姉は東京の私立大学、妹は地元の公立大学へ
「私と姉は平等じゃありませんでした」。そう語るのは、佐久間家の次女・美和さん(仮名・46歳)です。
長女の瑞希さんは成績こそ平均的でしたが、両親は「本人が行きたいなら」と東京の私立大学へと進学させました。しかし、5年後に美和さんが大学受験をする頃になると、家計は苦しくなっていました。どれぐらいとはわからなくても、父と母の様子から察するほどだったといいます。
「東京、ましてや私立なんて、とても言えない。奨学金を借りるという知識も当時はなくて。私は地元の公立大学に進むしか選択肢がありませんでした」
倍率の高い公立高校を受けるために、寝る暇も惜しんで猛勉強。ようやく合格を勝ち取ったといいます。
その後、 瑞希さんは東京で、美和さんは地元で結婚し、それぞれの生活を送ってきました。しかし、“静かな怒り”は心の底に残り続けたのです。
「私は介護しません」…77歳父に妹がNOを突きつけたワケ
それは、77歳の父・誠司さんから呼ばれて姉妹が実家に集まったときのこと。母が亡くなって以来、一人暮らしをしていた誠司さんは、身体の衰えが目立ち始め、転倒が増加。立ち上がりや階段の昇り降りに人の支えが必要な場面も出てきました。
病院では進行した関節の変形と筋力低下により「自力での移動が難しくなっている」と指摘されました。そこで、「悪いが、家のことや外出の時には手伝ってほしい」――そう誠司さんが助けを求めた先は、美和さんでした。
東京に住む瑞希さんではなく、車で20分の距離に住んでいる美和さんを頼るのは、一見ごく自然なことです。しかし、美和さんは「お父さんのことは心配だけど」と前置きしたうえで、こう言いました。
「なんで私? お姉ちゃん、やってください」
言葉を失う誠司さんに、美和さんは淡々と告げました。
「だって、私は地元の公立で全部済ませたのよ。お金なんてほとんどかけてもらってない。お姉ちゃんは東京の私立に行って、仕送りまで受けていたよね。そのうえ介護まで? 納得できるわけない」
美和さんにとっては「選ばせてもらえなかった人生」でした。その感情が、25年近く経ったタイミングで静かに爆発したのです。
しかし、長女の瑞希さんも黙っていません。
「東京に行っていいと言ったのは親。私だって『地元にしろ』と言われればそうした。今になって全部押しつけるなんて筋違いでしょ。物理的に距離が離れているのに無茶言わないで」
それを受けて、美和さんはさらにこう続けます。
「大学で東京に行けたかどうかで、私の人生は変わったと思う。自分ばかり“いいところ取り”して、お姉ちゃんが我慢する番でしょ。さんざんお金をかけてもらったお礼に、介護ぐらい進んでやろうと思わないの?」
こうして、姉妹の格差を発端にした言い争いが始まったのです。
