新年度の朝、テーブルに置かれていた「離婚届」
新年度が始まる4月1日の朝、街にはどこか「スタート」を予感させる清々しい空気が漂っています。スーツ姿の新入社員や、真新しいランドセルを背負った子どもたち。駅前には少しの緊張と未来への期待を携えた面持ちの人が増える、そんな日のこと。
安田社長(仮名/46歳)も、本来はその空気のなかにいるはずでした。年商3億円、社員12人。大きな会社ではありませんが、ここ数年の売上は右肩上がりで、その日は新年度のキックオフミーティングを控えていました。全社員を前に、これからの戦略を語る予定だった彼は、ネクタイを締めながらリビングに入り、あるものに目を止めます。
テーブルには、1枚の紙だけが置かれていました。手に取った瞬間、それがなにかを理解しました。
離婚届でした。
付箋で短いメモが添えられています。「新年度だから、人生もやり直そうと思う」。
意味を理解するまでに、相応の時間を要しました。昨夜、特別な衝突があったわけではありません。いつもどおり食事をして、それぞれ風呂に入って、眠りについただけ。
しかし、家の中は静まり返り、妻も子どももいません。生活の気配は完全に消え去っていました。会社では新しい1年が始まるはずの朝、安田社長の人生は、本人の意思とは無関係に、別の方向へと舵を切られてしまったのです。
銀行からの1本の電話で、元銀行員の妻が察したこと
妻にとっては、なんら突然のことではありませんでした。夫が夜中に何度もスマホを確認するようになったことや、休日でも電話が鳴り止まないこと、食事中にふと黙り込む時間が増えたこと。表面的には「多忙な経営者」を装っていましたが、その忙しさの“質”が変わっていることを、妻は見逃していませんでした。
決定的となったのは、銀行からの一本の電話です。「ご主人の携帯に繋がらなかったのでご自宅にお電話させていただきました。会社の状況の件で、確認がありまして」。元銀行員で融資審査に携わっていた彼女にとって、「状況確認」という言葉が意味するのは、資金繰りの悪化にほかならないことを知っていました。夫は、資金繰りの悪化で気まずくて銀行からの連絡を避けていたのでしょう。
その夜、妻は夫に切り出しました。「会社、資金繰りは大丈夫なの?」。
「……順調だよ。売上も伸びているし」。それは嘘ではありませんでしたが、答えとしては不十分でした。
「銀行がわざわざ確認に来るときって、だいたい資金繰りに問題があるときだよ」さらに妻は核心に触れました。「借入、いくらあるの? ……2億くらい?」
安田社長は「うるさいな、会社のことに口を出すなよ!」と声を荒らげましたが、否定はできませんでした。
売上は伸びていても、内側では借入が積み上がり、キャッシュが薄くなった分を次の融資で回している。彼女が銀行員時代に何度も見てきた、「崩れる一歩手前」の典型的な形でした。

