37社を傘下に収めた“買収屋”──実態なきM&Aが招いた惨状
「ルシアン事件」とは、投資会社であるルシアンホールディングス株式会社が、全国の中小企業を多数M&Aした上で、M&A後にその会社から資金だけを抜き取り、企業を放置・倒産に追い込んだ一連のM&Aトラブルを指します。
同社は2021年の設立以降、急速にM&Aを繰り返し、2年間で37社を超える企業をM&Aしました。業種は食品製造、建設、不動産、製造業、小売業など多岐にわたり、山形県、鳥取県、千葉県など地方都市の企業が中心でした。いずれも後継者不在に悩む企業が、資金力のある買い手としてルシアンホールディングスにM&Aしてもらうというケースでした。
しかしM&A後、同社の経営実態はほとんど明らかにされず、役員派遣も行われないまま、各社の預金口座から資金が急速に引き出され、経理部門は不在、従業員の給与支払いも滞るといった深刻な経営放棄が発生しました。
やがて2024年1月、ルシアンホールディングスの代表者が関係者との連絡を絶ち、行方不明となったことを契機に、傘下企業の連鎖的な倒産が表面化しました。信用調査機関の報告によれば、確認されているだけで15社以上が破産や民事再生を申請し、さらに20社以上が事業停止状態にあるとされ、全国で少なくとも37社が事実上の経営破綻に追い込まれたとみられています。
M&A仲介会社による「支援の空白」──制度の限界が露呈
本件で特に問題とされたのが、M&A仲介に関与した複数のM&A仲介会社が、買収者の資金実態や経営能力を十分に確認せず、支援も行わなかった点です。売却を希望する企業とルシアンホールディングスとの間に立ち、M&A契約を成立させたM&A仲介会社は、M&A後のトラブルに際して関与しませんので、相談窓口もなかったことで、被害企業は孤立しました。
そもそもM&A仲介会社は法的には代理人ではなく、取次・媒介業務を行う立場であり、買収者の保証や履行責任を負うものではありません。しかしながら、情報の非対称性が極めて大きいM&Aの現場において、「資金力がありそうな投資会社」との印象だけで契約を進める構造は、脆弱であることがわかったといえます。
一方、ルシアンホールディングスの代表者個人も、過去に複数の企業に関与しながら資金の引き抜きを繰り返していたことが明らかになっていますが、その情報が十分に共有されていませんでした。
同様の手口による被害事例は多数存在
なお、今回のルシアン事件のように、M&Aを受けた後に経営放棄・資金流出が行われた事例はルシアンホールディングスの他にも多数確認されています。
ある関東地方の飲食チェーンでは、M&A後に仕入代金が未払となり従業員が次々に退職、実質的に閉鎖に追い込まれました。また、九州地方の建設会社でも、M&A直後に本社資産が売却され、数ヵ月で実態を喪失する事態に至っています。これらの事例は、いずれもルシアンホールディングスではない買収者による「ルシアン事件と同様のスキームを用いた実態なきM&A」として、関係機関により問題提起がなされています。
M&Aトラブルの新局面
M&Aは企業再生や事業承継の有力な手段とされてきました。しかし、本件により浮かび上がったのは、「M&A」という手法を用いながら、資金を不正に吸い上げるだけ吸い上げ、企業を倒産させるという新たな手口です。
このような事案は、いわば制度を逆用しており、金融庁・経済産業省なども現在、業界ルールの整備に向けて検討を開始しているとされています。特に、M&A仲介会社に対する行動規範や、買収者の資金確認義務などの制度設計は、今後の大きな論点となるでしょう。
ルシアン事件は“氷山の一角”
今回は、ルシアン事件を中心に、悪質なM&Aによる被害の実態を概観しました。全国で多数の中小企業が、後継者不在を解決しようとした結果、より深刻な経営危機に陥るという皮肉な結末を迎えた本件は、まさに制度設計の甘さと実務運用の危うさを象徴するものといえます。
しかしながら、ルシアン事件に代表されるような「買収者による放置・資金流出型トラブル」だけがM&Aトラブルの全てではありません。実際には、表明保証違反やデューデリジェンスの限界、役員退職慰労金の未払い、コベナンツ違反、ロックアップ条項違反など、契約条項や履行義務を巡る紛争が数多く発生しています。
次回以降、こうした頻出するM&Aトラブルの具体的構造と事例を、項目別に詳細に解説します。
弁護士法人M&A総合法律事務所 代表弁護士
土屋 勝裕
