太陽王ルイ十四世の威勢を感じる「ベルサイユ宮殿」
七月十八日の夕方、ベルサイユ宮殿前の緑豊かな正門大通りに面し、典雅な四つ星ホテル、プルマン・ベルサイユ・シャトーに着いた。
大理石造りで今回の旅で最も気に入った落ち着きのあるホテルだった。夕食はチキン胸肉&人参などお好みで、食後、ソファーの円座談話室でツアーメンバーと語り合った。皆さん大変な旅行通で楽しかった。
翌日はベルサイユ宮殿(一七世紀後半完成、日本の江戸元禄時代の頃)見物だった。三十年ぶりの宮殿は前と変わらず太陽王ルイ十四世の威勢を誇る豪華絢爛。大理石、シンメトリーの大庭園などで、むろん世界最大の驚くべき壮大さを見た。
ただ小さな団体客用の門に殺到している客種は昔と違って中国人が半数を占め、五分きざみの入場制度。大声で中国団体が呼ばれる度にフランス人からブーイングが起きる。日本人団体には起きない。
もっともなことで、中国人は行儀が悪い。撮影禁止の場所でもパッパとフラッシュをたき、時々ペッとツバを吐く。しかし、中国を侵略するのみで、人民へマナーの案内をしなかったエリートぶった帝国主義者に対するささやかな抵抗の行為にも見えた。
宮殿と大庭園を観てレストランで待望のエスカルゴに舌鼓を打った。
のどかな田園風景が広がるマリー・アントワネットの家
小憩後ベルサイユの西端の小庭園、小トリアノンに小雨の中到着した。カミーユの好きなアントワネットの家だ。
彼女も晩年(といっても三十八歳で処刑されたが)はここに隠棲した。彼女はここにのどかな田園風景とわら葺きの農家などから成るかなり広い小部落を造らせた。
これは左右対称のフランス式庭園と違った景観で、イギリス式だが和風の感覚もあり日本人の好みによく合う。土橋、水車小屋、池には白鳥の群れ、手を叩けば集まる魚群、睡蓮、池に枝を落とすヤナギなど。霧雨の中でツアーの人たちもこの静寂さに感動していた。
ただ、マリー・アントワネットの最期は可哀想な無実の女性とは言い難い。この庭園に住むだけでも巨額の国税を回したのだろう。フランス革命は支配者の意識変革が成らず、処刑に至った内戦であった。マリーは周囲に人を得ず、人の忠告も信ぜず、結局時代を見通せなかった。
この後、観光バスは懐かしのパリ中心部に入って、私は初めてのセーヌ川クルーズを変わった位置で楽しんだ。
前席のアベックが出発点から終着点までキスをしっぱなしで全然景色を見ていないのは勿体ない。私も前の風景が邪魔で見えないのでキスの形態をたんねんに観察していて、左右の美しい景色、セーヌの流れを見なかった。妻は横に目をそらして、美しい風景を見ていたのは当然だろう。
次いでバスはエッフェル塔、凱旋門、シャンゼリゼ通りをゆっくり廻った。雨は上がったが曇り空。しかしバカンスでフランス人は少ないが中国や米国の観光客などで、シャンゼリゼは昔通りの賑やかさと美しさがあった。そして目を休ませるマロニエの緑。将に世界の都だ。
翌十九日は自由行動で、ルーブルやオルセーの美術館巡りをした。やはりヨーロッパには巨大なキリスト教建築が目を引く。「聖と俗」に分ければこれまで「俗」なる観光地について述べてきたが、次回からは「聖」の方へ話を移したい。