(※写真はイメージです/PIXTA)

「父の戸籍に知らない名前があるんです」。相続手続きのなかで発覚した第三者との養子縁組。父親は認知症を患っていたが、法律上は養子縁組が成立し、その人物は相続人となっていた。認知症だったはずの父に、なぜそのような法律行為が認められたのか。相続トラブルの現場で繰り返し問題となる「意思能力」を巡る争いと、超高齢社会が抱える課題を考える。※本連載は、THE GOLD ONLINE編集部ニュース取材班が担当する。

 ゴールドオンライン新書最新刊、Amazonにて好評発売中! 

父が溶かした退職金【上巻】・【下巻】
小林篤典(著)+ゴールドオンライン(編集)

シリーズ既刊本も好評発売中 → 紹介ページはコチラ!

相続手続きで明らかになった「想定外の相続人」

東京都内に住むAさん(50代)が父親を亡くしたのは数年前のことだった。父親は80代後半で、妻に先立たれた後も自宅で生活を続けていたが、晩年は認知症の症状が進行していたという。

 

最初は物忘れが増えた程度だった。しかし年月の経過とともに症状は徐々に進み、同じ話を何度も繰り返したり、通帳や印鑑の保管場所が分からなくなったりすることが目立つようになったという。Aさんは「家族の顔や名前を思い出せない日もあり、一人で財産管理を行うことは難しい状態になっていました」と振り返った。

 

Aさんら家族は、できる限り本人の意思を尊重しながら生活を支えていた。将来的な相続について漠然とした話をしたことはあったものの、家族の誰もが「相続人は自分たちだけ」という前提で考えていたという。

 

ところが、父親の死後、その前提は大きく覆されることになる。

 

相続手続きのため戸籍謄本を取得したAさんは、そこに記載された見慣れない名前に目を留めた。続柄欄には「養子」と記されていたのである。

 

当初は何かの誤記ではないかとも思ったが、戸籍を確認すると、養子縁組は正式な手続きによって成立していたという。家族の間には驚きと困惑が広がった。

 

「親族に尋ねても事情を知る人はおらず、父親からそのような話を聞いたこともない」(Aさん)

 

さらに調べていくうちに、その養子縁組が行われた時期は、父親の認知症がかなり進行していた頃と重なっていることが分かった。

 

「父は本当に養子縁組の意味を理解していたのだろうか」と、家族の疑問はそこに集中した。

認知症だったことと、意思能力がなかったことは同じではない

多くの人は、認知症になれば重要な法律行為はできなくなると考えている。しかし実際の裁判では、そのような単純な判断は行われていない。

 

法律上問題となるのは、「認知症だったかどうか」ではなく、「その法律行為を行った時点で意思能力があったかどうか」だからだ。養子縁組は当事者の縁組をする意思(縁組意思)を前提とする行為であり、民法802条1号は「人違いその他の事由によって当事者間に縁組をする意思がないとき」を養子縁組の無効原因として定めている。判断能力が著しく低下し、縁組の意味を理解できない状態であったと認められれば、この「縁組をする意思がない」場合に該当し、養子縁組は無効となる。

 

意思能力とは、自分が行う行為の意味や結果を理解し、それに基づいて判断できる能力を指す。

 

養子縁組であれば、相手と法律上の親子関係になること、その結果として相続人が増えること、将来の財産の承継関係が変化することなどを理解していたかが重要な判断材料となる。そのため認知症と診断されていたとしても、養子縁組の意味を理解していたと認定されれば、その養子縁組は有効と判断される可能性がある。一方で、認知症という診断がなくても、意思能力を欠いていたと判断されれば無効となる余地がある。

 

一般の感覚では「認知症だったのだから無効ではないか」と思われがちだが、裁判所は病名そのものではなく、行為当時の具体的な判断能力に着目しているようだ。

 

実際、長野家庭裁判所諏訪支部の平成24年5月31日判決では、養子縁組に必要とされる意思能力の程度について、格別高度なものである必要はなく、親子という親族関係を人為的に設定することの意義を常識的に理解できる程度で足りるとの考え方が示された。この事案では、養親がアルツハイマー型認知症を患っていたものの、裁判所は養子縁組をする意思能力がなかったとまでは認められないと判断し、縁組を有効とした。認知症の診断があっても、養子縁組という比較的単純な意思表示をする能力までは失われていないと評価されれば、縁組が有効とされる典型例だろう。

家族が直面する「証明できない」という現実

もっとも、ここから先が家族にとって最も厳しい部分である。

 

養子縁組の無効を主張する以上、本人に意思能力がなかったことを立証しなければならない。しかし、その問題が表面化するのは本人が亡くなった後であることが少なくない。

 

当然ながら、本人に直接確認することはできない。そこで裁判では、医療記録や介護記録、認知機能検査の結果、養子縁組当時の生活状況、関係者の証言などを基に、当時の状態を推認していくことになる。長谷川式簡易知能評価スケールなどの検査結果が当時の判断能力を示す重要な証拠として用いられることも多い。

 

しかし認知症の症状は一様ではない。日によって状態が異なることもあれば、会話の内容によっては受け答えが成立することもある。家族から見れば判断能力を失っているように見えても、養子縁組の意味を理解する程度の能力は残っていたと評価される可能性がある。

 

前述の長野家庭裁判所諏訪支部の判決のように、認知症の診断を受けていた人の養子縁組について、意思能力の欠如を認めず、有効と判断したケースも存在する一方で、結論が逆になったケースもある。

 

名古屋家庭裁判所は平成22年9月3日、認知症等と診断され寝たきりで全面的な介助を要した養親について、医師の問いかけに反応せず意思疎通ができない状態にあったことなどを理由に、養子縁組をする意思がなかったと認定し、無効確認請求を認容した。この事案では、養親が縁組相手に対しては好意的な発言をしていた一方で、別の親族には縁組に否定的な発言をするなど言動が一貫しておらず、判断力の衰えからその場の相手の意向に沿う発言をしやすい状態にあったことも、無効と判断する要素とされている。

 

長野の事案と名古屋の事案を比べると、結論を分けたのは「認知症」という診断名そのものではなく、当時どこまで意思疎通や一貫した判断ができていたかという具体的な状況であったことが分かる。

 

家族にとっては納得し難い結果であっても、法律上は「認知症」と「意思能力の欠如」が必ずしも一致しない。

なぜ養子縁組が大きな争いになるのか

養子縁組自体は違法な制度ではない。むしろ日本では古くから利用されてきた制度であり、事業承継や家族関係の形成など、さまざまな目的で活用されている。

 

成人同士でも養子縁組(普通養子縁組)は可能であり、民法792条が定める「養親は成年者であること」などの要件を満たせば成立する。

 

その効果は極めて大きいと言える。民法809条は「養子は、縁組の日から、養親の嫡出子の身分を取得する」と定めており、実子と同じ相続権を持つことになるからだ。

 

たとえば実子が2人いる家庭に養子が1人加われば、相続人は3人になる。相続財産の分配割合も変わり、それまで想定していた相続の枠組みそのものが変化する。

 

問題は、家族がその事実を知らないまま相続を迎えるケースがあることだ。戸籍を確認するまで養子縁組の存在を知らなかったという事例は決して珍しくない。そして相続発生後に初めてその事実を知った家族が、「本当に本人の意思だったのか」と疑問を抱き、争いへと発展していく。

本当の問題は「相続」ではなく「認知症後の時間」にある

このような事例を見ると、多くの人は相続トラブルとして捉える。しかし実際には、問題の本質は相続そのものではない。

 

本当に重要なのは、本人の判断能力が低下した後の時間である。認知症が進行すると、財産管理や契約、不動産の売却、遺言書の作成など、さまざまな場面で意思確認が難しくなる一方で、本人名義の財産や法律関係はそのまま存在し続ける。本人の意思が曖昧になっていくなかで、財産や法律上の権利だけは残り続ける。家族が気付いた時には法律関係が形成されており、その有効性を争うためには過去の本人の状態を証明しなければならない。その困難さこそが、認知症時代の相続問題の本質といえるだろう。

「まだ大丈夫」が最大のリスク

Aさんは後になってこう語った。

 

「父が元気なうちに、もっと将来のことを話し合っておくべきでした。相続の問題だと思っていましたが、本当は認知症になる前の準備の問題だったんです」

 

認知症になってからでは、利用できる対策は限られる。家族信託や任意後見契約といった制度も、本人に十分な判断能力が残っている段階で準備することが前提となる。任意後見契約は本人と任意後見受任者との契約であるため、本人の意思能力が失われた後では締結すること自体ができない。意思能力が失われた後は、法定後見制度(成年後見等)を利用するほかなくなる。

 

相続は死亡によって開始する制度である。しかし現実には、その前の何年もの期間にわたり問題が進行していることが少なくない。戸籍に記された見知らぬ名前は、単なる相続トラブルでは終わらない。判断能力が衰えた後、本人の意思をどう確認し、誰がそれを守るのか。誰もが当事者になりうるこの問いに、超高齢社会の日本はまだ十分な答えを持っていない。だからこそ、判断能力が衰える前にどう備えるかが、今を生きる私たちに問われている。

 

 

THE GOLD ONLINE編集部ニュース取材班

 

 

【注目のセミナー情報】​​​

【国内不動産】6月25日(木)オンライン開催
元国税局・税理士×銀行融資担当者が解説
「利上げフェーズ」の中古アパート経営と融資戦略

 

【資産運用】6月27日(土)オンライン開催
あなたの代わりに資産が働く!
「おまかせ投資」のスキーム5選を公開

 

 

【関連記事】

■税務調査官「出身はどちらですか?」の真意…税務調査で“やり手の調査官”が聞いてくる「3つの質問」【税理士が解説】

 

■月22万円もらえるはずが…65歳・元会社員夫婦「年金ルール」知らず、想定外の年金減額「何かの間違いでは?」

 

■「もはや無法地帯」2億円・港区の超高級タワマンで起きている異変…世帯年収2000万円の男性が〈豊洲タワマンからの転居〉を大後悔するワケ

 

■「NISAで1,300万円消えた…。」銀行員のアドバイスで、退職金運用を始めた“年金25万円の60代夫婦”…年金に上乗せでゆとりの老後のはずが、一転、破産危機【FPが解説】

 

■「銀行員の助言どおり、祖母から年100万円ずつ生前贈与を受けました」→税務調査官「これは贈与になりません」…否認されないための4つのポイント【税理士が解説】

 

 

 \6月25日(木)開催/

 税務調査に要注意!
「相続対策」のための「生前贈与」の基礎知識と活用法

 

ゴールドオンライン・エクスクルーシブ倶楽部が

主催する「資産家」のためのセミナー・イベント

 

 

【6月24日開催】

プライベートアセット、ヘッジファンド、コモディティ…
世界の富裕層が「オルタナティブ投資」を活用する理由

 

【6月25日開催】

税務調査に要注意!
「相続対策」のための「生前贈与」の基礎知識と活用法

 

【6月30日開催】

2026年、相続の常識が変わる
「デジタル遺言」「認知症対策」「不動産評価」見直しの最新動向

 

人気記事ランキング

  • デイリー
  • 週間
  • 月間

メルマガ会員登録者の
ご案内

メルマガ会員限定記事をお読みいただける他、新着記事の一覧をメールで配信。カメハメハ倶楽部主催の各種セミナー案内等、知的武装をし、行動するための情報を厳選してお届けします。

メルマガ登録