既存障害分を「引き算」する損保料率機構
損保料率機構は、その行動指針として、「障害などを理由とする不当な差別および人権侵害を行いません」とホームページなどで明らかにしている。
しかし、前著の発行から5年、この間にサリュが直面し、新たに浮かび上がってきた交通事故賠償制度の問題がある。それは障害者差別という問題である。
分かりやすく事例から紹介しよう。本書籍の「はじめに」の部分で紹介したご夫婦の例である。ご婦人はもともと脳の病気の後遺症で体の左側に軽い麻痺が残っていた。ところが車に乗っているときに事故に遭い頚椎を捻挫、新たに体の右側にしびれが出て、首に痛みを感じるようになった。
以前は障害があるとはいえ、リハビリの結果、比較的元気に外を歩けていたのが、事故後は杖を使わないと歩けない状況になってしまった。事故によって新たな症状が出ているので後遺障害の申請をしたのだが、結果は非該当となり、新たな後遺障害について、賠償を受けることができなかったのである。
なぜこのような結論になるのか、その仕組みの説明をする。たとえば人差し指がもともと不自由で動かなかった人がいたとしよう。その人が交通事故で人差し指を失ってしまったとする。健常な指の人が交通事故によって指を失った場合と、もともと動かなかった指を失ってしまった場合、交通事故による損害はどちらがより大きいといえるだろうか?
解釈はいろいろあると思うが、一つの考え方として、健常な指であった人のほうが、事故によって失った機能はより大きいと考えることができる。
なぜなら、もともと指が不自由で動かなかった人は、動かない状態から指を失ったにすぎないのだから。この場合に、指が動かない障害から指を失った障害になった差の部分だけを賠償するという考え方がある。
自賠責はまさにこの考え方を採っているのである。事故によるものであろうが先天的なものであろうが、すでに何らかの後遺障害(既存障害)を持っている人が、その後交通事故で〝同一部位〟に新たな後遺障害を負った場合、自賠責では既存障害から重くなった分(加重障害)だけを賠償するという仕組みになっている(自動車損賠賠償保障法施行令第2条2項)。
先ほどの人差し指の例でいうならば、人差し指がもともと不自由で動かないという既存障害12級を持っていた人が交通事故でその指を失った場合(11級相当)、自賠責保険では新得障害11級(331万円)から既存障害12級(224万円)を差し引いた107万円が支払われるということである。
なるほど、同一部位の加重障害の考え方は一見理屈が通っているように思える。しかし障害を「引き算」で計算すること自体、そもそもおかしな話ではないだろうか? 指が動かない人は、指が動かないなりにも工夫して生活していたはずである。とすれば、その指は不自由ながらも日常生活でなくてはならない機能を有していたはずだ。
それが奪われたことによる不利益は、健常者が指を失った場合とどれほど違うというのだろう?
単純に既存障害分を「引き算」することが正しい評価につながるとは思えない。等級表に定められた労働能力喪失率の差し引きという作業で、どれほど現実的な不利益や損害の計算ができるのか、大いに疑問だ。したがって、そもそも既存障害、加重障害をやたらと振り回す現在の制度運用そのものを見直すべきだと考える。
しかし、より看過できない目の前の大きな問題は「同一部位」の解釈にあるのだ。
自賠責は、自賠法施行令2条2項の「同一部位」を、「同一系列」と解釈する。同一系列とは自賠責の障害等級早見表(以下の図表参照)の系列番号が同じだということである。
たとえば、脳損傷や脊髄損傷のような中枢神経と、ムチ打ちなどの局部神経症状は、13番「神経系統の機能または精神の障害」として同一系列とされ、同一部位と見なされるのである。
先ほどの女性の例で言うならば事故前は脳の病気の後遺症として体の左側がしびれていたのが、事故後、頚椎損傷を原因として、反対の右側にしびれが起き、しかも首に痛みまで生じている。明らかに以前の障害とは、その原因も発生部位も同一とは考えられない。しかしこれらは同一系列とされる結果、賠償を受けられないという不合理な結論に至るのだ。
百歩譲って同一系列であり同一部位だとしよう。それでも明らかに新たな症状が出て、それによって被害者はさらなる苦痛と不自由を被っているのである。加重障害としてプラスアルファの賠償がなされて当然ではないか?
ところが神経障害に関しては明らかに新たな症状が出ていても、既存障害より重い加重障害とはなかなか見なしてはくれないのである。
障害を持っているがゆえに、賠償が受けられない
想像してみてほしい。あなたが、あるいはあなたの家族や友人が、脳梗塞や脊髄損傷で何らかの神経症状の後遺障害を残していた場合に、道で自動車に轢かれて頚椎捻挫で首の痛みや上肢にどんなに強い痛みやしびれが発症しても、それは一切損害として賠償されないのである。
自賠責の理由を聞いて「なるほど、そうですね」と納得できるだろうか。誰もが「それはおかしい」と憤りを覚えるのではないだろうか。ところが、これが強制保険である自賠責保険の採用しているルールである。
「はじめに」でも触れたように(本書籍をご覧ください)、損害保険料率機構が後遺障害を非該当とした結果を伝え、もはや裁判するしか方法がないと我々が提案したときのご主人の怒りは激しかった。自賠責保険はその性質上、どうしても一律な判断、画一的な処理を取らざるを得ない部分がある。個別案件を精査して対応することは基本的にしない。
これまでの経験で十二分に知っていればこそ、また、そもそも運用を変えなければこの案件で認定されることはないと知っていたからこそ、裁判所に判断を仰ぐしかないと提案したのである。裁判所こそは訴訟に対して個別に事件を精査し、それぞれのケースに応じた判断をするのが仕事である。
ただし、裁判になればお金もかかるし時間もかかる。すでにご夫婦ともども長い時間裁判で争う精神的余裕などなかった。誰が考えても不当で不条理な損害保険料率算出機構のやり方を前にして、裁判に頼らなければ相手を動かせない弁護士や賠償制度そのものに深く失望し、もはやご夫婦ともに戦う気力さえなくなってしまったというのが本当のところだろう。
本来、障害者でなければそれなりの等級が認定され賠償を受けることができたはずだ。障害者であるがゆえに不条理な認定に甘んじなければならない。実はこの夫婦のように既存障害を持っているために賠償がなされない人はたくさんいるのである。
これまでそれが問題にならなかったのは、障害者としてすでにある程度医療費の補助などがなされているため、あえて交通事故賠償をめぐって裁判にかけてまで争おうとする人が少ないとか、また弁護士自体が及び腰であったというのもあるだろう。
相手が自賠責保険や損害保険料率算出機構であり、自賠責の認定基準そのものを問題にするため、かなり厄介なことになるのは目に見えている。
いずれにしても障害を持っているがゆえに受けるべき賠償が受けられないとしたら、それは明らかに障害者差別であり、ひいては憲法14条の法の下の平等に抵触する憲法問題でもあるのだ。