加害者の証言を鵜呑みにする警察
今回は、実際にあった交通事故の裁判例を見てみよう。
交差点での事故で被害者は死亡。加害者は、被害者が赤信号で交差点に進入したため事故が起きたと捜査の時点で供述しており、それに沿った刑事記録が作成されていた。保険会社側もこの供述に則って被害者に大きな過失があると主張していた事案である。
しかし、加害者は、事故直後は別のことを言っていたのである。実況見分調書の警察官の手書きの書類に、事故直後の指示説明があり、それと後日の指示説明がまったく異なっていたのだ。そして、事故当日の供述調書でも、調書完成後の調印の段階に至って、供述を変えている。
おそらく、事故後、時間の経過とともに自らの刑事責任に恐れをなし、自己弁護のために途中で供述を変えたに違いない。
この件では供述を変えた後の説明が、「赤信号だけは見ていたが、その真下にある右折矢印信号を見落としている」などという不合理極まりないものであった。それゆえ被害者有利に解決できたのだが、このように、被害者が話せないことをいいことに、自己弁護供述によって恣意的に組み立てられた事故状況はたくさんあるに違いない。
また、別の件では、刑事記録上は、加害者の供述として、死亡した被害者が急に車道に飛び出してきたかのような記載になっていた。
しかし、どう検討しても、加害者の供述には矛盾する点が多いのだ。裁判は加害者を法廷に呼び、尋問を行うという段取りになったのだが、私たちは加害者の供述の矛盾する点をあらかじめ準備書面で指摘しておいた。
私は尋問当日、いかに加害者を反対尋問で崩すかを練って尋問に挑んだのであるが、尋問当日になって、加害者が主尋問(加害者側代理人の尋問のこと)で刑事記録に残された供述をすべて訂正し、まったく別の事故態様(被害者発見場所や加害者の制動地点など)を答えたのである。
私は拍子抜けしたとともに、このような自己弁護供述を前提として刑事事件が処理されている状況に愕然とした。
刑事被疑者の立場にあり、刑事責任を問われる加害者は、自己弁護供述をする動機が高い。それにもかかわらず、警察はそれをほとんど鵜呑みにして事故態様を組み立てる。それを後になって、裁判でひっくり返さねばならない被害者側の苦労は並大抵ではない。
警察は、民事不介入の前提もあり、交通事故被害者の賠償には関心がない。これは致し方ない部分があるとはいえ、刑事事件では真実の解明こそが求められている。
交通事故によって最愛の人を亡くした遺族や、重大な後遺障害を負った被害者の家族にとっては、死亡や後遺障害という結果がどのような事故態様で起きたのかが非常に重要な関心事であり、加害者の一方的な供述で被害者に責任を転嫁されるのは、絶対に納得できない。
事故態様が、被害者のその後の後遺障害の認定や損害賠償に大きく関わってくるのは当然だ。警察も、限られた捜査の時間の中で、すべての嘘を見抜くことなどできないだろうが、安易な加害者偏重の捜査は被害者や遺族を苦しめてしまうことをもっと意識すべきであろう。
重大な障害が残ったにも関わらず、不起訴処分に・・・
さらに、警察の捜査結果を前提に刑事処分を決めるのが検察官であるが、この検察官の処分も被害者を苦しめることがある。
実際にあったケースでは、被害者が自転車で道路を横断していたところ、自動車にはねられ、頚椎骨折などの重傷を負い、言葉を発せられず、食事もとれない、ほとんど寝たきりの症状を残したという事案である。
この事案は、対向車線の自動車は自転車に気付いて停車しており、通常の注意を払えば横断者がいることは予想できた。それでも停車していないということから、運転中の携帯電話の使用が疑われるケースであった。それに加えて、ある日突然、家族が寝たきりになってしまった家族の被害感情は大きかった。
そのため、被害者家族の被害感情の強さと加害者の重過失の可能性を訴え、刑事起訴を求めるとともに、被害者参加を希望した。
しかし、担当検事は、一度は起訴すると約束したものの、後に被害者にも過失がある場合の「全国的な取り扱い」を理由に、不起訴処分にしたのである。加害者の前方不注意によって、家族が言葉も発せられず寝たきりの状態になってしまったなら、その無念はいかほどだろうか? 被害者家族の感情としては、結果がどうであれ起訴してほしいと思うのは当然だろう。
この事件の真相は神のみぞ知るのであろうが、刑事処分を免れた加害者が笑い、寝たきりで話せない被害者が泣くのであれば、それは許し難い結論ではないだろうか。