮らせるかまで見通すことが大切なのかもしれません。

 

 

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