前回は、フランスの首都「パリ」の思い出を紹介しました。今回は、多くの人々が亡くなった、フランス革命へと想いを馳せます。

魅力的なフランス人マダムとの出会い

二十七年前、二度目のフランス旅行の帰国便で、並のモデルよりスタイルが良いパリのバレリーナと隣り合わせになり約四時間もお互い「broken English」で会話が弾み、思い出しても夢心地な時をすごした。

 

私がベルレーヌの詩を少し唱えると、彼女は微笑みを絶やさずメモ帳にフランス語文法と韻文の初歩を書いて、私に対し、あなたは詩人に見えるからフランス語の詩を書いて送ってくださいと無茶なお世辞を行った。日本に近づくと寝ますからと言ってアッという間に眠ったが、寝顔も美しかった。

 

フランス人女性が魅力的なのは、男を恐れないことと会話の節は微笑をたやさないこと、冗談が好きなことなどに理由があると考える。カトリックを強く信じる喜びの矜持なのか。

 

そんなわけでマダム・カミーユ(女性の年がわからぬ時は、どんなに若くてもマダムと言っておけばよいらしい)に最初に尋ねたのはカミーユは作曲家サンサーンスのクリスチャンネームのスペリングと同じですかというキザな質問だが、同じですと彼女はニッコリして答えた。

 

二十七年前のバレリーナと違いカミーユは芸術家でもないし仕事中だし、個人的なことは以後質問しまいと、私も若くないため自省した。

マリー・アントワネットも入った牢獄へ

コンシェルジェリー(ホテルのコンシェルジュはここから来ている)という街中なのに陰気な石造りの建物がある。ここは一七八九年七月から十年に及ぶ大革命の牢獄であり、種々な人が収容されギロチンに送られた。

 

カミーユはルイ十六世の王妃マリー・アントワネットに特に同情を持って、同年十月に軟禁され、一七九一年のバレンス逃亡事件でオーストリアへ向かったが、捕まり再びこの牢獄へ入ったと説明した。一七九二年八月に王権停止。十二月に死刑宣告。一七九三年一月にコンコルド広場でギロチン処刑された。

 

政治主導者でもないアントワネットが、たった一度だけの逃亡で、いわば無実で殺されたことに、非常に同情されている。

 

しかし例えば一八九五年に作られた唯一フランス革命を背景にしたジョルダーノの傑作オペラ「アンドレア・シェニエ」でもシェニエが無実の罪でギロチン刑が決定する。

 

恋人マッダレーナも愛を貫くため恍惚の中に二人はギロチンにかけられる、というロマン劇だが、あの革命では相当数が無実で処刑されていると見てよい。(ジャコバン党首領で無数の処刑をしたロベスピエールも一七九四年にギロチンの露と消えた。最後に収拾したのが、あのナポレオン一世だ)

 

このオペラは既に観ている。まだ読んでいないが一九一二年のノーベル賞作家アナトール・フランスの『神々は渇く』では、無教養な革命の道徳上の傲慢を説いたという。フランス革命は西欧における生き地獄の見本だろう。

 

革命は多くの啓蒙主義者により自由、平等、博愛という大義名分がつけられたが、本質的にこの残酷さは、キリスト教系の下層ブルジョワや農民の人々の、重税に対する怒り、怨恨に根ざしている。

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    幻冬舎メディアコンサルティング

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