東欧諸国に静かに忍び寄るプーチン大統領
かくしてグローバリズムの妖怪が全世界を覆った時代の「終わりの始まり」となったという世界史的意味は大きい。過去半世紀近く世界を牽引したグローバリズムの敗退が始まった。
アメリカ大統領選でのトランプ現象、ヨーロッパの保守政党躍進、アジアでは軍国主義チャイナの台頭があるが、もうひとつ重要な国を忘れてはいけない。
軍事大国ロシアである。EUとの貿易では石油・天然ガスを輸出し(23兆6000億円)、機械類を輸入して(14兆円強)、膨大な貿易黒字である。ロシアを率いるのは、伝統の回帰とロシアの栄光を掲げるプーチンである。トランプが尊敬する政治家でもある。
しかし、EU諸国の大半がNATOに加盟して軍事的にはロシアと対峙し、あまつさえウクライナ問題で西側から経済制裁を受けている。
イギリスのEU離脱騒ぎに隠れて、ロシアおよび旧ソ連圏の動向があまり伝わらなくなった。
2015年秋、セルビアの首都ベオグラードの街を歩いていたとき、あちこちの露店や土産物屋でプーチンのTシャツが売られていた。「8ユーロ、1銭も負けない」と言われたので買う意欲が失せた。プーチンのマトリョーシカも売られていた。セルビアでは大変な人気者だ。
[写真1]セルビアの首都ベオグラードで売られていたプーチンTシャツ(筆者撮影)
2016年6月にスロベニアのイタリア国境の町ノヴァ・ゴリツァへ取材に行った。書店でヒトラーやムッソリーニの伝記がベストセラーの棚にあった。スロベニアはEUにもNATOにも加盟し、通貨はユーロ、それほど西側寄りの国でも政治思想は異なる。
セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナはバルカン半島の旧ユーゴスラビアのなかで「反米」が旗幟鮮明な国である。
一方、マケドニア、モンテネグロ、コソボは親米、それも大通りに「クリントン・アベニュー」といった名称がつけられ、アルバニアの都市にはジョージ・W・ブッシュ前大統領の銅像が建っていた。
それはそうだろう。1990年代、アルバニア系住人の多いコソボはセルビアによって統治されていたが、コソボ紛争でNATOは空爆を強行してセルビアを敗北に追い込み、アルバニア人はまんまとコソボ独立を勝ち取ったのだからアメリカ様々なのだ。
コソボは欧米の後押しで国連加盟が認められたが、ロシア、中国などはいまもって独立を承認していない。だから「未承認国家」といわれ、法定通貨はユーロだ。マケドニアも反ギリシャ感情が強く、そのぶん、親米的である。
他方、セルビアはユーゴスラビア紛争で、一方的な敗者と決めつけられ、悪者としてミロセビッチ、カラジッチが戦勝国の法廷で裁かれたが、同じく虐殺を行ったボスニア武装勢力もクロアチアのなした民族浄化も、その戦争犯罪は不問に付された。
セルビアが負けたのはNATOの空爆だった。首都ベオグラード旧国防省のビル、内務省、公安部のビルは空爆されたままの残骸をいまも意図的に曝さらしている。あたかも原爆ドームであり、捲土重来を期すセルビア人の心境を象徴的に表している。
そして2016年6月、セルビアの世論調査の結果が出た。それによれば、57%の国民がロシアの軍事基地を領内に開設することに賛意を表し、64%がクリミアを併吞したロシア外交を支持したのだ。
シリア政権の保護、原油パイプラインの拠点確保が狙い
こうしたヨーロッパ内の出来事は正確に日本に伝わっていない。地図を開いてみればはっきりするが、もしセルビアにロシアが軍事基地を置くと、NATOの最前線となった旧ソ連圏のブルガリア、ルーマニアの「頭越し」で中欧のど真ん中に位置することになる。つまり、NATOの中枢へロシアが軍事的橋頭堡を建設するということになる。
ロシアから見れば、旧東欧圏は軒並みNATOに寝返りミサイルを配備して旧宗主国に牙を剥いたわけだから、反撃攻勢を期してまずはシリア政権を守り、原油パイプラインの拠点を確保し、いまも軍を駐留させている。
次いでロシアはアゼルバイジャンからのパイプラインについて、NATOのミサイルを配備したブルガリアを袖にして、ギリシャに話をもちかけた。南欧の分断に出ているのだ。2016年5月27日、プーチンは経済団体多数を引き連れ、アテネを訪問している。
それから8月9日、犬猿の仲だったはずのトルコのエルドアン大統領を招き、サンクトペテルブルグで会談した。
[写真2]エルドアン大統領と会談するプーチン大統領(2016年8月9日)
クリミア併合、ウクライナ問題での西側のロシア制裁の意趣返しをこめて、プーチン大統領のヨーロッパにおける失地回復は静かに開始されているのである。